3.
 テーブルにはいつものように誰が作ったかはわからないが、食欲がそそられる匂いを漂わせた料理が並ぶ。初日から遠慮などはなかったが、銀時は今日もそれをすることなくぺろりと食べきった。
 どの料理も美味なことは当然で、そしてそのどれもが適温であった。
 スープは舌を火傷しない飲みやすい温度、サラダに入っている葉物の野菜も萎びていることもなく、だが水気はしっかりと切られており、そこにのせられたゆで卵もまさか温かいままと言うことはない。
 メイン料理もナイフですっと切ることができる高級そうな肉や新鮮な魚介類で、テーブルのパブリックスペースにはカスターセットが置かれているがそれらを使うことはなかった。使わずとも味は銀時好みであり、ましてや最近までは飢えを凌ぐことで精一杯だけであったため文句などあるわけがなかった。
 デザートのプディングまでを食べ終わり、銀時はスプーンをテーブルに伏せた。膝にかけたナプキンで口元をぬぐう。

「ごちそうさまでした」

 小さな声でだが、はっきりと告げるのは向き合っている土方だ。銀時もそれに続ように命への感謝を口にした。
 すぐに食卓を立ち去って先日までのように屋敷探検に繰り出してもいいのだが、前の一件があってからは食後も少しその場に残り二人で会話することが増えてきている。銀時は食後のコーヒーにこれでもかと言うほどミルクと砂糖を足し、それを飲みながら、テーブルを指差した。

「ねぇ、土方は洋食が好きなの?」

 銀時がここに来てもうずいぶんと経つが、夕食どころかいつの食事も洋食以外が出てきたことはない。料理は土方が作っているのはないのだろうが、主人である土方の好みに合わせて出されているのだろう。
 では、土方は和食よりも洋食の方が好きなのだろうか、と尋ねてみたのだが、予想に反し、土方の返答はそうではなかった。

「いや、別にそういうわけじゃ…、和食が食べたいのか?」
「あら?そうなの?あ、いやまぁ文句を言うつもりはねぇがたまには和食もいいかな、と」
「ただ、…この食器がある、から」

 和食は明日にでも、と零しながら土方は皿の淵に描かれている柄を指でなぞる。その白い皿には金色の糸のような細い線で模様が描かれていた。
 銀時は自分の皿を見る。同じく揃いの皿には金の柄の内側にアンペラトリスが描かれている。その青色のバラはとても土方に似合っていると思った。

「この食器?」
「お気に入り、なんだ」

 自分の気に入りだからと土方は使い続けるだろうか。彼はそういった拘りが薄いように見えるのだが、と銀時は顔色を窺う。そして思い当ったことがあった。
 彼の心に深く入っているのは、きっと彼女だ。

「…ミツバさん?」

 その名を出すと土方は小さく頷く。彼女を思い出しているのだろうか、その遠くを見つめるような眼をした表情は見ていたいものではない。

(あれ?見ていたい表情って何だ――?)

 銀時は思考を振り払うように首を振って、テーブルの上を見渡す。そして並んだものにいくつか気付いたことがあった。

「ミツバさんは西洋の人か?」
「……髪の色や瞳とか、全体的に色素は薄かったが」

 だが、出身地は知らない。と土方は付け足す。銀時はスプーンの柄の背を指先で撫でながらそれを聞いた。

「この屋敷の調度品をあつらえたのは?」
「ここにあるものはほとんどが彼女の趣向だ」
「そっか、だったらミツバさんにはフランスの血が入ってたのかもな」

 カトラリーの置き方がフランス式だ、と銀時は笑った。フランス式ではスプーンやナイフと言ったカトラリー類を下向きに伏せてセットする、丸みを美とする意識がある。そしてそれらはすべて銀器で揃えられていた。
 銀時は彼女のことをよくは知らないが、土方の様子からその人となりは想像することができる。
 優しい、バラの花が似合う人だったのだと、勝手に予想する。まるで彼を護るようにこの屋敷をとり囲んでいるバラのような、守護者のような存在。

「…お前は?お前も髪の色が明るいが、日本人か?」

 日本人らしい艶やかで真っ黒な髪を持った土方は、銀色を示した。銀時はガシガシと髪をかき乱す。色はそこそこ気に入っているのだが、髪質は目の前の男のようにストレートに生まれたかったものだ。

