職員室で渡された書類を右手に、白衣の裾が広がらない程度のスピードを保ちながら銀八は自らの住み処、国語科準備室へ歩みを進める。
新学期が始まってしばらく経っても変わらずのスリッパで、変わらずの速度、変わらずやる気のない顔をぶら下げながら廊下を歩いた。
そんな銀八の足音とは違って、放課後になっても校舎内は騒がしい。
だが、いつもより耳に入ってくる声が多いように感じられ、窓の外を覗く。
そこでは、数十人の生徒と体育教師である月詠がいた。
体育祭の準備なのか彼女は生徒たちに指示を飛ばしているように見える。
各競技に使う器具を体育倉庫から取り出し、予行で使いやすいようにしているのだろうか。
と、思考し銀八は体育祭の予行練習が翌日に迫っていることをやっと思い出した。
体育教師でもないし、運動部の顧問でもない銀八に特に大きな仕事はないのだが、半日もの間グランドで居なくてはいけないと言うことが面倒であった。

(いや、本番よりはマシなんだけどね)

だが、予行が明日と言うことは体育祭本番も近づいてきているのである。
そのことに少し憂鬱になり、銀八の歩くペースはより一層落ちた。
猫背で歩くその様はさながら叱られた子供のようで滑稽であったが、銀八は周囲の目など気にしない。
どうせ見ていたとしても文化系の部活の生徒だろうから元気がない仲間だろ、と勝手な思考回路で失礼なことを考えていると、視界にあるものが入った。
あ、と銀八の口から思わず声が漏れる。
ここから見える隣の校舎は銀八の担任する3年Z組である。
そこに誰かがいた。
放課後に教室で何かをする許可は出していないぞ、と銀八は歩みを早くする。
許可を出すどころか申請さえ来ていないはずだ。
そのまま廊下を直線に進み、右に90度折れる。
手前から4つ目の教室にはやはり生徒がいるようで、窓に人影が映っている。
下を向いているため顔までは見えない。
ガッとドアの持ち手に指をかけ、一気に引く。

「せ、先生?」

中にいたのは受け持ちのクラスの土方だった。
土方は急に現れた銀八に驚いているのか、手は止まり目が見開かれている。

「あのね、放課後に教室に残って何かする時は先生の許可を取りなさい」

放課後に担当している教室で何かあった場合は担任教師の責任になる。
よって基本的に断っているのだが、こう勝手にされては敵わない。
今回は真面目な土方だからよかったがこれが騒がしい連中だったらと思うと恐ろしかった。
面倒事はごめんなのである。

「やる気のない先生のことだから言ってもどうせ許可は出ないかと思って」
「…断られるってわかってて残るとか何それ、いじめ?」
「次からは許可とりますよ」

土方は至極面倒だと言う表情をしながらも次回からの約束を受け入れた。
銀八はそんな土方に頷き、彼の前方の席に座る。
腰を下ろすと視線も何もかもが下に下がる。
そうしてわかることがあった。

「なんでこの部屋こんな暑いの?」

立っていると開けられている窓からゆるく風が入ってくるのを感じられたが、座ってみればほぼ感じない。
銀八はもともと緩めていたネクタイを更に緩め、手で扇ぎ中に少しでも風を入れようとする。
だが、湿気の高いこの空気の中そんな小さな努力では何も改善はできなかった。

「放課後はクーラー切られるからでしょ」

その言葉に銀八は職員室や準備室とは違って教室は節約にうるさいのだった、と土方を憐れみを持って見つめた。

「先生の権限でどうにかしてくださいよ」
「こんな先生にそんな権力あると思うの?」
「まぁ、ないでしょうね」

ため息混じりに応えながら土方は机の上のプリントの山を整える。
そこにはカラフルな色付きのもとと大量の白黒印刷の2種類が積まれていた。
銀八は首を傾げる。

「と、言うか多串くんはそんな暑い中、何やってるの?」
「誰が多串ですか、土方です」
「ヒジカタくんは何をやっているのですか?」
「体育祭のプログラムのホッチキス止めですよ」

ほら、と土方は色が付いた方の紙を見せる。
そこには『銀魂高校 体育祭』と刷られていた。
色付きの紙は表紙と裏表紙で、中身がモノクロらしい。
表紙に中身を挟み、端を整え、ホッチキスでバチンと止める。これが土方のしていた作業だった。

「あれ?土方は風紀委員じゃなかったっけ?」

自分の記憶との食い違いに銀八はまたまた疑問を覚える。
生徒のことはだいたいは覚えているはずだから、これに間違いはないはずだ。

「そうですけど」
「これ体育委員の仕事じゃないの」
「これは、体育祭委員の仕事です」
「体育祭委員?」

体育祭委員会とは体育祭ためだけの短期の委員会であり、活動は体育祭のある5月だけである。
よって他の委員と被っていても委員会に入ることは許可されるのだ。

「この前先生がホームルームが長引くの嫌だとかで『5月2日だから、出席番号が5.2番の多串くんで』とか訳のわからない理由で決められましたけど」
「あー、そんなこともあったっけ?」

教室に入ってからの銀八は首を傾けっぱなしな気がする。
面倒な体育祭の委員なんてどうでもいいと思ったのか、終わりたい事情があったのか、と過去の自分を振り返るが何も思い出せない。

「ったく覚えてねぇなんてひでぇ教師だな」

土方は心底そう思っているのか、心がそのまま顔に出ていた。
銀八はそんな歪んだ顔を見たくはないが今さら何もできない。
委員は土方で決まっているし、クーラーを付けてやる権限もない。

「うーん、がんばってる多串くんには冷たいジュースでもあげよう、かと思ったけど持ってないからアメあげる」

ごそごそと白衣のポケットを漁ると指に小銭とアメの包装紙が触れた。
迷わずアメを2つ掴む。

「…アメなんていらねぇよ、ジュースくらい下の自販機で買ってきてくれてもいいだろ」
「この銀八先生が糖分を人にやるなんてめったにないことなんだぞ」

チョークを触ることになれたカサカサな指先を上に銀八は手のひらのアメを土方に近づける。
だが、彼は受け取ろうとしない。

「ものすごくレアなんだからな」

自分で押し付けておいてレアも何もないだろう、と自覚しながらも銀八はにぃと笑い、受け取らない土方に向かってぐいぐいと手を近づけていく。
その指先が土方の鼻に触れそうになっと時、しぶしぶ土方は手を出した。

「……ありがとう、ございます」

無理やり押し付けられたものに感謝を言うのは癪だが、ものをもらい礼をしないのは土方のモラルに反する。
渋々といった表情で言われた礼に銀八は大きな声で笑った。

「何て言うか、おめぇはバカなのな」
「アァ!?」
「そう言うストレートなとこだよ」

土方は以前にも誰かに言われたことがあるのか、反論すらできずに俯く。
それによって現れたつむじは銀八の手のひらを誘っているような、位置にあった。
銀八は大きな音を立てて椅子から立ち上がる。

「…5月ってのはうざいなぁ、ぽかぽか通り越して一気にむしむしすりゃあ」

右手に持ったプリントで顔を扇ぐ。
手よりはましなそれだが、やはり起こされる風など微々たるものであった。

「っつーことで、先生はジュースを買いに行ってきまーす」

左手を白衣のポケットに突っ込む。
ジャリと小銭が入っていた。
ああ、白衣を着ているから暑いのだと銀八は納得し、教室を出た。






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