夜子と朝子はレッスンに明け暮れている。
朝子はもともとあまり歌ったりするよりも演奏する方が好きだったので、改めてボイトレを。扱える楽器は実力が落ちない程度に練習を。
夜子もまたボイトレを中心に、朝子と比べると送れていた作曲についての知識を吸収していた。朝子にはどうやら少し前から作曲できる知り合いが居たようで、しかもそれはどうやら夜子もよく知る『聖天使るかたんのお兄ちゃんP』であるようで…。悔しいということもあるし、なにより自分の気持ちを歌にできるということに魅力を感じている。

それと同時、時折は天祥院の家でお茶会と称してマナー講座であったり、敬人の家で勧められるがままに写経だなんだと精神統一の訓練をさせられている。どちらも『青梅』の能力を持っている可能性を考えれば必要な対処だったし、英智がどこまで本気にしているかは夜子には計り知れないけれど、『青梅』のことがなくたって必要な能力だ。

歌に力があるのだとしたら、それを極めたい。そして、いつの日か両親を目覚めさせるのだ。



「できた」


夜子は作曲を教わっていた先生にチェックしてもらったスコアを抱きしめ、レッスン室の扉を締めた。ピアノ伴奏とヴァイオリンのスコアは、少しでも馴染みのある楽器を使って曲を作ったほうが良いだろうという先生の助言によって作ってみたものだ。
楽典や音楽史を習い、楽曲のコンセプトと編成を決めて、そして調を決めてメロディを紡いでいく。どうやら朝子は脳内にポポンと楽曲が降ってくるタイプのようなことを言っていたけれど、そこは姉妹で違うようで、夜子は緻密に計算しなくては作れなかった。けれどまるで数式を読み解いていくようなその作業は楽しくも思えた。

夜子は帰宅するとそのまま、身支度を整えてまた家を出た。
向かうのは朔間家で、インターフォンを押すと零が顔をのぞかせた。まだ昼間なので少しばかり眠そうだ。


「突然ごめんね、零」

「いや、いいけど。どうしたんだ?」

「プレゼントがあって持ってきたのよ」


かばんからスコアの紙束を出して両手で押し付ける。相変わらず黒ずくめの零はそれを受け取ると、ぱっと愛好を崩した。


「完成したんだな!さっそく演ろうぜ!」


わくわくと、珍しく年相応な笑顔を見せる零に手をひかれ、夜子はピアノがおいてある部屋へと招かれた。YAMAHAのピアノは夜子が通っている先生のところにあるものと同じだった。個人宅にあることを考えると、朔間家も家柄が良いのだなあと実感させられる。

零もまた一度自室へあがっていき、ヴァイオリンケースを持って戻ってきた。


「どうした、じっと見て。俺に見とれたかー?」

「いえ、ヴァイオリンを習ってるという時点で、家柄はかなり良いのよねと思っただけ」

「まあ、ヴァイオリンなんて成長が止まるまで買い替え続けなくちゃいけねえからな」


ケースから出したのを見計らって、一応チューニングに必要な鍵盤を押す。整え終わると、零は無言で譜面を見つめ、左手だけをちまちまと動かしている。その横で夜子は譜面台を立て、零の譜面を乗せた。ヴァイオリンパートだけのそれをテープでつなぎ、両サイドのバーを広げた譜面台にぎりぎり収まるくらいだ。A4で4ページある。


「冒頭がModeratoでラストがVivaceか。ぱっと見た感じ、嵐の前の静けさと雷鳴みたいな曲だな」

「零にあげる曲だから、一応零っぽくなるように頑張ったつもりよ。先生のお墨付き」

「タイトルは?」

「『ゼロの雷鳴』」


イントロからピアノで奏でていく。ミドルテンポで時折16分音符が続き、高い音を立てて吹き荒れる風や、ぱらりぱらりと降ってくる雨粒を描き出す。

零のヴァイオリンが入ると、その嵐の前の街中に登場人物が出てくる。強まる雨足を予感して不安そうに、けれど非日常を楽しむように。
そんな情景が浮かんでくるのは、夜子自身が作曲したからというだけではなく、零の初見力によるところも大きい。難しい技法は不要な曲であっても、どんな曲なのか譜面からきちんと読み取ってくれたということだ。

ちらりと零を見ると、目は刻々と移り変わる曲調に追いすがるように、真剣に譜面を追っている。けれど口元は楽しげに歪んでいた。


アウトロまで演奏し終わると、両親たちを眠らせてしまったときのようなことが起きなかったことに安心した。やはり、歌でなければ発生しない現象なのだろうか。


ぱちぱちぱちぱち


小さい拍手に振り返ると、扉の目の前に愛くるしい零が座って拍手している。


「すごい…」


声も、零より幾分も可愛らしい。久々に顔を見たが、これはきっと弟のほうだろうと、夜子は微笑みかけた。


「お久しぶりね。凛月くん」

「久しぶり、ねえ夜子、今のは?」


夜子を見上げた表紙に、凛月の両目からぽろぽろと涙がこぼれだした。ぎょっとして目を見開くと彼も自分で泣いていることに気づいたのか、慌てて両手で拭い始めた。


「駄目よ凛月くん、擦れたら赤くなって腫れてしまうわ」

「凛月…聞いてたのか?」

「うん。何か聞こえるなと思って、扉の前で聞いてたら、すごく……すごくキュっとして、それで、でも嫌じゃなくて嬉しくて…夜子が弾いてるのを見たら、涙が出てきた」


不思議そうに言う凛月に、零は忌々しげに顔をしかめた。


「血の濃さか…」


何を言ったのか夜子には聞き取れなかったけれど、それが良くないことであるのはすぐに分かった。












ねえ、ねえ。
夜子の作る曲は素敵だねえ。俺にもっと聞かせてよ…

ねえ、ねえ。
夜子はどこの高校に行くの?俺もそこに行くからね…多分まーくんも誘うよ。
まーくんは夜子の妹と同い年だし、仲良くなれるよね。

ねえ、ねえ。
今度はさ…俺だけのために作って、弾いて、歌ってよ。ねえ。



その曲も歌も血も全部俺のものだって言ってよ。






2020/04/29 今昔




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