夜子と朝子の両親は、検査によれば全くの異常が見つけられなかった。ただただ、脳が深い睡眠状態に入っている。通常の睡眠とは異なり、深い状態で安定している。

何も対処するべきことがない、ということは、現状からの復帰は見込めない。そういうことだ。そう説明してくれたのは朱桜から来てくれた司の両親だった。二人が酷く落ち込んでいる様子を見て自宅へ招いてくれたが、普段よく一緒に居る敬人や英智の近くに居ることを選んだ。


そんな二人は結局天祥院の家に一晩お邪魔することになった。
普段女の子のお世話をすることが無いからか、メイドさんたちはとても楽しそうに夜子たちのお世話をやいてくれる。けれど、二人にとってそれは恐ろしい以外の何者でもなかった。

結婚記念日のお祝いをしたのだって、別に暇だったからというわけではない。
合唱コンクールの後から、まるで神様かなにかのように祭り上げられてしまうことが増えた夜子が、嫌気がさして帰宅を早めたのだ。クラスメイトたちと遊ぶだなんてもってのほか。お小遣いは全て夜子に貢ぎかねない事態に陥っていたのだから、遠慮もしてしまう。
普通に接してくれていたのは零だけだったのに、今となっては


「さて、三人とも座って。一日休息日があって、落ち着いたかな?」


英智の自室に招かれた二人と敬人は、英智の淹れたお茶を差し出されながらため息をつきたかった。
とてもではないが、結婚記念日をお祝いする会で起きたことを話す気になれない。英智もそれをよくよく分かっているようで、紅茶をひとくち嗜み、人好きのする柔らかい笑顔を浮かべた。


「そうだな。二人が声を発さない理由は心当たりがあるから、」

「…俺は正直なところ、信じがたい。物語の一端として聞いて育ったが、それこそ小学校低学年で『生まれた地域について調べよう』などという授業でもしなければ、触れないようなおとぎ話だぞ」

「うん。でも、きっと、二人にとっては必要な話だよね」


敬人だけは何故か湯呑に緑茶を出されていたけれど、夜子にそれをつっこむ気力はなかった。


「二人もちらっと聞いたことはあるんじゃないかな。『夢ノ咲の巫(かんなぎ)』について」

「っそ……」


朝子が何か喋ろうとして、しまったというように口を両手で押さえる。その様子を見て、英智も敬人も納得したようにうなずいた。


「二人の不安はごもっともだ。だってまるで、自分たちが巫であるかのようだものね。」

「海神に舞と歌を奉納して神々を治める家系。歌で全てを操り、人々を導く存在。俺も昔から両親に聞かされて育ったが、実在するのか?」

「実在するかはともかくとして、二人は実際にご両親へ歌のプレゼントをして、こうなったと思っている。その事実が重要なんじゃないかな。きちんと把握してあげないと、女の子に嫌われちゃうよ、敬人」


大きなお世話だと騒ぐ敬人をスルーして、英智は夜子の膝前に膝をついた。怖がった素振りは見せまいとするが、それすらもお見通しの様子で、英智の手が夜子の手を捕まえ大切に包む。


「もしもこの伝承に心当たりがあって黙っているのなら安心してほしい。僕は合唱コンクールの様子を中継で聞いてもなんともなかったし、そもそも喋るだけなら問題は無いはずだよ。夜子の声を聞かせてくれないかい?」


下から見上げるようにお願いしてくるのは、英智や敬人、朝子の専売品だ。夜子がこれに滅法弱いのを知っていてやっているのだから質が悪い。


「わ…かった。英智の言う通り。私たちもすぐに巫のことを思い出して、喋らないほうが良いのかもって思ったの。」

「夜子と朝子は優しいね。本当に、巫の一族にふさわしいね」


なるほど。
と、夜子は納得した。英智が「夢ノ咲の巫」について信じているかどうかは問題ではなくて、今の英智の中では世間的に青梅が巫であると認識させるつもりなのだ。事実がどうであれ、夜子が、朝子が巫の一族なのである。それは天祥院という家の発言力だからこそなしえることだし、天祥院という家の持つネットワークがあってこそのもだ。

天祥院が動いたのなら、例え本家筋の朱桜であっても対抗することはできない。他の財閥に根回しをしたところで変わらない。
夜子にはこれから、青梅という名前を背負う以上に面倒な役柄を与えられたのだ。


「巫は海神に愛されている。その歌声で全てを魅了する。怪人や吸血鬼といった人ならざる者も、人間も、皆。君たち二人には音楽的なこと全般を鍛えてもらうよ。ボーカルは勿論のこと、今できる楽器についても。」

「ええ。本当に私たちが巫だとしたら、あの学校の異様さも腑に落ちるもの。むしろ、巫だと言ってほしいくらいよ」

「僕も色々と調べてみたんだ。青梅の女性は誘拐や殺人の犠牲になることが多い。隠蔽されているような情報もあったけれど、まあ天祥院の名を活用すれば調べられる程度だった。」


朝子がぎょっとしたのか、夜子に抱きついてくる。その頭をそっと撫でながら、夜子は英智が続けるのを待った。


「所詮おとぎ話、されどおとぎ話。遡れば遡るほどに青梅の失踪事件は増える。そして青梅の歴史上、唐突に朱桜の名前が入ってくる。恐らくだけれど、有力者たる朱桜の誰かが青梅を守ろうとしたか、青梅が朱桜に助けを求めたか…」

「血縁があるから守ってくださった、というのではなく?」

「その可能性よりも、婚姻によって縁ができたという方があり得るかなあ。もしくは義兄弟の契をした、とかね。そしてそれよりも半世紀ほど後から、天祥院の家には青梅を支援した形跡がある。」


朱桜が守り、天祥院が支える。それが実行されるほど重要な血筋だということに、夜子は身震いした。
きっと夜子や朝子がもっと大きくなるまで秘密にしておいて、頃合いを見て両親からされる話だったのだろう。けれど二人が昏睡状態にある今となっては、夜子が当主としてその話を引き継がなくてはならない。

英智がわざわざ話したのだから、きっと失踪事件だってこの時代においても他人事ではないはずだ。


「僕もこれから、二人のご両親が目覚めるように。目覚めるまでの間に君たちが困ることのないように協力しようと思う。」


夜子にはどうしても、英智の言葉は「天祥院」としての言葉にしか聞こえなくて薄ら寒いような気持ちになったけれど、それを否定することもできずにただ黙ってうなずいた。



2020/04/28 今昔




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