※ズ!!時間軸
※弓弦に軟禁される



取り付けられた首輪はとんでもなく重たい。
これは決して重量の話ではなくて、どちらかといえば金額であったり込められた意味のお話だ。他の誰かにとっての価値を測る術は持ち合わせていないので、どちらにしても「私にとって」という但し書きがつくのだけれど。

首輪からは私の人差し指と同じくらいの幅になっている銀の鎖が伸びていて、ちゃらちゃらと時折音を立てる。素材は軽いようだけれど、確実に壁にあるひとつのフックにつながっていて、何を試してみても外れることはなかった。
まあ、外せたところで今居る密室からは出られるわけもないのだろうけれど。


室内に一応時計が設置されているので、窓は一切ないけれどなんとなく時間の流れを察することができる。今は23時。いつもならこの部屋の主が帰宅しているはずの時間だ。


六畳ほどの広さに感じる部屋の中は、鎖の長さ的に十分に歩き回ることができる。それどころか三箇所ついている扉を開けた先にあるお手洗いやお風呂だって悠々と使える長さだ。つまり、この鎖は私を部屋から出さないためではなくて、私を捕らえているという事実を示すためのものだ。
鎖と部屋の鍵を持っている人物は、私の予想が正しければ、多くても二人。

ガチャリと扉を開けて入ってきた彼が、確実に鍵を持っている相手だ。


「おや、うさこさん。起きていたのですね。寝顔と寝起きの顔を見るのが私の趣味と知りながら、悪い子ですね」


靴音を吸い込む良質なカーペットを歩いて来た彼−−伏見弓弦は私の顎を痛いほどに掴むと、ぐいと持ち上げる。他にやり場がなくて、掴んできた彼の右手に自分両手を添える。
こちらを覗き込んできた彼の瞳に自分が写り込んでいるのが見えるけれど、これだけ近くに居たって、私の言いたいことは伝わらない。言葉は耳に届いても、脳や心には届かないらしい。

そんな恨みを込めて、ここで「昨日は『起きてお出迎えするのが忠犬の役割だ』って言ったじゃん」なんてことを口走れば、すぐさま「しつけ」と称した張り手か蹴りが飛んでくることだろう。


「ごめんなさい」

「お利口さんですね。許して差し上げますよ、忠犬ではなく飼い猫と思えば可愛いものです。いつこちらを噛むとも知れぬ鋭い牙の犬よりも、見知らぬ部屋に一人置かれ深遠の令嬢となった子猫のほうが愛玩には向いているでしょうから」


顎を掴まれたまま、唇が重なる。
恋人同士がするような舌を絡め合うそれのはずなのに、口内を塗り替えて独占するように丁寧になぞるせいで、いっとう主従関係を意識させられた。舌を伝ってくる唾液を素直に受け入れて飲み干せば、よくできましたと言わんばかりに親指が頬を撫でていく。


「そろそろ、茨のことも忘れて私の言うことを聞けるようになったようですね。」


毎日少しずつ文言を変えて繰り返されるこの質問に、未だにどう答えるのが正解かわからない。


「………うん」

「はあ…そんな回答は求めていません」


執事とアイドルを両立しながらどうやって私のことまで手を回しているのかわからないけれど、この伏見弓弦という男は私の生活を隅々まで面倒を見てくれる。
朝はパジャマを脱がせて下着をつけて、可愛らしい洋服へ着替えさせる。そして手ずから朝食を口元へ運んでくる。昼食は流石に戻ることが難しいのか、何かしら冷めても食べられるようなものが置かれている。夜も戻ってくると首輪以外を外してお風呂へ入れてくれる。というよりも、一緒に入る。


どうしてこんな生活がはじまったんだっけ?




確か、あの日はEdenとfineの打ち上げに同行していた。一緒に来ていたのはアイドル8人の他に、あんずちゃんと私と、それからもうひとりの同期プロデューサーの女子3人。あとはアイドルについているマネージャーさんが二人。


「お疲れ様であります!うさこさんの手腕は今日も冴え渡っておりましたね!いやあ、今後とも我らEden、いえ、アイドルのためにともに邁進して参りましょう」


私が生ばかり頼んでいるのを見ていたのか、おつまみの枝豆を持ってきた茨くんと話をしっていて、私を挟んで茨くんの反対側には別のP機関プロデューサーさんが居た。三人でぼちぼち飲んでいるうちに眠たくなって、首がふらふらしてきたんだ。


