二年生に進級する頃から、夜子はやたらと零に呼ばれるようになった。
安全と迎えのために持たされていた携帯の電話番号やメールアドレスをメモ帳に書く、というアナログな方法で伝えたものの、案外電話がかかってくる。
動画を見た。次はあれが聞きたい。踊ってるのを見てみたい。次の日曜に会おう。それまでにあの曲を覚えてきてくれ。エトセトラ。

始業式前日だった昨日もまた零の家へお呼ばれして、二人でヴァイオリンとピアノを弾いていた。夜子はすでに現役で習っているというには頻度が少なすぎたが、それでも零が「夜子のピアノが好きだ」と言ってくれることに甘えていた。
その他にも目標としていた月一の動画投稿も続けているし、学校の宿題だってある。部活には一応所属しているものの、校外活動が多いため免除してもらって正解だったと思う。


「夜子、帰んぞ」

「ちょっとまって」


始業式が終わって言葉をかわすと、近くにいた女子から睨まれる。
そうだ、忘れがちだが零は見た目がすごく良い。格好良い。幼馴染で見慣れてしまっているのかもしれないし、英智も敬人も格好良い部類に入るので気づきにくい。夜子自身も整っていないわけではない。何ならMVに出たりするくらいには整っているはずだ。


「見苦しいな…」


零の囁きに少しだけ元気づけられ、二人で教室を出た。
今年の桜は長く咲いていて、地面にも空中にも枝々にも桜の色が残っている。本家の朱桜という名前にもあるからか、桜の花は好きだった。そういえば『聖天使ルカたんのお兄ちゃんP』から春と夏の新曲が更に追加で送られてきたなと思い出す。
片方は散りゆく桜の木から爽やかな葉が出てくる、大人っぽい曲だった。

校門を出て、二人でゆっくり並んで歩く。今日は新入生は登校しないので、新しく入ってきた敬人たちは居ない。


「良い匂いするな」

「そう?遅いお昼のお家があるのかな?」

「…そうかもな」


歯切れの悪い返事を何と思うわけでもなく、夜子は零とともに自宅への道のりを歩む。成長期の兼ね合いを考えても、同い年の中で零はそこそこに身長があり、夜子は逆にそろそろがっつり伸びる時期は終えてしまった感がある。二人の身長差はそれほどなく、このままいけば二人の歩幅には大きな差が出てくるだろう。
けれど今はそんなことを気にするでもなく同じペースで歩いていくことができている。朱桜の嫡男たる司であれば、何歳になっても女性に歩幅をあわせてくれそうだけれど。零とはいつまで同じ歩幅で歩けるだろうか。


「やっぱり良い匂いする」


ぼんやりと歩いていると、ぐっと腕を引かれた。
家にほど近い路地裏。零と鼻先が触れ合う距離にいる。両の二の腕を掴まれて、身動きできる空気ではない。

やたらと、零の赤い瞳が爛々ときらめいているように見えた。


「あ、の……零?」

「甘い、良い匂い」


優しげに微笑む口元とは対照的に、瞳の怪しげなきらめきは増して、それでいて楽しげに細められる。零は右手で夜子の耳の横にかかっていた髪の毛を退けると、首筋に顔をうずめた。

ぺろり。

水気のある生暖かい感触に、舐められたのだと察した。衝撃が大きすぎて動けずに居ると、次いでひどい痛みがはしった。


「ん…美味い……っん、はぁ…はじめてだ」


噛みつかれた。
と分かると、じゅるじゅると音をたてているのが、零が血を飲んでいるからだと分かる。まだ男性らしさは然程現れていない首周りがゆっくり上下していて、痛みと血を飲まれているという非現実的な事態に頭がまわらない。


「他の人間の血はうえぇってなるんだけどな…」

「れ、い?」

「もうちょっとくれ。朝から学校行ったからか調子出ねえんだわ」

「確かに前から昼間は元気でないって言ってたけど…んひゃっ!」


既に食い破られた場所から、またしても血をすすられる。
痛い。痛いけれどかゆい。かゆいというか、感覚が麻痺しているような、というか。零ってば実は蚊なのか?ヒルなのか?

現実逃避するような思考回路を持て余していると、一際ねっとりと首筋を舐めて零は顔を離した。唇に血がついていたので思わず見ると、零も気づいたのか舌がそれを舐め取っていった。


「悪い。まだ言うつもりじゃなかったんだけどな…」

「どういうこと…」

「俺は…というか、朔間の家は吸血鬼の血族だ。」

「吸血鬼…」

「俺は吸血鬼としての特質をあんまり受け継いでないから、乙女の生き血を啜る…なんてやらないんだが……というか、血を飲むとうえぇってなるからな。」

「なってないじゃない。今、私の……え、っていうか、私の血??えっ?の、ん…えっ?」


混乱する夜子に、零は楽しそうに笑いながら腕を背中へまわし、ぎゅっと抱きしめてきた。


「青梅の家は特別だ。俺にとっても、朔間にとっても。それから天祥院や蓮巳にとっても。だから気をつけてくれ。お前は…妹や両親と比べても特別だと、自覚してくれ。あと凛月にも気をつけろ」

「どういうこと…」

「そのうち分かるさ。さ、帰るぞ。俺はともかく、夜子は昼飯食わないとな」


光の加減だろうか。
夜子の手を引いてあるき始めた零の足元には、影が見えなかった。










2020/04/16 今昔




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