「かんざし?」

近侍は三日くらいで適当に交代していた。
そこには何の決まりもなく、誰も特に不満を言わなかった。

「あぁ。あんたに」

一日で交代することが多かったが三日ほどに伸びることもあったし、次は誰に、ということも指示したことはない。
刀剣同士が次の近侍を指名していたようだったが、私はその実態を把握してはいなかった。
誰が近侍でも文句などなく、積極的に仕事をしてくれれば勿論有難いが、あまり乗り気でなくてもそれなりに楽しく、本人はやる気なのに上手くいかないこともあったりして面白かった。
次は誰がどんな近侍をしてくれるのかとそんなことが日々の楽しみとなっていたりもした。

「……え、っと」

そんな折、近侍として初めて私の部屋の障子を開けたのはそのごつい手に華奢な簪を優しく握りしめた同田貫だった。
会話という会話を今まで殆どした覚えがなく、二言目には戦に連れてけとまるで人に興味がないなぁとそんな印象しかなかったのに。

戸惑う私の掌を熱い手が突然触る。
ひどく傷だらけの、ひどくかさついた掌は、がさりと私の肌を少しだけ擦って無理矢理その簪を握らせた。

「まぁ、着飾んなくても良いんだけどよ」

ひどく無感情な瞳で同田貫は私を真正面から見つめてそう呟く。
戦にしか興味のない刀だと思っていた。
顕現してから割と長いのに今まで近侍になったことはなかったから、戦以外のことをするのは嫌なのだろうと、勝手にそう思っていた。

「あんたに似合うと思ったから」

恋に、落ちるのは簡単だった。

低くて静かな声がひどくのんびりと私に熱を持たせる。
出陣する時に見る楽しそうな笑顔が嘘ではないかと思うほどの穏やかな顔で同田貫はそう囁いた。
間近にある顔に目が奪われる。
頬の傷、結構深い。
真っ直ぐに私を見据える金の瞳に吸い込まれそうになる。
優しいお香の匂いが心地良い。
こんな匂い、いつもはさせてなかったはずなのに。

同田貫は近侍としてよく働いてくれた。
思った以上になんでもしてくれて私に小言も指示もしなかったし文句の一つも言わなかった。

恋に落ちるのは簡単だった。

一日経って同田貫が近侍を膝丸に交代した時、私は思わず言ってしまった。

「明日の近侍、同田貫に頼めるかなぁ……」

膝丸は少しだけ驚いたように目を丸くしてそれから「昨日も同田貫だったんじゃないのか?」と穏やかに言った。

「……うん、でも、同田貫ともっと話したくて」

膝丸はそう言った私の顔を少しの間眺めていたが、不意に小さく笑って「はは、主の頼みならば断れないな」と呟いた。
そうして翌日からはずっと、近侍は同田貫から代わることがなくなった。

もらった簪は鏡台の上に飾ったまま、結局一度も身につけたことはない。
それについて同田貫が何か言うこともなかったし、翌日にはそんなこと忘れたかのように普通に私の部屋の前で「来たぞー」と呼びかけてきた。
私から誰かに近侍を、と指示したことは今まで無かった。
だから私はその日とてもドキドキしていて、こんな気持ちをつつかれたらどう誤魔化そうと、いやでももうばれているかもしれないとそんなことばかりが頭の中を駆け巡っていた。
けれど私の小さな返事を待ってから障子を開けた同田貫はこちらの気が抜けるほどのぼんやりとした腑抜けた顔で、恐らく顔を真っ赤にさせたまま見上げた私に無遠慮に目を合わせるとひどく淡々と言葉を紡いだ。

「やるよ」

恋に落ちるのは簡単で、それを加速させるのも簡単なことだった。
たった一言、向けられた言葉と、片手に小さくつままれた四葉のクローバーが私に差し出される。

「え、これ」
「珍しいだろ。雑草抜いてたら見つけたから、あんたに」

太い指が細いその茎を私に手渡した。
指先が微かに触れて、私の心臓は驚くほどに跳ね上がった。

「……あ、りがとう」
「布団干してやるからちょっとどいてくれよ。洗濯あれば、まだ歌仙がやり始めたとこだから持ってったら間に合うぞ」

ひどく無表情なのに、ひどく優しい。
その距離感が好きで、たまに気紛れにくれる贈り物が好きで、低く穏やかな話し方が好きだった。

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近侍はずっと同田貫で、それに誰も文句を言うこともなく、同田貫もきっと少しは疑問に思ったのだろうが私に直接何かを言うことも無かった。
同田貫が去った障子を睨みつけて私は目を腫らすまで泣き、そのまま眠ってしまったらしい。

