何故私が泣いたのか分からないのだろう。
自分から遠ざけようとしていたくせに、いざ同田貫が私から離れるのは悲しい。
理由なんて当の私でも思い付かないのだから、突然泣いた私に同田貫が混乱するのも当たり前だ。

「そばにいてよ、同田貫」

掠れる声で呟いた。
人間に恋することができるのなら、私にしてよ。
前の審神者を二年間も絶望の中で想えるほどに、私のことも想ってよ。
前の審神者への後悔か、懺悔か、そんなものを私に押し付けないで。
あの人を守れなかったから私を守るだなんて、ひどいことを言わないで。
あの人の代わりにしないで、私を見て。

「……、あ、……あんたが、何度も俺の目をかいくぐろうとしたんだろ」

同田貫の声が小さく聞こえた。
床にぱたぱたと落ちる涙は次から次へと溢れてくる。

「……うん」
「あんたが、ついてくるなって何度も俺に言ったんだろ」
「……うん、ごめん」
「あんたが、俺をあの部屋へ遠ざけたんだろ」

同田貫はこの本丸で一番強い。
一番、だなんて比べ物にならないほど強い。
きっと前の審神者のおかげだ。
この本丸が少し歩けば迷いそうなほど広いのも、前の審神者の力が強かったから。
敵に突然狙われたのも、それほどの脅威だったから。
そんな審神者に、敵うはずもないのにこんなにも嫉妬している自分が嫌になる。

「同田貫は、私に何も思わなかったのかもしれないけど、」

あんたを守る、と初めて出会ったあの日、そう言われた。

「私は、……ちがう」

いつも隣を歩く時、同田貫が右手に握る刀さえなければ、仲睦まじい夫婦のようだと思っていた。
初めて並んで眠る時、間仕切りを用意した同田貫に私はそんなものいらないと言ったんだ。
だからほんの数日は何の隔たりもなく互いに並んで眠っていた。
夜目の中でぼんやり見える同田貫の背中に、大きな掌に、かさついた唇に、私が欲情してしまったから、後から間仕切りを置いてもらった。

「私は、同田貫に、触れて欲しい」

身寄りもない力もない期待もされていない、この戦乱に投入せざるを得なくなった出来の悪い私のような存在を、あの日この美しい本丸で守ると言ってくれた。
絶望の中に見た神様だと思った。
そんな同田貫に恋慕を抱かないでいられるほど、私は強くもないし賢くもないんだ。

「前の審神者より、同田貫にとって、大切な存在になりたいよ」

流れる涙が止まらなくて私は吐き出した言葉と同時に俯いた。
自分のしゃくりあげる情けない声だけがよく耳に届く。
床を濡らす水が乾かなくて、木目をじんわりと濃く染め上げている。
遠くで馬が鳴く声がか細く聞こえ、母屋の方から誰かの話し声も微かに響いた。
喉を焼く痛みをなんとか落ち着けようと黙っていると、不意に同田貫が小さく呟く。

「あんたさぁ、俺があんたに初めて会った時、なんて思ったか知ってるか」

睨み付けるような瞳とは相反して、穏やかな低い声がゆっくりと風に乗る。

「どれだけ俺が、あんたを守りたいと思ってるか、知ってんのか」

柱にぶつけられたまま転がる黒い石の文鎮を同田貫が拾い上げた。
長曽祢より一回り小さい手、けれど、筋張った分厚い手がその石を慈しむように包み込む。

「あんたに嫌われるのは別に、大した問題じゃねぇんだ。ただ、あんたを失ったら、俺はもう生きる気にもならねぇよ」

その風貌からは想像もつかないほど間延びした声でゆっくりと話す、その低い声が好きだ。
優しい声につられてちらりと覗き見た同田貫は、いつも通り眉間に深いしわを寄せたまま、細めた瞳が何かを藪睨みに見つめている。

「それならなんで突然、突き放すようなこと言うの」
「……あのなぁ、本丸の奴らが本気であんたを心配してあんたが可哀想だ少しは自由にさせてやれ、って、あんたが気持ち良く昼寝してる間俺はずっと詰め寄られてたんだぞ。そんなら夜まではお前らで守れって話しただけで別に突き放した訳じゃ、」

同田貫が呆れたように溜め息をこぼして、珍しく動揺しているのか捲し立てるようにそう言った。
潤む視界の中視線を彷徨わせる同田貫の頬が僅かに染まっている気がして、見間違えただけなのかもしれないがそんな気がして、だからもう我慢ができなくて、私は同田貫の懐に一気に飛び込んだ。

不自然に言葉を止めた同田貫の、熱い胸板に耳をそばだてる。
思った以上にどくどくと力強く、早い鼓動がくすぐったい。
右手に刀を持ち、左手に黒い石を持つ同田貫は、抵抗もできないのか黙って私の抱擁を受け入れた。

「……そばにいてよ。ついてこないでって言っちゃうのは、片思いだから、悔しいだけ」

固い体をぎゅ、と強く抱き締める。
背中に回した手が恥ずかしさで震えた。

「……それ、本丸のやつらにちゃんと説明しろよ」



浦島の「主さーん」と呼ぶ声が聞こえるまでの束の間、私は不自然に同田貫にしがみつき、ぼんやりと私に抱き締められたままの同田貫の熱を初めて味わった。
同田貫がその右手から刀を、左手から石を手放し私を抱き返すことはなかったけれど。

私はその声に弾かれたように同田貫から両手を離す。
瞬間、ばちりと目が合った同田貫はばつが悪そうに唇を引き結んでから、「あんたも仕事、手伝ってくれるんだろうな」と、長廊下へとやっと向き直った。

「手伝ってあげないこともない」
「そもそもあんたの仕事だろうが」

歩き出す同田貫の後ろに続くと、ぶつぶつと感情の入っていない文句を呟きながら同田貫は私を突き放すでもなくゆっくりと歩を進めた。








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