血塗れの体が重い。
傷はないはずなのに本丸へと近付く程に足取りは重くなり、視線は地面ばかりを睨んでいる。

「変わっているじゃないか」
「あ?」

いつの間にか隣に来ていた大倶利伽羅が、俺と視線は合わせずにそう言った。

「出陣しているのにつまらない、などと、お前は言わないはずだ」

何故こんなに気怠いのか。
血に濡れた戦装束が重いからだ。
いつものことのはずなのに、重くて重くて仕方がない。
何故か。
分かっているが、分かりたくない。
俺がそんなこと思っちゃいけない。

大倶利伽羅を真っ直ぐに睨みつけるも、こちらを向く気のないその視線を射竦めることも出来ず、大倶利伽羅は俺の言葉を待つように歩幅を合わせた。
不愉快が募る。
こいつと話したくない。
近付いてほしくない。
苛々する。
その理由も、分かりたくない。

「出陣につまんねぇと思ったわけじゃねぇよ」
「じゃあ、何に」

投げかけられた言葉の返事を待たずに、大倶利伽羅は鳥居をくぐった。
淡い光が辺りを照らしその姿は先に消える。
俺はそれを見送って、長い長いため息を吐いた。
重い体を無理矢理鳥居にくぐらせ、淡い光の中目を瞑る。

思い出すのは男の笑顔、女の微笑み。
野盗が俺を握りしめる不愉快な感覚。
女の悲鳴、柔らかな肉の切れ味、生ぬるい血。
それから。


「……おかえり」

それから、あんたの泣き顔。

「……おー」

鳥居をくぐると本丸の門扉へと辿り着く。
普段はこんなところまで来ないはずのあんたは、先についたはずの面々をよそに俺の目の前に突っ立っていた。
避ける方もできず俺はそれだけ言うと、大倶利伽羅が俺に向かってぱくぱくと口だけを動かすのが見える。
何を言ったのか分からず、けれど、そんなのお構いなしにあんたはもごもごと言葉を紡いだ。

「昨日の……、こと」
「……あぁ。大倶利伽羅としけこんでんの、邪魔して悪かったよ」

俺の言葉にあんたは顔を真っ赤にさせて俯いた。
そんなことなど思ってもないくせに出た意地悪な言葉に自身でも驚くが、どうしてだかこの女の傷つく言葉ばかり吐いてしまう。
傷つけたくなどないのに。
上手に距離を取って、その距離感の中でなら互いに安心できるはずなのに。
俺に踏み込んでこようとするから仕方なく冷たい言葉を吐くしかないんだ、俺とどうこうなろうとなど思わないでくれ。
頼むから。

「……そ、んなこと、してな……」
「しろよ。もういいだろ。恋がしたいなら他のやつとやってくれ」

体が重くて仕方がない、のに、こんなつまらない会話をしただけで、あんたが俺を待ってくれたと言うそれだけで、あからさまに足取りが軽くなった。
あんたは俺の救いで、けれどだからこそ、俺が触れていいはずがない。

思い出されるのは女の悲鳴、泣き顔、絶望。

だからこそ、俺が触れられるはずがないんだ。

吐き捨てた言葉に俺は俯いたままのあんたの旋毛にわざと大きなため息をこぼしてやって一歩、足を踏み出した。
ここまで言えばもうこの女が俺を諦めるのも時間の問題だと、思った瞬間に胸の奥がきり、と痛む。
近侍を外されたあの時のようで、俺はそんな自分に小さく舌打ちをした。
ざり、と靴が玉石を踏み締める。
途端、俺の体は柔らかく非力な力に、ぐ、と力強く抱きしめられた。

「……好き」

驚く間も無く、あんたは俺に呟いた。
もう数えるのも面倒になってきた同じ台詞、同じ寝言を。
甘く掠れたその声で。

「……好きだよ」

ぎゅ、と俺の腰に必死に巻かれた腕は震えていた。
視線の先の奴らは俺たちのことなどお構いなしに、もう見える背中も小さくなっている。
は、と小さな呼吸が、僅かに高鳴った胸から漏れた。
俺が、喜んでなどいけないのに。

俺が喜びを噛み締めてなど良いはずがないのに。
俺が幸せを掴めるはずがないのに。
掴んでいいはずがないのに。
思い出すのは女の泣き顔、悲鳴、柔らかな中に突き刺さり生暖かい血を啜る絶望。
武器として使われない屈辱。
ささやかな平穏を失った哀しみ、憤り。

男は女が凌辱され、切り刻まれ捨てられる様をただ見ていた。
見ているしかなかった。
俺を宝だとまで言ってくれたあいつの、本当の宝を、俺が殺した。
俺が初めて斬ったのは、絶対に斬ってはいけないものだった。

体が動かない。
この後どうすればいいのか分からなくなる。
あんたが俺にその少し泣きそうな、少し不安そうな、そうしてひどく穏やかな声でその寝言をいう度、俺はどんな顔をしてどんな風に振る舞えばいいのか分からなくなる。

俺があんたに触れていいはずがないのに。
触れてもいいと、許された気になる。

「……もう、これで終わりにするから」

腰に巻かれた柔らかな暖かさに一瞬思考が止まっていた。
続けて呟かれた小さな声に、俺ははっとして振り返る。
至近距離に、泣きながら笑うあんたがいた。

「もう、言わないから。だからもう、忘れて」

血だらけの俺にしがみついたあんたは、服についた汚い血をその顔と体にべったりとつけてそんな寂しいことを小さく微笑んで呟いた。
徐に俺から離れると、あの日一緒に街に出かけた時着ていた華やかな着物は真っ赤な血に染め上げられてしまっている。
まるで俺が、この女を血だらけにしたかのようで、それはいつも見ていた悪夢のようで、俺はぐ、と唇を噛み締めた。

じ、と互いに互いの瞳を窺い見た。
潤んだ瞳に何を言えば許されるのか僅かにでも考えようとしてしまっている。
そんなこと思ってはいけないと、頭では分かっているのに。

「……嫌なことでもあった?」
「……は?」

あんたは俺にその細くて白い腕をゆるゆると伸ばして俺が自身で噛み切った唇を優しくなぞった。

「出陣だったのに、笑ってないから」

触れていいはずがない。
許されていいはずがない。
俺が愛されていいはずがない。

それなのに、触れられた唇が微かに熱を持ってじんわりと俺の胸を高鳴らせる。

「……、んな、いつも笑ってねぇだろ」
「……そう、だね。うん。あ、私もう、今日から大広間でご飯食べるから。だからなんにも、もうね、何にも気にしないで」

あんたは俺からすぐに手を離すと逃げるように俺に背を向けて歩き出した。
声音は明るさを装って、けれどその瞳からは涙がまだ止まらないのに、健気にそれを隠そうとして。

「もう、同田貫の言うところの、寝言はね。もう、言わないから」

ずきりと、また胸の奥の奥のあたりがひどく痛んだ。

「ごめんね……」

あんたは震える声で小さくそう言って、血だらけの着物で涙を拭った。

手を伸ばせばその背中に触れられる。
だめだ、俺が触れてはいけない。
分かっているのに気持ちはひどく沈み込み、重い体は余計に重さを増した。
分かっているのに、それなのに。
つい、手を伸ばしてその肌に触れ、言ってしまいそうになる。

言ってはいけないその言葉を。



不即不離が歪む




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