鏡台の前に座り髪を梳かす。
見慣れたつまらない顔を撫でても変わることなどなく、私はため息をついて腰を上げた。
いつもは朝起きると同田貫が部屋の縁側に座ってぼんやりと庭を眺めていた。
眠い目を擦りながら「おはよう」と言うと、気怠そうに「おー」と返事をしてそれから、「朝飯食いに行くか」とのんびり立ち上がる。
優しいお香の匂いが好きで、私が歩き出すのを待ってから進むその優しさがこそばゆくて、大好きだった。

繰り返される日々に同田貫はいなくなった。
初めて近侍をしてくれたあの日以前のように、会話などすることもなく、目を合わせることもない。
私は大広間で食事をすることをやめ、部屋で一人で食事をするようになった。
広間に行くと同田貫はいつも楽しそうに笑っていて、そんな姿を見ることに耐えられなくなったから。
そうしてしまえば余計に同田貫を見ることもなくなり、私の日々は淡々と味気のない、つまらない平穏へと戻った。
第一部隊の隊長をしていた同田貫だったが、あの日を境に隊長は大倶利伽羅へと代わっていて、戦果の報告に来てくれるかもという淡い期待さえ簡単に消え去った。

「開けるぞ」
「はーい」

今日もいつものように一日が終わる。
障子の前の声は大倶利伽羅の物で、私はぼんやりとそれに返事をした。
大倶利伽羅はいつものように報告書に目を落としたまま障子を開け、ほぼ部屋の入り口にそのま腰を下ろす。
同田貫なら私のすぐ隣にまで来たのになぁとまだそんなことが思い出されて、私は慌てて頭を振った。

「今日の第一部隊の戦果は……、」

淡々とした口調で大倶利伽羅が報告書を読み上げていく。
姿など見えないのに、同田貫の名前がよく挙がるこの瞬間だけが一日の中で僅かに、私の心を震わせた。

「……、で、掃討数は同田貫がまた一番多い。誉は同田貫でいいか」
「うん。はい、これ」

近侍をしなくなってから、元々誉をよく取る方ではあったがほぼ毎日のように誉を取るようになり、私はその功績に複雑な心境が益々複雑になっていくばかりだった。
私の近侍をしなくなったから調子が良くなったのだろうと寂しい気持ちのする反面、やっぱりすごいなぁと思慕の念が募っていくのもまた仕方のないことで。
誉を取った者に多く与えている小判の入った袋を大倶利伽羅に渡すと、大倶利伽羅は少しだけそれを受け取るのを渋ってから突然、小さな声で呟いた。

「……あんたはどうしてるかと、さっき同田貫が聞いてきた」
「……っ、え?」

思いがけない言葉に私は持っていた袋を落としてしまい、大倶利伽羅はそれをただ見送った。
ガシャ、という嫌な音が響いて袋は畳に潰され、その中身が僅かに見える。
反射的に拾おうと手を伸ばすと、自分の手がかすかに震えていることに気付いた。

「あんたが、大広間に来なくなったから。寂しそうに食事してたら俺も同席してやれと、そう、言ってきた」

大倶利伽羅が落ちた小判に手を伸ばす。
私が拾えないそれをゆっくりとした所作で拾うと、へたれた袋に無理やり詰め込む。

なんで、そんなことを。

混乱する頭が追いつかず、縋るように見つめた大倶利伽羅は瞳を細めて私のことを真正面から見つめた。

「……そ、んな、え、な、なんて答えたの?」

自分でも分かるほど唇が引き攣っている。
うまく笑えていない癖に必死で笑おうと、私の出す声は震えていて、けれど大倶利伽羅はいつものようにすこし面倒臭そうに眉を顰める。

「俺は群れるつもりはない。気になるならお前がしろ、と、そう返した」

理解が追いつかない。
同田貫は何日か前に私の近侍を外れ、それからは目も合わせなくなり、私といるより毎日楽しそうにして戦績まで良くなって。
私は一人で食事をしたほうが心穏やかでいられて、だから、同田貫の姿を見るより辛くなくて、最近やっと、泣くこともなくなってきたのに。
それなのに。

ごく、と喉が唾を大きく嚥下する。

それなのに、何故気にしてくれているのか。

「……ど、……た、ぬきは、なんて」

大倶利伽羅は全ての小判をまた袋の中にしまい込むと、それを乱暴に抱えて立ち上がった。
大きなため息が私の耳に無遠慮に響く。

「もう気を持たせるようなことはしたくないんだ、と」

残酷な言葉だ。
ひどく、残酷な。

ぐ、と喉が締め付けられるように痛んだ。
ぶわりと目頭が熱くなり、丹田の底から気持ちの悪い圧迫感が込み上げてくる。
枯れたと思っていた涙は堰を切ったように私の涙腺から溢れ出し、焼け付くような痛みが喉の奥から押し上げてきた。

