体がすっきりと軽くなったのはそれから三日経った朝のことだった。
嘘のように消えた寒気や気怠さに私は首を捻り、久しぶりに見た気のする朝の光をぼんやりと瞳に映す。
喉が渇いたなぁと思っていると、障子の前から声がした。

「入るぞ」

抑揚のない声は確かめるでもなく同田貫のものだと分かっていたから、私は返事をせずそのまま障子を見つめる。
言葉の後少しだけ間を置いて、それはゆっくりと開かれた。
伏目がちに私の部屋の中を見た同田貫は、不意にばちりと目が合った私に少し驚いたような顔をした。

「顔色、良くなったな」
「うん。喉乾いた」
「水でいいか」
「お茶、飲みたい」

同田貫は手際良く私の周りに置かれていた布巾やぬるま湯の入った桶を片付けると、私の我儘を聞き流しながらすぐそばに膝をつく。
服はいつものものに戻っていて、いつの間にか腹の包帯も無くなっていた。

「お茶はなぁ、あんたあれだろ、いつものがいいんだろ」
「うん、そう。え?もしかして、」

私に少しだけその顔を近づけた同田貫は確かめるようにじっくりと私の顔を見て、それから私の額に強く、手を当てた。
僅かに首が後ろに持っていかれそうになったがなんとか踏ん張ると、「熱、下がったな」と同田貫が息を吐きながら穏やかに言う。
緩められた瞳が優しくなって、それだけのことなのに私の気持ちはまた、ぐらりと熱を持つ。

「切らしてんだ。買いに行ってきてやるよ」

この三日間付きっきりで看病してくれた。
別に大した風邪でもないはずなのに、同田貫はことあるごとに私の様子を見にきてくれて、話したい時にはそばで黙って話を聞いてくれて、何か欲しければすぐに用意してくれて、そうやって甘えさせてくれた。
応えてくれないのであればいっそ突き放してくれればいいのに、と思いはするが口には出さない。
だってそれを言ってしまえばきっと、同田貫は私に触れてくれなくなる。
私の望みを叶えようとしてくれるのだから、突き放してくれと言えばその通りにするのだろう、きっとまぐわうより簡単なことだ。

桶を持って徐に立ち上がった同田貫の服の裾を思わず掴んだ。
私にはもう、ただずっと、真っ直ぐに気持ちを伝え続けるより他にはないのだから。

「私も行く」

不自然な体勢のまま動きを止めた同田貫は、私の顔をまた窺うようにじっと眺めて無感情にのんびりと呟いた。

「寝てた方が、いいんじゃねぇか」
「ううん。もう全然、平気だから」
「黙って待ってた方がいいと思うけどなぁ」
「一緒に行きたいの。デート、したい」

その言葉に同田貫は少しだけ眉を歪めて、長いため息をこぼした。
面倒臭いという感情をわざとこちらに向けているような、そんな冷たい瞳が向けられる。

「デート、なぁ……」

無意識に私の顔は真っ赤になり、口元は抑えきれないほどの笑みになってしまっていた。
同田貫の他人事のような言葉に慌てて顔を取り繕おうと両手で押さえ込むと、やっと解放された同田貫は障子へとするりと逃げてしまった。
思わず追い縋ろうとした手が宙に投げ出される。

「……支度、できたら呼んでくれよ」

私を見下ろして同田貫が静かに、そう言った。
いつもの無感情のはずなのに、僅かに瞳が細められる。

「うん」

私はそう返しながら、ごめんね、と心の中で呟いた。
好きでもないのに迫られ続けて、とうとう同田貫も嫌になってきたのかもしれない。
でもどうすることもできない。
私はそう開き直って、萎みかけた気持ちを無理やり作った笑顔に奮い立たせた。


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三日間まともに食べていないせいで腰が細くなったように思う。
お気に入りの着物を取り出し、一張羅の帯をきつめに締めて鏡の前に立つと、まあまあそれなりに見える気がした。
よし、と意気込んで紅を差したが、思ったより毳毳しくなってしまったように思えて慌てて拭った。
ようやく、初めからこんな色です、という可愛らしいピンク色になったそれに私は一人、大きく満足して同田貫の部屋の障子の前に立った。

「同田貫、用意できたよ」
「おー」

同田貫は障子をのっそりと開けて私の姿をその目に入れた。
本人がそういうことに無頓着なことは知っている、が、それでも私は精一杯背伸びして精一杯の決まり顔で同田貫を見つめる。

「あ、ねぇ、どう?」

同田貫は私と一瞬だけ目を合わせるとすぐに私の脇を通り抜け、風が吹き抜ける廊下を進んだ。
慌てて駆け寄ってそう尋ねると、こちらを見向きもせずに「あー?」とやはり、興味のなさそうな声音が響く。

「何が」
「何がって……、ちょっと、痩せたよね私」
「三日も寝込んでたから当然だろ。なんか食わねぇと」
「そ、うじゃなくて、もっとさぁ、可愛いとか綺麗とか、言ってくれても……、同田貫のために頑張って用意したのに」

私の言葉に同田貫は進む足を止めてちらりと振り返った。
必死に隣に並ぼうと急ぎ足だったから、急に立ち止まった同田貫のすぐ横に並んでしまって思わずその肘の辺りに触れてしまう。
殆ど変わらない身長なのに、同田貫は覗き込むように私の顔をじっくりと眺めた。

「俺のために用意するんじゃなくてさぁ、出掛けるためにさっさと用意してくれよ」

冷たい声がひどくゆったりと、私の耳をくすぐる。

「……ご、めん」
「あ、おい亀甲」
「なんだい?」

廊下の先を歩く亀甲くんに同田貫が不意に声をかけた。
声をかけられた亀甲くんは私の姿を目に映すと嬉しそうに微笑む。
私もつられて微笑んでやると、同田貫が私のことを指差して、淡々と言った。

「お前、この格好どう思う」

まるでモノのように。
亀甲くんは嬉しそうに微笑んだまま、頬を少し赤らめて私のことを大袈裟に見つめた。

「え?可愛いよご主人様!いつものご主人様も勿論愛しいけれど今日のご主人様はそりゃもう一段と愛らしく神々しく美しいね……、女神のようだよ。そういえば風邪治ったのかい?」

一気に捲し立てた亀甲くんの言葉を待ってから、同田貫はやっと私と目を合わせた。
金の瞳が真っ直ぐに私を見つめる。
私の言いたいことは分かっているだろうに、引き結んだ唇からは何も生まれない。

「だとよ。満足か」
「……そ、ん、……う、」
「少しやつれたね、ご主人様。僕が美味しいもの作って、」
「今買い出しに行くんだ、いらねぇことしなくていい」

何か言わなければと口ごもった私の言葉に亀甲くんの言葉が重なり、次いで少し大きな同田貫の声が重なった。
空気を震わせた声音にはっとして顔を上げると、けれど表情はいつもの無表情のままの同田貫は私に視線だけを促して歩を進める。
亀甲くんが残念そうに私に手を振って「行ってらっしゃい」と微笑んだ。

「女神は、言い過ぎだよなぁ」
「え?」

ぼそりと言われた言葉に私が小さく反応すると、同田貫は「いや」と言ってから小さく頭を掻いた。

「よく口が回るもんだな、と」

聞き返しても結局声が小さすぎてなんと言っているのか分からず、私は「んん」と適当な相槌を打つ。
離れてもまだ私に手を振る亀甲くんに小さく手を振りかえしてやると、同田貫が「もうほっとけ」と冷たく言い放った。



ひとところの誇大表現




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