夜子が踊ってみたという界隈で活動をしはじめて、早四ヶ月。学校は夏休みに突入した。
英智は相変わらず入退院を繰り返しつつも、順調に学生生活を送っているらしい。そのあたりは、夕飯をよく食べに来る敬人が教えてくれるし、お見舞いやお茶会と称した英智との時間で本人からも聞いていた。

そしてついに、英智がプロデュースする夜子−−−ネット上では「くいーん」と名乗っている彼女に、提案がやってきた。


「へえ、コラボね。」

「英智、どう思う?なんだか、売名行為とか言われないか心配だし、断っても角がたちそうだし…」


天祥院の家がバックについている喫茶店でお昼ごはんを食べながら、夜子は英智に愚痴った。それなりに有名な踊ってみたユーザーからのお誘いということもあり、断りきれないというのが本音だ。
幸いにも同性であるのでファンから嫌がられるということもないだろう。が、いかんせんビッグネームすぎる。


「僕は賛成だよ。もちろん、夜子のこころの準備ができたらで良いと思うけどね。売名だって必要な行為さ。君がこれから目指すのは単なるネットユーザーではなくて、アイドルなんだろう?」

「うん。」

「なら、この程度のハードルは乗り越えてほしいなと、僕は思うよ」


お願いするようにこちらを覗き込む英智に、夜子はうっと詰まった。


「敬人といい、英智といい、どうして時々年下だってことを利用しておねだりするの…」

「可愛いだろう?」

「それ言ったら台無しよ」


夜子は悩みつつも、帰宅するとコラボ相手に了承の返事を送った。

高校生だという相手と一緒に夏休みを利用して練習と収録をし、投稿は相手のアカウントから行ってもらう。その動画の説明文と動画のラストに夜子の「くいーん」としてのマイリストへリンクを貼ってもらう予定だ。

夏休みの宿題に踊ってみたユーザーとしての活動に、それから幼馴染たちと遊びに出たりするうちに、あっという間に時間はすぎていく。
その合間を縫うようにして、父経由で朱桜家から連絡が入った。家の電話にかかってきた連絡は、朱桜家の嫡男であり三つ年下の司からだった。


「もしもし、お電話代わりました、夜子です」

『夜子お姉さま!お久しぶりです、司です』

「今晩は、司さま」

『No、どうぞ楽にしてください。私から、ちょっとした夏休みのお誘いをしたく、ご連絡さしあげたのです』


電話越しの司は楽しげに続けた。


『来週の日曜に朱桜家で母上が主催されるTeaPatyがあります。そこでどうか、私と一緒にPianoを演奏していただけませんか?』

「えっ、朱桜のお母様のお茶会で?」


なんというプレッシャーだろう。朱桜家の母が関係を持つ相手といえば、もうそのお茶会を襲撃するだけで国内が混乱するのではないかという著名人が集まるだろう。
そこで、なんと、まあ、ピアノを演奏しろと。


「そんな、私のピアノは趣味程度で…」

『私も少しばかりではありますがPianoを披露させていただきますので、どうかご一緒くださいませんか?母上も楽しみにされているのです…Please,Let's play together.You are my sweetie.』

「わ…わかりました。」


どうしてこうも、自分は年下のおねだりに弱いのだろう。日曜の10時半に朱桜家の車で迎えに行くという司の言葉を聞きながら、夜子はこころの中でぐすんと涙をぬぐった。朝子や母も是非にと言われたのがせめてもの幸いだ。

夜子がその話を両親へ伝えると、二人は慌てて夜子の持っているドレスからふさわしいものを探し出してくれた。傍流であるからして、本家筋である朱桜家に失礼があってはならない。まして青梅の家だけで考えれば、正式に名前を継いでいるが父親であり、夜子もいずれは婿を迎えなければならない立場だ。
つまり、青梅の代表として朱桜家へ向かうこととなる。

「お茶会」として呼ばれている以上、気取りすぎたドレスを着るわけにもいかないので、イエロージュに橙色と黄色で向日葵が描かれたワンピースドレスのようなものを着ていくことになった。
昔、司から誕生日にともらったネックレスとブレスレットが黄色いビーズでできていたので、それもつけることにする。靴もまた、朱桜家からの贈り物であるパンプスだ。正直、成長期の子供に衣料品を送るのは、すぐにサイズアウトしてしまう…と母が嘆いていたので、はからずも出番を迎えることができて、この靴も喜んでいることだろう。



英智にも電話で朱桜家のお茶会へ行くことを伝えると、なんと彼もまた、お呼ばれしているというのだ。天祥院の家まで参加するとなると、どれほどの人数の前で演奏させられるのだろう。
慰めてもらうつもりが逆に胃がキリキリする結果になった夜子は、前日まで自宅のピアノ室で熱心に練習に励んだ。
難易度的にも曲調的にも良さそうなのでドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、プッチーニの「トゥーランドットより−誰も寝てはならぬ−」、そして昔ピアノの発表会にと父が作曲家に依頼してくれた「夜闇の天使」という曲を持っていくことにする。


日曜日の朝になり、10時半ちょうどに青梅家の前に黒くて大きな車が停まった。クラスの子たちが言うところの、所謂「お金持ちの車」である。流石にあの車は、夜子の家にもない。
母は朱桜家の母と共に準備をするらしく、すでに自宅にはいない。自力で向かうとも思えないので、朝イチで朱桜家の車が迎えにきてくれたのだろう。運転手さんには頭が上がらない。


「夜子お姉さま、おはようございます。My sweetie、爽やかな装いもとても良く似合っていらっしゃいます、Marvelous!」

「おはようございます、司さま。水色の着こなしが素敵です」


薄い水色のサマーニットに同じく薄い茶色の七分丈のズボン、どちらもきれいな赤髪がよく映えるし、夏にぴったりのコーディネイトだと夜子も思った。
司はそれに対して嬉しそうな笑顔を浮かべると、スムーズに夜子をエスコートして車に載せてくれる。後ろから来ていた朝子は執事のお兄さんにエスコートされて座席へと腰掛け、そこで司とも挨拶をかわしている。。
本来なら、本家のお坊ちゃまが分家の息女を迎えに出向くのは違和感があるように思えたけれど、武家たるもの朱桜たるもの騎士道精神のもとにという司の意思だろう。そうでなければ彼の父の意思だ。


「ご招待いただいただけでなく、ご足労いただきましてありがとうございます、司さま」

「My Sweetie、お気になさらず。私がしたくてしているのですから」

「ところで姉さま、司さま、まいすいーてぃー、とは?」

「ああ、それは英語で

「nicknameです」


説明しようとした夜子に食い気味で、司がかぶせた。


「nicknameです。夜子お姉さまをお呼びする際の、私がつけたnicknameですよ」

「へえ、そうだったのですね!」


朝子よ、それで納得して良いのか…。
夜子としては何故司がそんな呼び名を使うのか聞いてみたいところではあったが、彼なりに言いたくない理由があるようなので、モヤモヤしたままでお茶会を過ごすこととなった。






2020/04/08 今昔




_