街はいつもの通り賑わっていて、久しぶりに紛れる人混みに私は少しだけ身構えた。

「ん」

言葉ともつかない言葉に同田貫の方を見ると、掴んでおけと言うことなのだろう自身の肘を少しだけ張って、私を横目で見つめている。

「うん!」

嬉しさに勢いよく返事をし、思い切りそこを握りしめる。
同田貫は私が両手を絡めたのを確認してから、ゆっくりと歩き出した。
こんなのもう他人から見れば私達は恋仲どころか夫婦ではないだろうか。
そわそわと周りを見回しても勿論私たちに目を向ける人などおらず、けれどそれが余計に、私達が連れ添っていることが極自然なことだと思えて嬉しくなった。
ちらりと同田貫を窺うと少しばかり眉間に皺を寄せてなにやら皆に頼まれた買い物のメモを眺めているようで、その滑稽な真剣さに愛しさが募っていく。

昔ながらの市場には店も人もごった返していた。
以前来たのは1ヶ月も前のことで、けれどたった1ヶ月の間に新しい店がたくさん並び、その目新しさに私は終始きょろきょろと視線を動かした。
いつものように熱気と活気に溢れた道はとても狭く、私は同田貫の肘に自身をぴったりとくっつけて自分でも分かるほど上機嫌に浮かれていた。

「そこのお二人さん」

不意に私の視界を遮るように伸ばされた手に、思わず足が止まる。
呼び止めたのは恰幅のいい女性で、にこにこと満面の笑みを浮かべたまま有無を言わさず私の前に綺麗な口紅を一つ差し出していた。

「ご夫婦かい?若いから恋人?」
「え、あ、」
「ほら、これ、試してみて。あとね、この白粉も」

差し出された物をつい受け取ってしまった私に、同田貫が眉を顰めてまっすぐ睨んでくる。
だって断れないんだものこういうの、と心の中で呟き、半ば無理やり待たされた口紅を女性の横の棚にそっと置いて愛想笑いで誤魔化そうと歩を進めると、その女性が回り込むように顔を近づけてきた。

「お姉さん、もっと綺麗になんないとすぐ旦那様に愛想尽かされちゃうよ。うちのこれも、これも、あ、ほら、これも!おすすめだよ!ちょっと待ちなって、お姉さん!そんな顔じゃあ、旦那様に相手してもらえないよ!」

ぎゅ、と同田貫の肘に力を込める。
同田貫はひどく無感情にその女性に一瞥をくれると、俯いた私を守るように反対の手を頭に添えてくれた。

「どうせ夜相手してもらえてないんだろう?つまらなさそうな顔されちゃって、あんたが可哀想だから言ってあげてるのに!ほら、この香水!すぐその気にさせちゃうから!」

ぐい、と私の頭を自身に抱き込むようにした同田貫から、いつも部屋に焚いているお香の優しい薫りがした。
耳に入る喧騒と、私に突き刺さる金切り声のその言葉に、ぐ、と喉の奥が苦しくなる。
喜びで跳ねていた心臓はすぐさま不愉快な痛みに変わり、きつく締めすぎた帯が今更に窮屈になった。

そういうふうに見えるのか。
私は、そういうふうに見られているのか。

「気にすんな」

同田貫の低い声がゆるりと落ちてきた。
意気込んで出した着物は私には派手すぎたのかもしれない。
着物と帯の組み合わせがやはり悪かったのかも。
それより、やはり拭ったはずの口紅が私には不釣り合いだったのか。
それとも、なんだろう、なぜだろう。
どこがだめで、どうしたらいいのだろう。


--------------


終始俯いたまま買い物を終わらせ、逃げるように自室の障子を閉める。
部屋の隅に立てかけられた姿見が私の情けない姿を哀れに映していた。

着物、やっぱり似合ってない。
帯の結び方も下手だし、こんな上等な物やはり私には分不相応だったんだ。
気付けば丁寧に結んだはずの髪もゆるく崩れているし、必死で我慢していた涙のせいで顔は無様に歪んでいる。

口紅も似合ってない、拭いたのに、変に赤く浮いていて馬鹿みたいだ。
それよりもう少し眉の形が整っていれば。
もう少し鼻が高ければ。
目が小さくて嫌いなんだ、もっと可愛く、綺麗に、生まれたかった。

好き、と一度言えば、同田貫が私を愛してくれるくらいに。

何十回伝えても、あしらわれることなどないくらいに。

鏡の前に立ちすくんだまま、私は無理やり髪の毛を解いた。
ぶちぶちと気持ちの悪い音と共に髪の毛が切れ、そのまま視界を覆い隠す。
きつく締めた帯を懸命に緩め高価なそれを放り投げた。
可愛くて好きだったお気に入りの着物も今ではなんとも幼稚で頭の悪い柄にしか見えなくなって、私はそれを床に落としたまま裸で布団に潜り込む。
顔を突っ伏して息を潜めていると、私の後を追って同田貫が障子の前に来たのが分かった。
「おーい」と、ひどく間延びした声を響かせた同田貫は、障子を開けはせずに穏やかな声で続けた。