「ちょっと、うさこさま、飲みすぎじゃない?いくらおつまみ美味しいからって」

「このササミの梅のり塩美味しすぎでは?もはや危険物ですよ、これは」

「ごめん英智くん、うさこさま酔ってるから私そろそろ連れて帰るね。メンズはここから星奏館近いから送り必要な人居ないよね?」


隣に居たプロデューサーちゃんが天祥院の許可を得て、アイドルたちに明日に響かない程度で帰るように伝えて、お金を私の分まで置いてくれて。それは覚えてる。それから靴を履いてお店から出たんだよね。
そうだ、ここからが問題だったんだ。


「うさこさん、宜しければ今日のお礼も兼ねて自分が送りましょう」

「あれ、七種くん。うさこさまのお家知ってるんだっけ?」

「ええ。Edenは自分が面倒を見ているとはいえ、名実ともにうさこさんもEdenのプロデューサーですからね。以前住所をうかがいましたので問題ありません」

「ありがとう、じゃあお願いしようかな」


茨くんが私を支えるのを交代しようとした時に、お店から後を追うように伏見くんが出てきた。少し慌てたように、私たちがまだ居るのを見て安心していた。それからすぐに茨くんに交代しようとしているプロデューサーちゃんに気づいて、眉をひそめていた。


「おや、茨。貴様がうさこさんを送り届けると?」

「弓弦ではありませんか。そういうお前はもしや我らがボスの見送りですか?」

「そのボス呼びって本当にどこから来たの…」


そんなやり取りの間に、プロデューサーちゃんからふらついている私をぱっと奪って、伏見くんは近くにいたタクシーを拾うと乗り込み始めて、あまりの手際の良さにプロデューサーちゃんがちょっと引いていた。茨くんは少し…けっこう不機嫌そうにしていたけれど、文句のひとつも言うより先に伏見くんがタクシーを出してしまった。

そのまま、タクシーの中で寝落ちて、気づけば可愛らしいうさぎのシルエットがプリントされたネグリジェを着てこの部屋に居たのだ。


「私を前に、考え事ですか?」


伏見くんの呼びかけに意識が現実に戻ってくる。
なんというか、改めて思い出してみて分かったことがある。多分、茨くんは私のことを嫌っていなかった。そしてきっと伏見くんも同じように、私のことを嫌っていなかったはずだ。だってこんなふうに軟禁するだけならばまだしも、いたれりつくせりでお世話なんて普通できやしない。
いや、そもそも「軟禁するだけ」という表現がけっこうハードだとは思うのだけれど。
嫌いな人間なら放っておけば良いのに、まして一緒にお風呂に入ってくるということは、さてはこいつ相当私のこと好きだな?

ともあれ、伏見くんにお風呂上がりで髪の毛を乾かしてもらっている間も外されない首輪のせいで、私は一切抵抗も逃走もできないのだけれど。


「あなたという人間性を好いておりましたので、思考の調教はしたくなかったのですけれど…あまりに気が散るようでしたら強硬手段も否めませんね。まあ、今までよく我慢したと自分を褒めたいくらいなのですけれど」

「強硬手段?」

「ええ。愛しいあなたのことを甲斐甲斐しくお世話させていただいてきましたが、ひとつだけ、お世話することを避けてきたことがあるでしょう?」


乾いた髪の毛をヘアゴムでかるくまとめられる。鏡の前に座らされているので、伏見くんがどんな表情をしているのかはよくよく見て取れた。いたって穏やかで、今まで事務所で見ていた顔となんら変わりはないように見える。


「外のことが忘れられないのなら仕方がありません。」


バスローブのあわせから、肌を滑るようにして、伏見くんの手が入り込んでくる。
ぞわりと粟立つ肌に、血の気が引いた後頭部に、うまく噛み合わない奥歯に。ああ、私怖がっているんだな。なんて他人事のように思考が巡った。


「あなたの全てを頂戴しますね、うさこさん」









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「そういえば、最近連絡取れないのよねえ」


にやり、そんな擬音がつくような顔で僕たちの専属プロデューサーは微笑んだ。微笑みの先が弓弦に向けられていることは少し気に食わないけれど、まあこれは行為の笑みじゃないと分かっているから、僕も口は挟まない。
それよりも、横ではらはらしている桃李が可愛そうだ。


「はて、以下がなさいました?」

「いいえ、何も。幸せならそれで良いと思っているから」


二人の笑顔の裏に隠れている意味を察することは容易いけれど、僕も渉も賢く口を噤むことにした。







2020/07/30 今昔




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