合唱コンクール当日。
両親も仕事の都合をつけて見に来てくれているし、朱桜の家からも誰か来てくれているそうだ。零の両親と弟の凛月は体調を崩しそうということで居ない。

そもそもこの合唱コンクールは文化祭の一部であり「舞台サイド」という催し物だ。校内ではこの合唱コンクール以外にも絵や書道の展示が行われている。それなりに大きなイベントである。
そこで事前に校内予選のようなものが教師の間で行われ、その結果に応じて学年ごとではなくランダムに合唱の発表が行われる。夜子たちはかなり最後のほうだ。その位置にどんな意味があるのかはわからないけれど、初っ端の方ではないということは下手だと思われていないということだろう。


学校に備え付けられている舞台の袖で、夜子はどきどきと手汗が止まらなかった。
夜子を神様かなにかのように祭り上げてまとまっているクラスメイトたちの前で、こんな緊張してしまっている姿を見せたらどうなるだろうか。


「夜子、息吸え」


背中にぽんと当てられたのは敬人の手だった。ほんのりとしたぬくもりが、制服越しに伝わってくる。振り返れば、真面目な表情を少し崩して、照れくさそうに続けた。


「俺たちのクラスは夜子たちの次なんだ」

「そうだったのね。そうか…敬人が客席より近くに居るんじゃ、あんまり恥ずかしいところ見せられないわね」

「無論、無様を晒すような真似はしないのだろう?」

「敬人が見てるものね」

「英智も見ているはずだ」


敬人が指差した先を見てみると、天祥院の家の者らしい人間が後方で大きな…そう、中継機のようなカメラを構えている。


「体調を崩して欠席することになったんだが、『夜子の歌が聞けるなら這ってでも行く』と聞かなかったそうだ。あいつの悪戯には手をやかされたであろうからな、家のものが中継するということで手を打ったらしい」

「お金持ちの考えることは面白いわね…」

「まあ、英智の奇行でお前の緊張がほぐれたのなら本望だろう。お前の歌を誰よりも…いや言い過ぎた。俺と同じくらい、楽しみにしていたからな」


前のクラスが終わり、拍手が沸き起こる。敬人はそれを見て夜子の背中をもう一度さすると、自分のクラスの待機列へと戻っていった。
夜子が自分のクラスへ向き直ると、女子生徒にねだられた零が、自信たっぷりといった顔でクラスメイトたちを鼓吹(こすい)した。


「俺たちのクラスがこんなに最後の方なのは、分かってるな?教師たちに実力を認められてるってわけ。俺たちソリストの四人も勿論全力で行くけどさ、合唱は、音楽は全員で作るものだ。一致団結して、盛り上がろうぜ」


舞台袖で静かな円陣をしたクラスメイトたちと、夜子は舞台へと登った。








英智は自室のベッドで中継を見ながら、頭を抱えた。
夜子のクラスの合唱曲にはソロがある。それを夜子が歌うことは知っていた。


「まさか…僕でさえもおとぎ話だと思っていたのに」


中継機を通しているにも関わらず、魂を揺さぶるような夜子の声。それを会場で聞いていたら、おそらく英智だって無事では済まない。そのくらい、人知を超えた何かを持っている。


「青梅の血は巫の末裔。海神に歌を納め、人々を従え導く存在…か。ただの地元の大地主たちを讃えたおとぎ話にすぎないと思っていたけれど、一考の余地ありだね」


体が弱い英智のために、夜子がアイドルを目指したことは知っている。英智がやりたいように、プロデュースしたいようにやらせてくれている。最近は『聖天使るかたんのお兄ちゃんP』やらコラボ相手やらも増えたが、それでも大筋は英智の思ったとおりになっている。
アイドルのMVに出演したことも、インディーズのCD企画へ参加したことも、来年度から朝子が一緒に歌って踊る予定であることも。

けれど、万が一にもこの巫の家系が実話であったなら、早急に行わなければならないことがある。


「夜子、その歌声は人間を魅了する。それをどうセーブするのか…ただのボーカルレッスンでどうにかなるものなのかな?それとも、カウンセラー?君のプロデュースは飽きないね」


英智はつぶやくと、控えていた執事を呼び、夜子のために充てがう講師候補の選出をはじめた。






敬人にとって、夜子の歌というのはとても身近なものだ。
寺と檀家として家同士の繋がりも長いし、幼馴染としてずっとそばに居た。そこに英智が増え、気づけば居た零も、妹の朝子も。大切な昔なじみである。零については近頃は距離を置いてしまっているが、それも自分の心を守るためだ。悪いことではないはずである。


(この歌は、なんだ…)


聞いたそばから視界に淡い水色や緑色が溢れ、可愛らしい魚たちが泳ぐ。水彩画のような爽やかな海を、風が撫で、光が輝き満ちている。
そう錯覚するほどの、歌声だった。

英智にとって夜子がアイドルであるように、敬人にとっても夜子はアイドルだ。今はまだ事務所に所属したりだとか、そういったことは行っていないけれど、それでも夜子のファンであると胸を張って言えるくらいには。
咄嗟に周囲のクラスメイトたちを見回しても、敬人と同じかそれ以上に夜子の歌に圧倒されているようで、口が半開きになっている者も居る。


(俺だけではないのか…)


もはや中学生の合唱というには不可解なほど、会場は湧いた。拍手も大きいし、なんなら立ち上がっている観客も見えた。


夜子は知る由もないが、青梅のようなそこそこに名のしれた人間が合唱コンクールでソロを披露する、なんて話は多少なり広まっていて。夜子にMV出演の話を持ってきた婦人もまた、客席で涙していた。



後日、夜子が学校から帰宅すると、自宅に「Rhythm Link」のマネージャーだという人間がやってきて、事務所の資料を置いていった。




2020/04/21 今昔







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