寝言だ。
それなのに、あんたは懲りずに俺に言う。

「綺麗な刀ですね」

一番初めの記憶は、俺を手にしてそう微笑んだ女とその女の笑顔に心底嬉しそうにはにかんだ男の表情。

男は特に力もない貧乏な侍だったが、偶然に助けた人が藩主の要人で、そのせいで分不相応な屋敷に呼ばれ殊勲として俺を与えられた。
藩主は人気があるからと俺を買ったがあまりに味気ないその造りにすぐ興味を失い、俺を埃だらけの蔵に押し込めたまま忘れていた。
褒美を取らせねば顔が立たないがこんな奴に高価なものを与えるのも惜しい。
そう考えた藩主は俺を思い出し、さも貴重なものだと無垢な男に吹聴して俺をあてがった。

男は俺のことを知っていて、藩主の意図にも気付いていた。
けれどこんなに高価な、強い刀を、と大層喜んで、うきうきと男の嫁に見せたのだ。
男の喜んだ顔に嫁である若い女も頬が落ちそうになる程柔らかに笑って、二人で俺に触れてそう言った。
綺麗な刀、だなんて、言われて嬉しくも無かったが二人があまりに嬉しそうに俺を見つめる日々が長く続いて、まあこういうのも悪くはないかとそう、諦めにも似た考えが大きくなっていく。
俺を小さくボロボロの家の一等綺麗な床の間に仰々しく飾り、寝る前に二人で俺を微笑みながら眺める、そんな穏やかな毎日に満足してもいた。

「この刀をこの家の宝にしよう」

男は、毎日のように俺にそう言った。
結局、俺を振るうことは一度もなかった。
たまに手入れをする時にだけ触れられ、傍には嬉しそうな男を嬉しそうに眺める女がいて、それが俺にとっての当たり前になって。

そんな日々が終わったのは戦の火が街に降り注ぎ、混乱が続いていたそんな時だった。
もしかしたら戦に行けるかもしれない。
男と女が不穏な情勢を憂いている横で俺はやっと使われる時が来そうだと期待していた。
やっと振るわれる、やっとこの身を試される。
切るために生まれた、早く俺を使ってくれと、届かない声をずっと上げていたように思う。
その時は突然訪れた。

「この刀は、いい刀じゃねぇか」

混乱した世の中、統制の効かなくなる秩序に、野盗の集団がこの辺鄙な村を襲った。
集団で押しかけられてしまえばこの村に抗う力など微塵もない。
男の家にも野盗は押しかけてきた。
男は女を庇って必死にその前に立ちはだかっていたが、勝利を確信した野盗達はすぐには殺さず、錆びた刀や槍で男を嬲り笑っていた。

俺を使え

必死に叫んだ。
男の腰に差された二本差しは、使い込まれた古い刀と護身用の短刀で、そんな鈍じゃそいつは切れない。

俺を使ってくれ、戦いたくて仕方がないんだ
あんたの役に、やっと立てるんだ

野盗は床の間に飾られた俺を見つけて汚い顔を更に歪ませて笑った。
太い腕が俺に伸びる。

「触るな!俺の宝に!」

男は何の力もないただの貧乏な侍で。
初めて聞いた男の怒号は、すぐに野盗の手下に竹槍を突き立てられ気持ちの悪い呻き声へと変わった。

「俺が使ってやるよ。刀も、お前の女も」

卑しい笑いが響く。
複数の野盗が男と女を囲み、俺はそいつの右手に握りしめられた。

切りたい
戦いたい
早く俺を使ってくれ

カチャ、と刀身が鞘から抜かれる。
その瞬間はいつ味わっても気持ちがいい。
手入れのされた刀身が、俺をいつも笑顔で見ていた二人の、絶望した表情を映した。

いや
待て、違う
待ってくれ、違うんだ
こんなことを望んでいた訳では

男は片目が潰れていて肩から胸は抉れていた。
立っているのもきっと奇跡としか言いようのないその出立ちで、必死に後ろに隠しているのは男の愛する、女で。
俺を綺麗だと言ってくれた、女。


……初めの記憶は、俺だけのものだ。
沢山の同胞が様々な運命を辿った。
名誉あることを成したもの。
戦の中満足して散ったもの。
壊されるためだけに在ったもの。
不本意なものを切らされ続けたもの。
そのどれをも共有できるが、俺が辿った道は俺だけの記憶として、他のどの記憶よりも生々しく、頭からこびりついて離れない。

俺が初めて斬ったのは。



「待って」

白くて細い腕。
俺の頬に伸びるその腕は、いつも微笑んでいるあんたへと繋がっている。

「血、ほっぺから出てるよ。はい、手入れ札」

俺を真正面から見つめる女が、こんな、すぐにでも壊れそうな女が、今の俺の主だなんて。

「……あー、こんなの、唾つけときゃ治る」

俺の言葉にあんたは一瞬きょとんとして、それから花が咲き乱れたように明るく、楽しそうに笑った。

「だめだよ。綺麗な顔に傷跡、残っちゃうよ」

手渡された札は俺の胸の前に遠慮なくずい、と押し付けられる。
何がそんなに楽しいのか、下げられた眉と細められた瞳が柔らかに俺に向けられ、赤く染まる小さな唇がへらりと緩んだ。

「……傷は元からあるだろ」
「え、あ、確かに。でも、その傷は綺麗だもの」
「綺麗じゃねぇよ」

野盗はその後も次々と村を蹂躙し、女を組み敷くために俺を使った。
俺は戦になど行ったことがない。
ただ、女の身を斬り刻み、抉り、泣かせ、その血を啜っただけ。
俺を綺麗だと言ってくれたあの女を斬っただけ。
その感覚が、まだこの手に残っているんだ。

「綺麗だよ。だってその傷は、同田貫の証でしょ」

押し付けた札はとうとう俺の手に無理矢理待たされ、あんたはそう言ってまた一層微笑んだ。

「名誉な経験も、辛い経験も、色んな経験を全部背負ってくれてるんだもの」

細い腕が頬へと伸びる。
暖かな指先が優しく俺の痛みをなぞった。
ふわりと、俺の中にある何かが軽くなったような、そんな気がした。

「だから、同田貫は、綺麗だよ」

きっとその言葉に本人は大した意味など持たせてはいなかったのだろう。
俺の返事も待たず簡単に俺に背を向けたあんたは、俺があんたのその一言にどれだけ救われたのか考えることもない。
睨んでも睨んでも、傷だらけのがさついた掌には血の跡などなくて、それなのに両手が血に塗れる夢で毎朝目が醒める。
そんな途方のない自責はその日以降まるで嘘のように俺から消えた。
頭の中に強く残っていた記憶を、あんたが、塗り替えてくれたんだ。




瑣末な記憶




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