「茶ぁ、いらねぇのか」

目頭に熱いものが込み上げてくる。
惨めだ、本当に惨めだ。
ぐ、と締め付けられる喉に力を込めて、私はなんとか声を振り絞った。

「いらない」

同田貫は少しの間黙り込み、それから長いため息をついた。

「気にすんな、って。あんなばばあの言うことなんざ」
「……でも、事実だから」
「事実じゃねぇだろ。家出る前亀甲に言われてただろうが」
「……そんなの」

そんなの、違うの。
言葉にするのも億劫になって私は唇を噛み締めた。
同田貫はまた、淡々と続けた。

「高価な化粧品買わせるための下手な文句だって。あんな売り方してりゃあ、来月にはいなくなってるさ」
「分かってる、けど、でもやっぱり、傷付く」
「そんななぁ、外見なんか気にすんなよ」
「外見だけでも気にしないと、同田貫は私のこと見てくれないから!」

至極淡々と告げられた言葉が、あの女性に投げつけられた言葉より痛かった。
布団から顔だけ出して思わず叫ぶと、障子の前に薄く見えるその影がゆるくゆれたのが分かった。

「……好きなの。好きになって欲しいの。私と同じくらいに私を想って欲しいの。だからちょっとでもよく見てもらいたくて、努力して、でもそれを否定されたら」

素肌にかかる布団は冷え切っていて、体を包み込んでくれているはずなのに冷たかった。
貧相な胸が腕に触れる、なんでこんなに、私はどこをもっても何の魅力もないのだろう。
あと何度、好きと伝えればいいのだろう。
何度でも伝えようと意気込んだ気持ちが急速に消えていく。
何度伝えてもダメかもしれない、考えたくはなかった考えが強く強く頭をもたげた。
努力を、した気になっている自分に吐き気がした。

「……もう私、諦めなきゃいけないのかなぁ」

二人で並んで歩けば仲の良い恋人に見られるかもしれない。
離れてもいかない同田貫は、私のことを嫌ってはないのだしもしかしたら振り向いてくれるかもしれない。
きっと人間として嫌われているわけではない、足りないのは女っぽさか、だとしたら努力すればいつか見てくれるかもしれない。

あの女性の言葉が思い出される。

「つまらなさそうな顔されちゃって」

あの言葉が真実だ。
他者から見た私と同田貫の関係性だ。
私だけが一人浮かれて、同田貫はつまらない顔のままで。
戦場から帰ってきた時のような、豪快な笑顔は私のものにはならない。
私に向けられるのはいつもこの、平穏で穏やかな優しい声と、淡々と変わることのない関係と、無感情な瞳だけ。

私は言葉を落としたまま、障子の外の影をじっと見守った。
もういい加減受け入れなきゃならないのかもしれない。
でなければ、あまりに自分が惨めで愚かで消えたくなるから。

影はゆら、と少し動くと、迷うように障子に手がかけられる。
ギシ、と小さな音が僅かに響いた。

「それはあんたが決めてくれよ」

同田貫の抑揚のない声がゆったりと響いた。

「ただ俺は、あんたに向けられる恋慕の意味が分からない。そんなもの、寝言だ」

いつか聞いた台詞がまた風に乗って残酷に私に届いた。

「……寝言じゃないよ」
「寝言なんだよ。あんたが俺に抱く物は、全部夢と同じだ」
「……そんなこと、ない」
「じゃあなんで俺に執着する?なんで俺と恋仲になりたいと願うんだ。他の刀より普通の出立ちしてるから、交じりたいだけのあんたの捌け口に丁度いいと思ったんじゃないのか。それを愛だの恋だのと、あんたが無理矢理思い込んでるだけじゃねぇのか」

珍しくその言葉尻は少し興奮したようにきつくなりながら、同田貫は今まで思っていたのだろう冷たい気持ちをやっとぶちまけた。
その酷く悲しい、頑なな言葉に、私の気持ちはようやく、涙を流した。
きっと何を言ってもこの距離は変わらない。
私の気持ちが変わらないのと同じように、愛を信じない同田貫の気持ちも変わらない。

私は目を瞑って小さな声で呟いた。

「……近侍、別の人に代わって」

同田貫はまた少し黙ってから、何事もなかったかのように静かに呟いた。

「分かった」

揺れていた薄い影が、やっと私の部屋の前から離れた。
何の躊躇もなく、簡単に。





平行線に暇乞い




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