「主ー」

目が覚めたのはもう日も沈みかけていた時だった。
部屋の前で誰かが私を呼ぶ声に起こされ、まだぐらつく頭を慌てて起こしてそちらを見る。
裸で寝ていたからか体は冷たくなっていて、よほど寒かったらしく布団と共に私の体は丸く縮こまっていた。

「起きてる?」
「……え、あ、うん、起きた」
「近侍、俺になったから。夕飯食いにいこーぜ」

愛染くんの声だ。
飄々とした楽しそうな声が待ちきれないとばかりに投げかけられる。
本当に近侍、同田貫じゃなくなってしまった。
自分から言ったくせにひどく身勝手なことを思って、もしかしたら同田貫が近侍をし続けてくれるんじゃないかと勝手に期待して、またそんな自分が惨めになる。
布団から少しだけ顔を出した自分の酷い有様にため息をついて、私はのっそりと布団から出た。

「今日の夕飯は炊き込みご飯だってよ。あとねぇ、豚汁とかぼちゃの煮物と、あとーー」

愛染くんの楽しそうな声が響く。
鏡台に映る自分の情けない格好と、飾られたままの美しい簪が目に入った。
あんな簪が似合う人であれば良かったのに。
鏡に映った自分は裸なのに何の魅力もなくて、掠れた喉が、また少しだけきり、と痛くなった。


皆がわいわいと騒ぐ大広間に、愛染くんの後をついて恐る恐る入る。
同田貫と会うことが気まずく、でも姿を見たいと騒ぎ立てる心臓が穏やかでない。
今、さっきのことを撤回すればまた近侍に戻ってくれるのだろうか。
いや、戻ってはくれるだろう、でも私と同田貫の距離は近侍と主としての距離でしかなく、私の惨めな日々がただ伸びるだけだ。
つまらない問答が延々繰り返されてもう感情はぐちゃぐちゃだった。
俯いたまま広間に足を踏み入れると、私の焦燥などお構いなしに皆はいつも通りに楽しそうに賑やかに夕飯の準備を進めていた。

「俺も手伝ってくる!主、座って待ってて」
「え、あ、うん」

愛染くんは粟田口の面々が揃う方へさっと行ってしまい、私は一人、広間の入り口に残された。
机の上にはもうほとんどの器が並んでいて、微かに昇る湯気が食欲をそそった。
どこに座ろうか、と小さく視線を動かすと、部屋の隅の方に同田貫を見つけてしまった。
こんな時でもまだ無意識に同田貫を探してしまっていることに恥ずかしくなり、私はあえて同田貫から一番離れた部屋の隅に座る。

それなのに、耳が拾おうと探すのは同田貫の声で、視線は必死にそちらを見ようと忙しなく動いた。

「じゃあ不動な、やれよお前が」
「えー俺かよ!もっかい公平に決めようよー!」
「公平だったろぉー文句言うなよ」
「インチキだったじゃないか!皆んなして俺を騙して」
「あー、じゃあ俺もついてってやろうか」
「御手杵、お前甘やかすな。不動が負けたんだから不動がやんだよ」
「そうさ、公平な勝負だったんだから。アタシ右の端にあるあれね。待ってるよ、不動」
「くそー、同田貫も次郎も!ひどいや!」

こんなに離れているのに、こんなに離れたはずなのに。

「はは、負けたお前が悪い」
「同田貫はひどくねぇよ。不動、文句言わずにやれ」
「ぐ、日本号まで……!」

同田貫が笑う声が聞こえた。
私と一緒にいる時は笑ったことなんかなかった。
いつも無表情で、いつも少しだけ眉を歪めるだけで、嫌がることもなかったけれど楽しそうにすることもなかった。

見なければ良いのに、私の瞳は同田貫をちら、と盗み見た。
槍の面々と不動くんと次郎さんと楽しそうに笑いながら、同田貫は私のことなど見向きもしない。
戦ほどではないが、そんなに楽しそうに笑う姿にずきりと、私の胸は痛んだ。

「頼むぜ。今日は久々に酒が飲めるんだからなぁ」

近侍を外した方が同田貫にとっては嬉しいことだったのかもしれない。
もう呑んでいるのか、上機嫌に綻ぶ顔は僅かに頬を染めていて、上がった口角から白い歯が見えた。

そうだよ、私なんかに縛られていない方が同田貫にとっては良いに決まっている。
出陣が彼にとっての最優先事項で、その他のことはほとんど興味なんかないんだ。
私がいなければ出陣出来ないから私を主と呼んで従うだけで、それだけのことなんだ。
それだけのこと、初めから分かっていたはずなのに。

机に並べられた箸を持ち、置かれていたカボチャの煮物を小さくつつく。
箸の先についたそれを口に含むと、しょっぱくって泣きたくなった。

自分が流した涙の味が不味くて、今更、泣きたくなった。



気紛れの意味を




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