小説 | ナノ



7時頃、神楽ちゃんが起きてきた。慌ただしい足音が響いて、銀ちゃんも起きた。9時になろうかというときに新八くんが来て、しばらくすると「全部銀ちゃんのせいアル!」という絶叫とともに神楽ちゃんが定春を連れて階段を駆け下りていった。古い建物だから2階の様子が手に取るようにわかる。ほとんど衝動的に万事屋を飛び出したわたしは、行くあてもないのでお登勢さんが町内会の旅行で不在の間だけ合鍵を預かっているスナックお登勢に逃げ込んだ。灯台もと暗しというやつだ。一人(と一匹)で出ていった神楽ちゃんを探しに行こうかと悩んでいるうちに、玄関の引き戸の音と二人分の足音、「なまえさんに愛想尽かされたら万事屋はおしまいですよ! 聞いてるんですか銀さん」と新八くんの咎める声が聞こえてきた。
新八くんにあんなふうに言われて、銀ちゃんがどんな顔をしていたかとか、この期に及んでそんなことばかりを気にする自分がいやになる。カウンターに突っ伏してため息をつく。電気をつけたらばれてしまうので、店内は太陽の光がわずかに差し込んでいるだけで薄暗く、それがまた心を萎縮させる。
別れたいわけではない。ただ、今朝も5時に起きて洗濯をして、朝ごはんの支度に取り掛かる前にテーブルの上に無造作に置かれた小銭と紙屑が目に入り、酔っ払って帰ってきた銀ちゃんのいつもの悪癖に呆れながら、それを片付けようとした。何気なく紙屑を手に取ると『スナック大奥』の文字が目に入り、その裏に電話番号が書かれているのを見た途端、何かがプツンと切れてしまった。銀ちゃんが飲みに出かけることも夜のお店の女の人の名刺も、今に始まったことじゃないのに。
誰もいない万事屋に戻り、想像していたのとは違う光景に少し驚いた。洗濯物は干されているし、朝ごはんもきちんと作って食べ、フライパンや食器などの洗い物も済んでいる。わたしが居なくても家事が済んでいることを褒めたいような、むしろ切ないような。
憂さを晴らそうと思えば方法はいくらでもある。お妙ちゃんでも誘っていつもより豪華なランチをするとか、昼間からお酒を飲むのもありだし、買い物も悪くない。ちょうど初任給で買った財布を替えたいと思っていたところだった――ああ、ホストクラブに行ってみるのもいいかもしれない。どうせ腹いせだし。
ところが、両足はソファに向けて歩き出し、そこに腰を落ち着け、やがて横になって目を閉じた。ここで昼寝をする銀ちゃんの足は向こう側からはみ出すけれど、わたしの身体はすっぽり収まった。背骨を曲げて膝を抱える体勢をとると、あっけなく眠りに落ちた。


最初の覚醒は銀ちゃんが帰ってきたときだった。玄関の引き戸の音で眠りから呼び戻され、銀ちゃんがわたしの姿を確認して安心したようなため息をもらすのを聞いて、また眠った。二回目は身体を丸めていることによって生じた少しのスペースに銀ちゃんが無理矢理座ったときだった。このまま寝続ければ目覚めたあと身体が悲鳴をあげるだろうとわかっていても、微睡みからはそう簡単に逃れられなかった。三回目でやっと身体を起こした。銀ちゃんは「おかえり」と「ただいま」を続けて言った。おかしな挨拶、と思いながらわたしも同じことを言った。

「神楽ちゃんは?」
「預けた」

つまり、今夜は二人きりということになる。スナックお登勢も休業中のため、本当の意味でわたしと銀ちゃんの二人きりだ。
壁掛け時計を見て、もう日が沈む時刻になろうとしていることに卒倒しそうなほど驚いた。家事もせずに日がな1日寝ていたということになる。そんな日があってもいいけれど、なんとなく今日ではなかった気がする。

「ごめん、ずっと寝てた。すぐご飯作るね」
「あー、いや、今日は出前でも取ってゆっくりしねェ?」

ジブリ観ようぜ、と『天空の城ラピュタ』片手に銀ちゃんが魅力的な提案をする。言葉こそないが、それが銀ちゃんなりの謝罪だということはすぐにわかったので、ピザが食べたいと言って受け入れた。
銀ちゃんは病院で注意を受けるほどの甘党だが、甘いものと相反するところに位置するはずのビールも日本酒もウイスキーも、とにかくお酒はなんでもよく飲む節操なしだ。ピザとビールなんていう最高の組み合わせに始まり、この国の人なら誰でも知っているであろうあの有名なセリフの場面を過ぎてすぐにわたしたちはお互いに凭れかかるように眠ってしまい、午前2時に目が覚め、夕方に沸かしておいたぬるいお風呂に入り、そこでなし崩し的に肌を許した。


「ねえ銀ちゃん」

テーブルの上の片付けもせずに余ったビールを飲みながら、同じようにしている銀ちゃんを見る。「なんだよ」と答えた横顔は頑としてこちらを見ようとしない。

「なんでこっち見ないの?」

すると、心底渋々といった様子でやっと視線が交ざり合う。
こうなって尚、銀ちゃんはわたしに何を言われるかと身構えているようだ。銀ちゃんに問題がなかったかというと必ずしもそうではないが、いわばわたしが勝手にパンクしてしまっただけで、今回のことは銀ちゃんには不可抗力だったはずだけれど、『スナック大奥』の件はきちんと反省しているらしい。それだけでも、今朝のプチ家出の収穫としては身に余るくらいだ。

「あのー、アレだ、昨日は依頼人のおっさんに付き合っただけだから、あの店のキャスト全員ババァだしお前の思ってるようなことは何もねーから一応言っとくけど」
「でも銀ちゃん年増趣味じゃん」

実際、わたしも二つ年上である。銀ちゃんは大袈裟なくらい眉間に皺を寄せて「はぁ?」と不満気な声を出した。
軽々と、まるで家具を動かして模様替えするくらいの感じで、銀ちゃんはわたしの身体を簡単に持ち運んだ。行先はそろそろ買い替えどきの布団だ。いつの間に敷いたんだろう、と考える。ひょっとすると今朝は敷いたまま出かけてしまったのかもしれない。

「うちの子は綺麗なお姉さんで年増じゃありませぇーん」

照れ隠しに、頭まで掛け布団をかぶった。冷りとしていた布団が、体温でじわじわ温まってくると途端に眠くなり、銀ちゃんが力ずくで布団の端から入ってくるのを咎めることも、なんかもう、どうでもよくなる。

「ねえ銀ちゃん」
「今度は何」

声がすぐそこにある。逞しい腕が、後ろからお腹のあたりに優しく添う。

「明日、朝寝坊してもいい?」
「――好きなだけドーゾ」



目を覚ますと7時だった。洗濯も朝ごはんの支度も済んでいて、銀ちゃんと並んでそれを食べた。9時頃に神楽ちゃんが新八くんと一緒に帰ってきて、「おかえり」と「ただいま」を続けて言った。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -