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※読みにくいので、今剣の台詞も漢字で書きます



寒桜が、ふわりふわりと無い風に吹かれるようにして舞い降りている。本丸の縁側から見える景色に、早苗はなんとなく形容し難い悲しみとも切なさともつかないものが胸にこみ上げるのを感じた。どうしてだったか、昔、この景色を見たことがあるように感じられたのかもしれない。もしかしたら、実際に今まで生きてきた中でこの景色を見たのかもしれないし、己の魂というものが何回か生まれ変わる中での出来事かもしれない。でもひょっとしたら、気のせい、というのが一番ありえるようにも思える。
政府から支給されている緋袴も、最初こそは糊のよく効いたピンとしたいかにも新品といったものであった。今や程よく柔らかくなっており、「自分のもの」といった感じがして早苗は好きだ。けれど同時に、自分が政府のものであると実感されてしまい、吐き気をもよおすものでもあった。


「あるじさま、そろそろお昼の時間ですよ。」


てとてとと、自分のものよりも少し軽く聞こえる足音を追いかけるようにして、近侍の声が飛んできた。
軽い、というのはきっと彼の前の主から、烏天狗の才能を引き継いでいるからなのだろう。そうでなければ、こんなにも多くのものを背負っている彼の足音が軽いはずはないのだから。


「そうですね、みなさんをお待たせできませんから」

「今日は『くりすます』の『でなあ』を用意したって、燭台切が言ってましたよ!早く行きましょう!」

「はい」


当たり前のように差し出された手をとって立ち上がると、今まで外気から遠のいていた足の後ろ側がとんでもなく寒いように感じられる。おなごは体を冷やしてはならぬというのに、なんと不摂生なことだろうか。脂肪は冷えやすい。少し鍛えて筋肉を付けるべきだろうか?はたまた薬研に頼んで漢方でも処方してもらおうか。
今剣はぶるっと寒さを堪えた早苗が止まったことに気づいたのか、気遣わしげな顔でこちらを覗き込んできた。


「どうしました?」

「いいえ、少し…思ったよりも寒かったので」

「駄目ですよ、主。ぼくに隠し事だなんて」


幼い容姿に騙されがちであるが、今剣も最年長に部類される刀剣であるということか。早苗の些細な表情の変化に聡いのは、石切丸や小狐丸と同じかそれ以上だ。


「また、政府から嫌な文がきたのですか?」

「ええ、まさしくです」

「…もしかして、刀剣を閨に誘えという、おかしな指令のことですか」


分かっていたように言う今剣に、早苗はほうっと息を吐いた。勝手に政府からの文を覗くことは例ひ近侍であってもすることはないので、恐らくは他所の本丸の刀剣からうっすら聞いてしまったのだろう。
早苗が寒さも気にならぬほどに庭を見つめていたのは、まさしくその指令のせいであった。

神と交わる。神と人の子であれば神隠しのリスクも抑えられ、しかも霊力も神気も持っているのだから審神者としての能力も高くなるはずだ。という理論のもとで、政府からいくつかの本丸を抜粋して指令がくだったのだ。
刀剣を選び、方法は問わないので閨へ誘い子をなせ。表現が「褥を共に」でなかったのは、政府の心遣いだろうか?否、心遣いができる政府上層部であればこんな指令はしないはずなので、文を打った担当者のせめてもの心遣いだろう。ただ子を成すためだけに交わるのではなく、せめて好いた相手と愛し合って…という表現にも見える。

そもそも女性というのは霊力が安定しないのが一般的だ。
男性よりもよりいっそう、月の巡りに影響を受ける女性は、霊力の圧力のようなものが不安定なのである。そもそも古き時代には月のものは穢れとしてあつかわれていた。そこに観点を置いてみても、女性の審神者は希少価値が高いことが分かる。
その中でも神と交わって生きていられる審神者、それがごくわずか居たそうで、さらに希少価値の高まってしまった女性審神者に早苗も分類されてしまったのだ。


「私は…ヒトの身でありながら、カミである皆様を戦場へと送り出す任を背負っております。神殺しに等しい罪を、すでに犯しているのです。それなのに、何故に神聖なる皆様と交わることができましょう」

「主さまを慕う…恋慕の情を抱いている刀剣も、居るはずですよ。気づいていないなんてことはないでしょう?」

「……ええ、恐れながらも、一期一振様にお慕いいただいているのは存じております。」

「ならば、政府からの任務を受ければ、罰則を受けることもなのではありませんか?ぼくは、主さまが罰を受けるのは嫌です。しかるべき手段を持ってして、政府に抵抗します」


今剣が握った手が、ぎゅっと強められた。


「他にも、何か思うことがあるのでしょう、主さま?」


恐れ多かった。今剣にこんなにも気遣われていることが。嬉しかった。
どうしようもない悩みを打ち明けて聞いてもらえるだけでなく、早苗の味方であることを口にしてくれたのだ。これ以上に嬉しいことなどあり得るだろうか?