「日本人だよ」
「そうか」
「うん、日本人」
「オレは、どうだった、かな…」

 土方は人差し指をくちびるにあて、悩む。あるいはそれは悩む素振りなのかもしれない。
 そして何かにはっと気付いたように、口を開いた。薄く弧を描いたくちびるで紡ぐ。

「忘れるほど生きたんだった、か…」



4.
 テーブル自体は昨日までのままだが、その見た目はがらりと変わっていた。真っ白だったテーブルクロスは洗朱色に変えられ、それはテーブル全体ではなく一人分の大きさだ。そして、向かって左手には白米が入った飯椀、右手には漆器でできた汁椀。中身は味噌汁だろうか。焼き物は鰆の柚庵焼きなのか、柚の香りが銀時の食欲をそそる。
 またその奥右手には春キャベツの浅漬け、左には小鯛の昆布しめがあった。

「どうした?座れ」

 テーブルの上を凝視したまま動かない銀時に土方は声をかけた。彼はもうすでに腰を下ろし、茶を入れているところである。
 目の前の料理と合わない豪華な椅子を少し後に引き、銀時はゆっくりと座る。確かに和食が食べたいとは言ったがここまでは予想していなかった。

「ちょっと、びっくり…」
「料理がか?」
「うん、昨日言ったばっかなのにちょう豪華で…」
「お前が食べたがったから」

 土方はただ銀時が和食を食べたいと希望を言ったのでそれを用意させただけであり、それをここまで驚かれては困ると言うものだ。とは言っても銀時の顔を見る限りは厭っている様子ではなくただ単に困惑しただけのようだ。その証拠に座ってからはもう箸を握り、食べる準備は万端だ。土方はふっ、と口元を弛めながらに口を開いた。

「いただきます」

 土方はすぐには料理に手を付けず、箸を持ちながら銀時の様子をこっそりと窺う。大口を開けて鰆を食べているところだ。歯が見えるほどに開かれた口に、本当に和食が好きなのだな、と土方はそこでようやく自分の皿に手をつけた。
 最初に口入れた味噌汁は豆腐と揚げとわかめと言ったシンプルな中身だ。合わせ味噌と、煮干しの香りが鼻をくすぐる。

(おいしそうに食べてくれて、よかった)

 これらを作ったのは自分ではないが、そう安心した。
 だが、『安心』と言った自分にふと違和感を抱いた。食事はこの屋敷唯一の楽しみになりうるものだろう。土方は銀時に一切の外出を禁じていた。庭への散歩は許可してあるが、それ以上は許していない。
 もう長年ここで暮らしてきている土方にはその苦痛はもはやわからない。だが、食事くらいは好きにさせたい。と、考えたのは銀時相手が初めてだった。
 『銀ちゃん』と、呼んだことはまだない。

「あー、ちょっと、相談があるだけどさ…」
「なんだ?」

 言いにくそうな銀時の顔に、嫌な予感はした。

「…なぁ、帰っちゃだめか」

 予想していたこととは言え、その台詞は鈍器で殴られたような衝撃を持って土方にぶつかった。
 
「仲間を呼ぶのか?」

 仲間を呼んでオレを殺すつもりなのか、見世物にするつもりなのか、と土方は問うた。
 どうしてここまでもてなしているのに、何が不満なのだ。どうしてここにただいてくれると言うことをしてくれないのだ。
 どうしてオレを置いて行こうとするのだ。
 どうして殺そうとするのだ。
 ただ静かに、彼女のバラと過ごしたいだけなのに。

「いやいやッ!ただ生きてるから心配するなって顔出してくるだけ」

 表情の陰った土方に向かって銀時は大きく手を振った。

「……家族か?」
「家族はいねぇけど、家族みたいなやつがいて、さ」

 銀時は少し目を伏せ、照れたように頬を指で撫でる。『家族のような者』を思っているのだろうか。
 それはすなわち、かけがえのない大切な人だと言うことだろう。土方は彼女を思い出す。
 彼女がもし生きていたら、とあり得ない仮定を想像する。もしそうであったらば会いたい。

「なぁ、だめか…?」
「……仲間を呼ぶんじゃなかったら、ここに…、帰ってくるなら」

 おそらくここで銀時を村に帰せば、もう屋敷には帰ってこないだろう。もしくは、仲間を引き連れて屋敷に攻め込んでくるかもしれない。野獣である土方を殺すためか、捕えるためか。理由は知らないが、おそらくそうなるだろう。
 だが、それでも土方は銀時を止めることができなかった。
 こんなことは初めてであった。
 それはきっと銀時が彼女を理解しようと、してくれたからだろう。

(ミツバ、ここで銀時を殺せば、お前にもう会えないような気がするんだ)

