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「えっ」

また驚きの声が漏れてしまった。


「なんで、私の名前……?」

悪人面の男の人が、ぐっと眉を顰める。
え、なんで?余計怒った??

混乱が頭の中を駆け巡る。すっごい目付き悪いけど、なのに、なんでか分からないけど目を逸らしてはいけない気がした。じっと見つめあったまま、どうしようかと考える。
目つきは凄い悪いけど、何故か怖いとは思わなかった。

「えと、とりあえず、腕……」

そう言うと、男の人は何かを思い出したかのようにぱっと腕を手首を話して「悪ぃ」と謝ってくれた。
その案外しおらしい態度に、別に怒ってるわけじゃなかったのか、とほっとする。

「ぶつかって悪かったな」

「いえ、むしろすみません、まさか人が居ると思ってなくて、ちょっと早歩きしすぎました!」

へらりと笑って謝る。それより、

「なんで私の名前知ってるんですか?」

私の顔を見て、すっごい驚いていたようにも見えた。どこかで会ったことがあっただろうか、
……でも、なんだか独特な雰囲気を持ったその人は、私がこれまで出会ってきた人とは全然違うオーラみたいなのを持っている気して、
こんな人なら、どこかですれ違ったとしても覚えてそうなものだ。全く記憶にないから、多分初めて出会うはず。

なかなか答えてくれない男の人を見上げて、首を傾げる。男の人は、ほんの少しだけ目を細めて、それからゆっくり息を吐いた。

「……ソレ、」

指を指したのは、私の首からぶら下がった入館証。

「あ」

そこには、ロビンさんの文字で私の苗字と名前がきっちりとならんでいた。
なるほど。と納得する。

「見ねぇ顔だと思ってな、」

どうやらその男の人は、ぶつかった私が見ない顔だったから不審人物かと疑ったのだろう。で、自然と入館証に目がいって、その時に私の名前を見た、ということか。
頭の中で出来事を整理してもう一度納得。

このまま怪しまれるのも居心地が悪い、と事前にロビンさんが『誰かに呼び止められたらこう説明してね』と教えてくれていたように、自分がここにいるそれっぽい理由を伝えると、興味無さげに「そうか、ご苦労だな」と返ってきた。

「じゃ、ここの学生じゃないんだな」

「はい…」

ロビンさんの機転に感謝してほっと息を吐く。私一人ならば、意味わからないことを口走って余計不信感を与えてしまう所だった。せっかく勉強場所の確保のために取り計らって貰ったのに騒ぎにしてしまっては面目立たなすぎる。

ぶつかってしまったことをもう一度謝って、それではとその場を離れようとする。と、

「おい」

「…?はい、なんでしょう」

予想外なことにその人は、もう一度私を呼び止めてきた。


「何を探してる?」

「へ?」

「だから、何をここで探してたんだ」

私が聞き返したのは、言葉が聞き取れなかったからじゃないんだけどなぁ、と思いつつ、素直に植物関係の図鑑を探している旨を伝える、と、

「……それならここじゃない」

「え、そうなんですか」

「ここにあるのは医療関係の植物だけだ」

なんと。

それは有難いことを聞いた。私が探しているのはどちらかと言うとお花とかの栽培方法とかそういうのが書いてあるような本だったので、想像以上に私は見当違いな場所を歩き回っていたようだ。
お礼を伝えてもう一度その場を去ろうとした所、男の人が「こっちだ」と言いながら歩き出す。
きょとんと立ち尽くしてその姿を目で追えば、振り返った男の人が、「案内する」ともう一度分かりやすい言葉をくれた。

どうやらその男の人は、たまたまぶつかっただけの私が本を探すのを手伝ってくれる、らしい。

「ここに来るのは初めてか」

「はい!なので、正直凄く助かります」

「高校生か、」

「そうです!大学ってすごいんですね、図書館だけで、こんなに建物が大きいなんて」

「ここは国内有数の総合大学だからな」

歩きながらされる会話は存外軽やかなものだった。すっごい悪い目つきに似合わず、面倒見のいい人なんだなぁ、と感心する。

いや、どちらかというと、子供みたいにキョロキョロしながら軽いステップで見当違いな場所を歩いていた私を見兼ねて手を焼いてくれたのかもしれない。

「また何回か来るのか?」

「また来ていいと許可貰いました!流石にその先輩が居る日に限ると思いますけど」

そう伝えると、ふむ、と男の人は考えるような素振りをみせてそれから少しだけ機嫌が良さそうに、ほんの少しだけ口の端を上げた。
表情があんまり変わらないので、本当のところ何を考えているかは分からない。だから、なんとなくそう見えたってだけだ。

それからもぽつぽつ他愛もない話をしていたら、探している図鑑がありそうな本棚にたどり着いた。私がさっきまで居た場所とは全く場所が違ったので、案内して貰えることになって良かったと改めて思う。

「ありがとうございます!すっごく助かりました…!」

ぺこりとお辞儀すれば、何故かその男の人は、ふっと声を出して笑った。え、なんで、と驚くよりも先に、その笑顔に目を奪われる。

「いや……元気だなと思ってな」

私が呆然と見つめていたからだろう、笑った事をかるく謝られた。いや、べつに不快だったとかそうじゃないんだけど、何故か、その人の笑顔を、ずっと見ていたいような気持ちになったのだ。

初めて湧き出た気持ちの理由が分からなくて首を傾げる。なんだ、これは。


「じゃ、あ、私は戻るので…」

「あぁ」

頑張れ、と、その男の人はぽん、と私の頭に手を置いた。この人、初対面なのに、不思議な距離感の人だなぁと思う反面、何故かその行動に対して不快感を感じない自分に驚いた。むしろ少し安心する気もする。

変わった人だなぁ。
見送る背中をじ、っと見つめる
と、不意にその背中が振り返った

忘れてた、と一言呟いて、


「俺の名前は、ローだ。ここの学生。」


医学部な、と付け足して。後ろ手に軽く手を振った。


ロー、と口と中でその名前をころがす。
妙にしっくりくる響きだ。


そっか、ローさん、あの人は。

なんで名乗ったんだろう、その行動の理由はよく分からなかった。



この時、私はこの先に待ち受ける運命なんてなんにも知らなかった。
この日、私の世界は、やっと動き出したのだ。



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