「……だから俺は、お前の方が、と、……おい、あんた、」

眼前に広がるのは畳の細かな網目だけで、それも突如としてぼやりと歪んだ。
ぼた、と音を立てて落ちたのは自分の瞳から零れた大きな涙。
突如として焼けつく喉が情けないしゃくり声を上げる。
それは徐々に大きくなって、ひどく恥ずかしいのにもう止める事も出来なかった。

「……泣くな、おい」
「……う、っく、だ、って、だって、そんなの、ひどいよ……」
「分からんが、泣くな。それは互いに直接言え、俺を挟むな」
「……でも、言ったって、っひ、何も変わらないし、っく、同田貫は私を嫌いだし、そんなひどいこと、っ、わざわざなんで」

私は情けない喉のしゃくりなんてお構いなしに途切れ途切れに必死に言葉を紡いだ。
大倶利伽羅は慌てて私の体を覆うように抱きしめてくれて、触れられた背中が熱くなる。

「違う、好きだ、あんたのこと」

大倶利伽羅が私を抱きしめるその手に思わず縋った。
暖かい体、長い手、背中に手を回すと思った以上にしっかりとした力強さに僅かに安心感が芽生える。
泣きじゃくってくしゃくしゃに歪んだ顔を大倶利伽羅の肩に押し付けると、同田貫のものとは違ういい匂いがふんわりと鼻を抜けた。
きっと泣く私に狼狽えて必死に言ってくれたのだろう無意味な否定の言葉が耳を掠めた時、ガン、と、視線の先で何かが大きく鳴った。

熱くなった瞳をその音に思わず開けると、そこにいたのは戦装束のままの同田貫だった。

「……っ、あ」

久しぶりに近くで同田貫を見た。
つまらなさそうな瞳が真っ直ぐに私を睨んでいる。
僅かに歪められた眉が、思い出の中のものより少し厳しいような気がした。

「……同田貫」

ぽつりと、呟いた言葉に大きく反応したのは大倶利伽羅だった。
大きく振り向いて同田貫をその目に映すと、すぐに私から離れて立ち上がる。
それをじ、と睨みつけたまま、同田貫は肩に乗せていた刀を一度、トン、と持ち上げた。

「同田貫……、お前」
「長谷部が中傷隠してたんだ。手入れ札、貰いに来ただけだ」
「……え」

低い声を久しぶりにこんな近くで聞いた。
けれどそれは、明らかにいつもの穏やかな声ではなくて、もっと冷たい、もっと淡々とした、突き放すような言い方だった。

「勘違いだ、俺はただ、」
「それ俺の誉分か?ありがとな、持ってもらって」

大倶利伽羅の言葉を無理矢理遮って、同田貫はその袋をゆっくりと奪った。
私のことなど見てくれない。
合わない瞳に焦燥が募る。
焦ったように瞳を揺らす大倶利伽羅に、その不安は大きくなった。

畳を踏みしめて部屋に入った同田貫は対峙する大倶利伽羅の横をするりとすり抜け、跪いたまま動けない私になど一瞥もくれず奥の棚に歩みを進めた。

「札の位置、変えてねぇんだな」

同田貫がいつものようにひどく間延びした声でゆったりとそう言う。
大倶利伽羅が大きく舌打ちをしたのが聞こえた。

「おー、あったわ。じゃあ、邪魔したな」
「同田貫!勘違いだと、」

札を片手に掲げた同田貫がまた大倶利伽羅の横を通り抜けようとした時、大倶利伽羅はその腕をぐ、と握り締めた。
勘違い、その言葉にやっと、今何に対して大倶利伽羅が焦っているのか理解できた気がした。

「なんだよ」
「勘違いだ、お前の考えは、全て」

けれど、それがお門違いだということももう私は分かっている。
勘違いだとしてもなんだとしても、同田貫は心底、私になど興味なんかないのだ。

同田貫は大倶利伽羅に掴まれた腕を軽く払って小さく笑った。
く、と、押し殺したような笑いは遠くから見るような楽しそうなものではなく、どこか不気味で、恐ろしかった。

「だとしても、何も変わんねぇよ」

ひどくゆったりとした、ひどく優しい、私の大好きな声。
私はまた一粒、大きな涙をポタリと、静かに畳に染み込ませた。





齟齬だとしても




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