 死んでしまった人間とは再会することなどできないが、銀時を殺せば彼女は自分を許してくれない気がした。
 死んだ人間に意志はない。それはただ土方の理想を彼女の言葉に勝手に置き換えているだけだ。ただの自己満足で、ただのエゴだ。
 銀時に生きてほしいと思っている自分がいた。

「…帰ってくる約束として、バラを摘んで行ってもいいか?」

 銀時の言葉の意味がよくわからず土方は首を傾げた。

「おめぇの大切なバラだろ、だからちゃんと持ち帰る」
「…人質にしては逆じゃねぇか」
「いや、人質ってなら確かにおめぇが俺のものをなにか預かるってのが普通なんだけどさ」
「じゃあなんだ」
「ちったぁ、信用してくれよ」
「信用?」
「そ、信用。信用して、俺をいったん解放しよう?な?」

 『解放』
 ここにいることを囚われと称すのか。土方は椅子を引き、立ち上がる。

「わかった。お前を『解放』しよう」



5.
 その日、土方は初めてバラに鋏を入れた。真っ赤な花をつけたそれを銀時に託す。彼はこれが枯れるまでに帰ってくると宣言した。
 帰ってくるだなんて思ってもいないが、土方はわかったと頷く。

(彼女の加護があらんことを――)

 屋敷へはそうそう人が訪れることがない。つまり村からは来にくいところに存在するのだ。逆もまたしかり。
 どうか、彼が無事に大切な人のもとに帰れますように。土方はそう祈りながら背中を見送った。
 翌日から、また孤独が始まった。無言で起床し、無言で食事を摂る。料理の頻度は洋食と和食とが半々であった。そこに唯一銀時の残り香を感じた。
 だが、それ以外は以前のままだ。一人で庭に出、バラを眺めるだめの生活。庭中のバラに水をやり、その表情を確認する。何とも代わり映えのない日々に逆戻りだと思った数日後、そこに異常を発見した。
 バラの花びらが散り始めている。
 最初のそれは庭の隅から始まった。地面に赤い花びらを見つけたのだ。このバラには彼女が使えるはずがなかった魔法がかかっているのか、決して散ることはなかった。
 そのバラが1枚、また1枚と散っていく。それは1日ごとに1輪のバラが消えていった。
 銀時に渡すために切ったからだろうか。
 どんどん散っていくバラに土方は何もできなかった。もう彼は魔法を使えない。バラを助けることはできなかった。

(全て散ったら、死ねるのかな)

 散りゆくバラに土方はそう感想を抱いた。体の中を廻る血が、野獣となった今でも赤いかどうかはわからないが、はらはらと散っていくバラはまるで血のようだ。

(それはちょっと、怖いな…)

 怖い?
 土方は自分の思考に引っかかりを覚えた。尽きることのない寿命にうんざりとしながらも、彼女が愛してくれた命を粗末にもできなくて自ら命を絶つこともできなかったのだから、死が訪れることは喜ばしいものではないのだろうか。
 バラに手を伸ばす。棘に指が触れたが、そこから血が流れることはなかった。その手を左の胸にあてる。ドクンと鼓動が聞こえた。

(ああ、生きていたいのか…)

 土方は自らの心境の変化に驚きつつも、当然のことのように受け止めた。
 これは彼のおかげだと断言できる。
 だからこそ彼を行かせたのだ。生きてほしいと思ったから。

***

 最後の1輪が朝露に光る。それを土方はテラスに座って見つめていた。もう体は動かせない。酷く重く、熱かった。視界に入った自分の腕の血色の無さに驚く余裕ももはやない。
 瞼すらもう重く、開けていられない。眠かった。
 ギィ、と門が開く音がする。バラがなくなって味気ない屋敷になってしまったここをあの男はどう思うのだろうか。その感想が聞きたかった。
 いつか一緒にバラを植えてはくれないだろうか。魔法は使えないからすぐに散ってしまうだろうが、それでも毎年毎年、一緒に育ててくれないだろうか。
 そんな夢を描いてみる。
 すると夢から現れたのか、彼がそこにいた。あまりに自分に優しい展開にくすくすと声を出して笑ってしまう。

「そ、んなっ、きれいな顔、隠してたのかよ」

 涙ぐみながら男は笑った。そのぐしゃぐしゃな顔を笑ってやろうと、手を伸ばしたが、届かない。ならばせめて言葉で伝えてやろうと口を開く。

「おかえり、銀ちゃん」

 全く違う言葉が出てしまった、と人の姿で男は笑った。
 その目からははらりと涙が一筋零れ落ちる。頬を伝うそれは人の体温のように暖かかった。


6.
 テーブルの中央に花瓶が置かれた。1輪だけそこには飾られている。
 そのバラが枯れることはなかった。



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