秋。合唱コンクールの季節である。

朔間零という幼馴染から首に牙を突き立てられる。という一大事件を経ても、何故だか夜子と零の関係性は変わらなかった。
変わったことといえば、クラスでの立ち位置がいつの間にか零と二人で委員長になっていたことと、月一登校だった動画が完全にランダムになったことだ。視聴者だとかファンだとかを名乗ってくれている人たちには、学業が忙しいんだなと理解してもらえているし、何より平均したら月一以上の投稿になるので批判は出ていない。
『聖天使ルカたんのお兄ちゃんP』との交流も続いていて、歌ってみたの投稿も増えている。どうやらお兄ちゃんPは作曲家としての才能があるようで、時折ピアノ曲の譜面も送ってくれるようになった。


「あれ、姉さま、その曲…」


家のピアノでお兄ちゃんPの曲を演奏していると、朝子が顔をのぞかせた。


「ああ、これね。お友達に書いてもらったの」

「へえ…」


釈然としない様子の朝子に視線を向け続けると、続きを催促されたと気づいたらしく、重々しい口を開いた。


「私のお友達が書いてくれている曲に、よく似ていますの。いえ、似ているというか…その方の特徴がよく出ているというか……」

「もしかして同じ人だったりしてね」

「まさか!でもそうだったら運命的ですわね!」


いたずらっぽく言えば気分が晴れたらしく、朝子はではまた。と部屋を出ていった。朝子は六年生になってから習い事の数を調整していた。ピアノは好きで続けているようだったけれど、その他にサックスとヴァイオリン、トランペットに手を出したようだ。最初は某有名怪盗アニメを見てビッグバンドに目覚めたらしいが、口の形からしてトロンボーンが吹けなかったといつだかの夕飯で愚痴っていた。
そこでマウスピースの小さいトランペットとホルンに手をだし、馴染んだのがトランペットらしい。サックスは誰でも一定まで演奏できるようになるから、と続けているようだ。その壁を超えて行くつもりはないらしく、こちらはあくまでも趣味らしい。

姉妹で合わせれば管弦楽団が作れそうなレパートリーである。




夜子もまた幼少より習っているピアノは各所で重宝されていた。
例えば、そう。合唱コンクールである。昨年は学級に演奏できる生徒が自分しかいなかったため、必然的にピアノだった。
毎年のクラス分けは必ずピアノを演奏できる生徒が一人入るようになっているが、今年は偶然にも二人のピアニストが居る。

音楽の授業中、合唱コンクールの楽曲とピアニストを決める段階で、やはり夜子にも声がかかった。この地元では天祥院に続くかというほど有名な家柄でもあるので、教師も無視はできないらしい。


「今年も青梅さんはピアニストかしら?」


優しげだがこちらの様子を伺うような教師から視線をずらし、もうひとりのピアニストへ目を向ける。


「いえ…昨年やらせていただきましたので、できれば今年は歌いたいです」


ピアニストの子がパッと明るい笑顔を見せた。どうやら夜子の読みはあたっていたらしい。夜子が希望してしまえば、おそらく通ってしまうピアニストというポジション。普通、ピアノが弾ける子はそうそう多くないので、競争にもならないはずなのに。夜子が居るせいで絶望的だと思っていたのだろう。
教師にも確認をとられ、その子は嬉しそうにピアノ椅子へ着席しなおした。


「では、投票の結果、このクラスでは『海風光』に決定します」


混声四部合唱で、それぞれのパートからソロが選出されて、合唱だけでなくソロやカルテットもあるのが特徴の曲だ。爽やかな雰囲気が夜子も気に入っていた。

男女別に分かれての練習が始まった。零も日中の授業だが夜子が音楽好きなのを分かってか、真面目に授業を受けている。
そういえばと、教師が顔をあげた。


「青梅さん、もしよければ、男子の方の音取りをしてあげてくれるかしら?」


そういえば、零も楽譜が読めるし音取りくらいならピアノだって出来るのだろうが、教師はそれを知らない。反射的に「はい」と答えてから、一部女子からの鋭い視線にさらされて、しまったと内心でこぼれた。
このついうっかりで、中学に入ってから何回零のファンを怒らせただろう…


