ヨナガはふらっととあるアパートの前へやってきた。
ウマイとお別れしてから一日非番があり、その後里の中での任務を終わらせてやってきたのだけれど、目当ての人がそこに居るかも分からず、ともかく顔が見たいと足が勝手に向かったのだ。
夕暮れと呼ばれる時間ももうすぐ終わりそうで、徐々に暗くなっていく景色が苦しい。


父親が亡くなってから一人暮らしに最適な広さの場所へ引っ越したのだと、聞いたのはオビトからだっただろうか。
ヨナガは一族の人たちが居るし、何より一番守られるべき立場である当主の娘だ。万が一にも一族が滅びたって、父方のうちは一族を頼って生きていくことができるはず。けれどカカシにはそれが無い。無かったのだろう。

そう思うと、自分が辛い時ばかり頼るのはおかしいような気がしてきて、ヨナガはもたれかかっていた木から背を離した。


「あれ、帰るの?」


こちらへ歩いてくるのは、間違いなくカカシだった。任務後なのか若干疲れているようにも見える。
カカシはヨナガの前までくると立ち止まってこちらの顔を覗き込んでくる。何も考えていないようにも見えるけれど、優秀な彼のことだからきっと、頭の中は高速回転しているに違いない。


「会いに、来た」

「…うん。明日、ウマイの葬儀で会うだろうけど。」

「分かってる。でも、来ちゃった」


オビトの時とは、違う喪失感に、ヨナガは力なく微笑んだ。どうやって、"いつのもヨナガ"を演じたら良いのかさっぱり分からない。


「…じゃ、行きますか」

「え?」

「この時間にオレの家に上げたら、大婆様が火影様経由で暗部を動かしかねない」


木ノ葉の里がもうすぐ完全に闇へ落ちようとしている中、確かに大婆様ならやりかねない。
歩き出せないヨナガの手を取ったカカシに引っ張られ、二人は闇の中へ入るようにして癸の町へと移動した。途中、同期や知り合いに会わなかったのは幸いだと思う。

癸の町に入ってもほどかれない手に、周囲の大人が視線をよこしたのが分かったけれど、次にヨナガの顔に視線が動いて、結局何も話しかけられない。
そんなにひどい顔をしているのだろうか。

カカシはヨナガが居るからか、お邪魔しますと言いながらも呼び鈴を鳴らすことなく扉を開けた。


「ただいま」


かろうじて囁くと、それすら聞こえていたのか、奥から父の補佐でもあるユウタが出てくる。


「おかえりなさい、お嬢様。カカシくんも」

「お邪魔します」


ヨナガの様子に気づいたユウタは任務帰りの二人に蒸しタオルを渡すと、風呂を用意すると言って去っていった。
二人は手足を軽く拭うと靴を揃えて、ゆっくりと中へあがった。


「ありがとう、カカシ」

「別に」


またそっと繋がれた手を、今度はヨナガが引いてお風呂場へと歩く。途中で出会う母側の補佐である女性たちにも挨拶をして、ふらふらと歩く。
心配そうな顔で見られるし、声をかけてくる人も居たけれど、カカシが上手くかわしてくれていた。

湯、と書かれた暖簾をくぐると、ガラス戸をあけて更に中にある「男」「女」のガラス戸を示す。


「そっち。多分タオルとか置いてあると思うから使って」

「どーも」


二人がそれぞれにお風呂から上がると、いつの間に用意されたのか寝巻きようの浴衣が脱衣所に置かれていた。きっと優秀なユウタかユウタの指示を受けた誰かが用意してくれたのだろう。
濃紺に背中には癸の家紋。身内向けのそれを着て居たカカシに、ヨナガは心臓が痛くなった。苦しくて、自分が呼吸を出来ているか心配になった。



二人でヨナガの部屋へ移動すると、ユウタが二人分の食事を用意してくれた。両親はきっともう食べ終わっているのだろう。
気を利かせてくれた誰かが、焼き魚と味噌汁の夕飯は美味しかった。