「欲を言えば…好いた殿方とともに在りたいと願います。私は……私だけでなく他の指令を受けた方もきっとそう!このように政府の命で貶された身でありながら、カミと交われなどと!どれほどの屈辱でしょうか…私は……皆様にはせめて、縁のある方と出会っていただき、人の身を得て良かったと思って欲しい。それだけなのに」


決壊したようにこぼれた言葉の途中から、早苗が立ち上がるのを助けた今剣の手は、早苗の背中に回されていた。伸びないはずの彼の身長が、少し高くなったように感じた。彼の身長はこんなにも高かっただろうか。可愛い可愛い、早苗だけの近侍。修行から帰って、本当に早苗だけのものになったと宣言する彼。とても頼りがいのある胸元に感じられ、早苗は両手できゅっと着物を掴んだ。


「なら、ぼくが引き受けます」

「っ……どういう…?」

「ぼくをずっと近侍にしているのは、何故ですか?初期刀でももっと強い刀たちでもなく、短刀という、場合によってはとても弱いぼくを近侍にするのは、何故ですか、主さま?」

「それは…初めての出陣で出会った……大切な刀だから」

「主さまにとって、初期刀よりも大切な。神威も高く霊幻新隆で名高い他の三条の者ではなく、ぼくを選ぶのは、どうしてですか?」


真面目な口調から一転して可愛らしく首を傾げた彼の顔は、たしかに早苗よりも高い位置にあった。


「それ…は、私が貴方様を」

「ぼくを?」

「お、お慕い…しているから……」


です、と小さく付け加えると、途端に唇が重なった。彼の生まれた時代では口吸いはとても重要な意味を持つのではないだろうか。などということが頭を駆け巡った瞬間、体がカッと熱くなるように感じられた。今剣の神気が流れ込んだのだと分かったのは、今までの決してよくはなかった視力では見えなかったものが見えたからだ。今剣の肩越し、物理的に庭の遠くまで見えるだけではない。霊力の流れがよりはっきりと感じられるのだ。
本来切るということが性分である刀剣の付喪神が、人間を眷属とするには色々と手順が必要なはずだ。真名も当然ながら、神気を流し身体に馴染ませる。人間の身体では、神の神気に耐えられない場合も多いので、眷属化はとてもむずかしいとされている。


「今剣…なに、を?」

「さあ、あとは真名を教えてください。さっさと政府に『神と人の子はなせる』と証明し、そして逃げてしまいましょう。」

「けれど、政府にも多くの付喪神様がいらっしゃるのです。勝てるとは思えませんし、何よりあちらの神々も主の命でおなじ付喪神を切るというのは…」

「他の本丸の審神者…できれば主さまと同じ命を受けた審神者に文を送れますか?好いた刀剣の眷属になってしまえば、例え政府の審神者、呪術師、妖術師、陰陽師であっても手出しはできません」

「…しかし、今剣。貴方様は、私などを……」

「恋慕の情を抱いている刀剣も、居るはずですよ。気づいていないなんてことはないでしょう?さっきもいいました」


少しぷっくりと頬を膨らませた今剣に、早苗ははっと息を呑んだ。
なにも、あの少し怖いくらい早苗に執着している一期一振やへし切長谷部だけではないのだ、早苗を好いているは。自ら修行を申し出て、早苗だけの刀剣であると彼はずっと前から言ってくれていたのに。


「ぼくは、主さまだけの刀です。ぼくの真名は、既に主さまも知っていますよね」

「三条小鍛冶宗近の作、今剣」

「ぼくにも、主さまの"名前"を教えてください」


早苗は一度頭の中で考えた。本名ではなく、真名を。彼に教えてしまえば、政府からの圧力に怯えることもなく審神者として生きていくことができる。この戦いが収束したら、早苗が自分で神域を作り出し、今剣に閉じてもらえばいい。そうすれば、ずっっと共に在ることができる。


「私は−−−−−-----














2016/12/14 今昔









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