「夜子、頼んだ」


男子の譜面を零に渡されて、教室の後ろの方にある予備の電子ピアノへ着席した。
男子側からは歓迎する顔と興味ないという顔が見て取れる、どちらかといえば喜ばしいといった顔が多いだろうか。人心掌握も才能の内だよ、なんて英智なら言うだろう。


「じゃあ…ひとまず音源を聞きましょう。それからそれぞれどっちが良いか、悩む人は音楽が得意かどうかで決めてください。わかりやすいのはバスパート。テノールは音域が歌いやすいでしょうけど、音の移り変わりが独特なので…」




週に二回ある音楽の授業が進むにつれて、『海風光』のソロパートを選出する段階になった。男子からはあまり会話したことはないが、リーダー格の男の子と零が。女子も一人はリーダー格の子が決まり、あとは女子が一人だ。


「本気で勝ちたいなら青梅がやれよ」


零と一緒にソロを歌う男の子の何気ない一言で、まだ誰が歌うかなやんでいた女子たちのざわめきは一瞬で静まり返った。
それは零のことを好いている女子からしたら「また青梅かよ」と思う事件のはずだ。


「青梅さんはどう、お願いできる?」


想定外に入ってきた声はピアノを担当した子からだった。
夜子に対して敵対するような声音でも目線でもなく、むしろ目があえば優しく…というよりも、零を見る彼の取り巻きのような視線にぎょっとした。


「嫌でなければ、今年はピアノも無いことだし、お願いしたいな。この前、零くんと歌ってるの聞いたけど上手だったもん」


ピアノの子と仲が良い子達が賛同し、教師にも問いかけられた夜子は、思わずうなずいてしまった。パッと花が咲いたように笑うピアノの子が、ソロ部分の少し前からピアノを弾き始めた。
上下のパートは決まっているらしく、零と男子のソリが先に歌われる。それだけでうっとりしている女子の中で、夜子だけは冷や汗が止まらなかった。

すっと息を吸うと、肺がひとまわり大きくなった気がする。
横隔膜が動き、空気が移動して、全身が楽器になる。





「〜♪〜〜〜♪」


咄嗟にソプラノのソロパートを歌う。
少し声が震えていたかも、音処理が雑だったかも。そんなことが脳内を駆け巡る間もなく、ピアノが止まった。


「すごい、すごいよ!」

「青梅さんって歌上手なんだね」

「零くんたちと四人で歌ってもらうの楽しみ」


黄色い声をあげる女子たち。その目はまるで零を見る取り巻きと同じだ。
薄気味悪さを感じる中で助けを求めて零を見ると、彼は真剣な顔でこちらを見ていた。

まるで、悪い新興宗教にはまってしまったようなクラスメイトたちに囲まれ、夜子は合唱コンクールでのソロを断りきれなくなった。夜子を褒め称える声の中には、教師や零のことを好きな過激派だって居る。異様だった。




夕暮れになると朝よりもよほど足取りが軽い零の隣を歩き、夜子は宵の時間に帰宅していた。逢魔が時、だなんて呼ばれる時間帯だからこそ、吸血鬼を自称する零は元気なのかもしれない。
今まで、零に向けられる妄信的な女子の視線は、あくまでも人間離れした美貌と聡明さに惹かれているからだと思っていた。夜子がそう納得するくらいに、零はそこらの大人よりもしっかりとした論弁ができる。
その熱狂的な視線が少し羨ましくも感じることはあった。

そのはずだったけれど、


「零…どうしよう、なんか……」


たまらず零の手をとった。

夜子が正しいと信じる熱い視線。
零が好きだからこそ、零の隣に居るのは夜子であるべきだという意図の女子の発言。
そこに居るだけで良しとされるような、神を見るような熱量。

気持ち悪かった。
実際に自分にそれらが向けられていると、自分自身ではなく、なにか肩書を求めて寄ってくるような人を思い出した。歌のクオリティなんて関係ない、下手でもそれが夜子であれば良いと思われているようで、そういった面でも気持ち悪い。


「青梅って名前で寄ってくる連中みたいだったな」

「うん」

「今日歌った時、お前声震えてただろ。ピッチもちょい低かったし…本番までに練習な」

「うん…ありがと、零」


全うな意見をくれる零の存在がどれほど大きいか、夜子はぎゅっと手をにぎり、守られているような気持ちで再び足を動かしはじめた。













2020/04/20 今昔







_