「ヨナガ、話くらいなら、聞けるけど」


言って立ち上がったカカシに、ヨナガは障子を開けて縁側へ腰掛けた。寒いのでひざ掛けを二人のくっついた膝にかける。


「私ね、オビトが居なくなった時、辛かった」

「うん」

「ウマイが居なくなって…私辛くないんだ」


そう、ウマイが居なくなって感じたのは、辛さというよりも悔しさ。悲しさよりも、恨みだった。


「襲ってきた岩の暗部を二人、私も殺してるのにおかしな話だよね。」

「戦争だから…って言っても、ヨナガは納得できないわけだ」

「うん。誰かが居なくなるのは、嫌だ」


握りすぎて、ひざ掛けに大きくシワがよる。


「私の近くに居る人が居なくなっちゃうのは、無理。辛い。悔しい」

「うん」

「カカシは、もうルールがって言わないんだね」

「…オビトに教わった。仲間を守ることが大切だって。それだけ強くあることが大切だって」


じゃあ、癸の掟に縛られているこの関係は、破綻するのだろうか。
カカシはヨナガから離れていってしまうのだろうか。

そんなのは嫌だ。生きているのに離れるだなんて、絶対に嫌だ。
掟だってなんだって良い。カカシと離れるのが嫌だ。

ヨナガはカカシの両肩をぐっと押すと縁側へ押し倒した。ひざ掛けは、器用にもカカシの足の上に残された。


「じゃあ…癸の掟は?」

「は?」

「私から離れちゃう?居なくなっちゃう?どうやったら…カカシはそばに居てくれる?」


ぽたぽたと、カカシの頬まで涙が伝う。右目だけが驚きに見開かれているカカシの顔に、ヨナガの涙が伝染して止まらない。
好きだとか、初恋だとか、そんな言葉で表現できないくらい、きっと今の自分は醜いと、ヨナガは思った。


「死んじゃ嫌、私から離れ行くのも嫌なの…お願い…どうしたら良い……の?」

「だいじょーぶ」


カカシは食事中も器用に顎に載せたままだった口布を、ぐいっと顎下までさげた。初めてきちんと見る素顔に、一瞬ときが止まる。


「オレはヨナガから離れたりしないよ。オレは未来のお婿さん候補なんでしょ」

「でもそれは癸の…」

「嫌いだったら流石にオレも断ってるって」


涙を拭うように、両手で頬を包まれ親指が目元を撫でる。お風呂に入ったせいか、どちらも高めな体温が心地よい。
嗚咽をこらえきれず、ヨナガは床についていた手を諦めて、カカシの肩へ額をつけた。

涙がぽろぽろと止まらない。
オビトのこと、ウマイのこと。そしてリンとのこと、泣いていたネギマのこと。カカシが言ってくれたこと。
いろんなことが頭に浮かんできて、涙が止まらなかった。





カカシは自分の上で泣きながら寝てしまったヨナガの頭をそっと撫でて、どうしたものかと、ひとまず口布を元に戻した。
失礼します、と声がかかり、襖がゆっくり開かれる。

体勢を変える間もなく開かれた先に居たユウタと、ばっちりと目があう。


「………カカシくん?」

「えっと、これは」


押し倒されているように見えなくもないだろうそれに、意味もなく焦る。大婆様に話が伝われば、暗部に襲われるのは目に見えている。
けれどユウタはふふっと優しく笑うと、二人分のお膳を下げに手を伸ばした。そして一旦廊下へ置くと、障子戸に手をのばす。食事をしていた部屋も六畳ほどあったけれど、障子の先にもヨナガの部屋らしい八畳間が続いていた。


「昨夜、ヨナガさん寝てなかったみたいですからね。カカシ君が居て寝てくれるなら、使用人としては願ったり叶ったりです」

「……ユウタさんも、元忍なんですね」

「ええ、下忍でしたが、ずっと中忍の昇進試験を断っていたんです。そこそこの腕はあると思いますよ。我が家のお嬢様が寝てないことが分かるくらいには」


八畳間に入ると、本当は駄目なんですけどねと言いながら押入れを開き、ユウタは手際よく布団を敷いてく。上の段から出したヨナガのものらしい布団と、もう一組三十センチほど空けて敷く。
流石に衝立くらい出してほしい。と思ったけれど、癸としてこれはセーフということなのだろうか。

カカシはヨナガを起こさないように起き上がると、一旦膝の中に収めるように抱き直して、それから布団へと移動した。


「このまま泊まっていってくださいね。」

「ありがとうございます。」

「おや」


布団へおろそうとしたヨナガの手は、しっかりとカカシが着ている浴衣を掴んでいて、離してくれそうにもない。
カカシはヨナガが泣いていた内容を思い出すと、反対の手でぐいっと布団を引き寄せた。ユウタも意図を汲んでくれたのか、楽しげに笑うと「おやすみなさい」と言い残して出ていった。茶碗が揺れる音がしたので、お膳を持って御厨へ行ったのだろう。


「おやすみ、ヨナガ」


結局離れすぎると寝づらいので、諦めて同じ布団へ潜り込むと、存外温かいヨナガの体温で眠気を誘われ、しっかりとした眠りに落ちることができた気がした。
起きた時近くに居ないとまた泣かれそうだと、心で言い訳をして、途中でヨナガの手が離れても同じ布団で眠ることにした。













2019/05/31 今昔




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