悪夢は消えた。
深く眠れるようになり、もう血塗られた手を眺めるだけの夢を見ることも無くなった。

その礼をしようと思ったんだ。
男は女に簪を贈ったことがあり、女はその簪にひどく喜んでいたから。
簪なら喜ぶだろうと、貯まっていた金を持ってあんたに似合いそうなものを長い時間をかけて探して。
買った簪は箪笥の奥にしまいこんだまま、どうやって渡せば良いのか考えあぐねていた時、丁度よく近侍に任命された。
それは突然の出来事で、だから何かに包むような時間などもなく、だから仕方なくそのままあんたに握らせた。

あんたはひどく驚いて、貰ったそれをただ眺めていた。

簪なら喜ぶと思ったのに。
男の真似をしてみたが人間は思ったより簡単じゃないらしい。
殆ど無理矢理持たせた簪を結局あんたはつけてはくれず、言葉にならない声と共にそれは鏡台の上にそのまま置かれた。
まぁ、けれど、俺が俺のためにやったことだからこれでいいかと、そう納得しようとしていたのに。

「俺が近侍?」

近侍は大体一日から長くても三日ほどで交代していた。
だから俺もそれに倣って初めての近侍を丁度24時間で終わらせ、一番初めに目についた膝丸へと引き継いだ。
その翌日の早朝、膝丸はわざわざ俺を探して本丸の中を歩き回っていたようで、俺の姿を見つけると安堵したようにゆるく笑った。

「あぁ。今すぐ行ってやってくれないか」

俺は馬小屋の周りに広がった雑草を何人かで抜いている最中だった。
疑問は口から上手く言葉にならず、その柔和な顔を俺は少しの間ぼんやりと眺めてから「……分かった」と短く告げた。
ブチ、と図々しく咲き誇るシロツメクサを抜いて、俺は徐に立ち上がる。
分かった、とは言ったがよく分からない。
主、と呼ぶべきあの女は、そういうことに今まで一言も注文をつけたことなどなかった。
それなのに、何故。

連続で近侍に任命される理由が見つからない。
何かミスでもしたのだろうか。
あまりに他の奴らより出来なかったから、もう一日ちゃんとやれということだろうか。
自分ではそれなりにこなしたつもりだったが、あの女にとっては満足できるものではなかったのだろうか。
悶々とする考えに結論など出ず、手の中に握りしめたクローバーをその辺に放り投げる。

あぁ、でも、もう一度話ができるのなら、何か。

簪では喜んでくれなかった。
これなら喜ぶかもしれない。
男もこれを女にやっていたことがある。
男はそれを見つけるのが何故か得意で、雑草を抜きながら何本も女にそれを持たせていた。
そうだ、と、俺は改めて地面を見回し、見つけた四葉のクローバーを丁寧に抜いた。
こんなもの、と言われたら、突然呼ばれたからこんなものしか用意できなかったと言い訳しよう、と、そんなくだらないことを決めて。

閉められた障子の前で一度大きく息を吸い、それを細く長く吐き出した。
声をかけると小さな返事が聞こえたから、俺はゆっくりとそれを開ける。
部屋の中には俺を窺い見るあんたがいて、その表情はどこか切羽詰まったような、どこか、一昨日とは少し違うようなそんな気がしたが、俺は手に握りしめていたクローバーを差し出した。

それは俺の贖罪だった。
そして、あんたへの礼だった。
俺を大切にしてくれたのに、切り捨ててしまったことへの。
俺の心を軽くしてくれたことへの。

あんたは俺の指から恐る恐るその細い茎をつまんだ。
僅かに触れた指先がじんわりとぬくくて、その柔らかさががさついた俺の肌を撫でる。
何を言われるだろうかと身構えていると、あんたは泣き出しそうな顔をみるみる真っ赤にさせて大袈裟に眉を下げた。

「……あ、りがとう」

小さな声が耳を抜ける。
こちらにまで移りそうな程頬を染め上げたその顔に、ぐ、と胸が締め付けられるように痛んだ。

男が女を愛していた意味が、やっと分かった。


--------------


「こいつら、なんなんだろうな」

突き立てた刀に、けれど死にきれもしない検非違使は、呻き声を上げながら血だらけの腕を俺の足へと伸ばした。

「この辺も検非違使増えたよなぁ。鬱陶しくて嫌になるよ」
「いいから、さっさととどめを刺してやれ、同田貫」

記憶の中にあるつまらない絶望が、あんたが消してくれたはずの気持ちの悪い罪悪感が、最近また日に日に大きくなっている気がする。
野盗に良いように使われ続けたあの屈辱が忘れられない。
いや、忘れてはならない。

ザク、と肉を切り裂く音が心地いい。
わざと急所を外してまた一太刀、検非違使の肩へと突き刺すと、そいつは化け物の癖に惨めな悲鳴を上げた。

「……こいつら、悪人だったらいいなぁ」

もう一度刀を抜く。
背骨の横へとゆっくり、刃を押し込めてやる。

「悪人の生まれ変わりだったら、いいのになぁ」

ぐ、と力を込めると、検非違使が苦しそうに呻いた。
気持ちの悪い悲鳴。
醜い体。
お前らが悪人であればいいのに。
そうすれば、俺が殺した沢山の女の無念も、少しは晴らしてやれるかもしれないのに。
容赦なく何度も何度も、その背に刀を突き刺した。
ぐり、と刀を捻って肉を抉る。
断末魔を上げながらそれでもまだ死なない検非違使は、俺の足元で無様に体を縮こまらせて、ヒュ、と小さな息を必死に吸った。

「おい、同田貫、やりすぎだ」
「どうした、らしくないぞ」

その光景はまるで、野盗に組み敷かれながら泣く女のようで。

長谷部と御手杵が俺の肩に強く触れるまで、俺は自分の口を噛み締め過ぎて血を流している事にも気付かず、検非違使をただ嬲っていた。

「同田貫!」

御手杵が珍しく怒ったような声で俺を呼んだから、俺はため息をついてその喉に、やっと救いを突き立ててやる。
ビクリと大きくのけぞったそいつは、そのまま動かなくなった。

「これでいいんだろ」

刀についた血を払う。
振り向いて笑ってやると、皆が怪訝な顔で俺を見つめていた。
なんだその顔、辛気臭ぇ。
辛気臭ぇ、鬱陶しい、苛々する。
苛々する。

「……同田貫、」
「うるせぇなぁ、文句言うなら俺より殺してみろ」

大倶利伽羅の言葉を遮ってそう吐き捨てると、大倶利伽羅はぐ、と言葉を呑み込んだ。
刀を鞘に乱暴に収める。
ギン、と耳障りの悪い音が響いた。
動かなくなった検非違使を大股で跨いで歩き出すと、それぞれも仕方なく俺に続いた。

「……あぁー、つまんねぇなぁ……」

苛々する。
最近ひどく、苛々するんだ。




再三再四、延々と




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