「わたくしは、白山吉光。吉光のきたえた、つるぎ、です」

六畳程の狭い部屋。
両脇に添えられた蝋燭の間に音もなくふわりと舞い降りた彼は、透き通るような柔らかな声でそう言った。

「良かったぁ。もう三日もこもって鍛刀してたからそろそろ諦めかけてたよ。来てくれてありがとう、白山くん」

美しい姿に安堵のため息を零し、私はゆっくりと立ち上がった。
背中に巻きつけるようにして背負った真っ黒の刀が、カシャ、と小さく鳴いた。

「人の形というものは、不思議ですね」
「そのうちすぐ慣れるよ。えぇと、とりあえず大広間に行こっか」

白山くんは肩に乗る小さな狐を指であやしながら、私の言葉にこくんと頷く。
障子を開けて部屋を出ると、まだ夕焼けの残る空の反対側には満月が昇っていた。
ともすれば恐ろしい程に美しく、恐ろしい程に明るいその月を私は無意識に睨みつける。
そんな事しても何もならないのは分かっているが、満月を見ると睨む癖は直らない。
部屋の外にも置かれていた蝋燭の火を指で消すと、白山くんが後ろから感嘆の声を漏らした。

「この本丸は、美しいですね」

東から昇る満月が、西に沈む夕日と一緒に広大な庭を僅かに赤く照らしていた。
夜でもしぼむことなく咲き誇る花々に、季節を無視した蛍の光がふわりふわりと舞っている。
蛍の淡い光にきらきらと輝くのは無数のカラスアゲハで、その羽は七色に変化した。
池にはたまに大きく跳ねる鯉と、のんびりと羽を休める水鳥たちが満月の光に揺れる水面に抱かれている。
美しい庭をぼんやりと眺めながら、白山くんの言葉に思わず頬が緩む。

「美しいよねぇ」
「主様が、ここまで手入れを?」
「んー、私は三分の一かなぁ」
「素晴らしいです」

大広間の方から賑やかな声が聞こえてくる。
きっといつものように大太刀と槍とお酒好きの皆で集まっているに違いない。
厩舎からは、鶴丸と鯰尾と、短刀達が何かやっているのか大声で笑う声が響いてきた。
庭の向こう側には湯気が立ち上っていて温泉好きの祢々切丸、陸奥守、ソハヤが温泉に入っているのだろう。
一緒に大般若や大包平、長谷部、南泉あたりも入っているのかもしれない。
気持ちのいい歌声についでうるさい、という怒号が楽しそうな笑い声とともにここまで聞こえる。

「ところで、主様も刀を振るわれるのですか。背中の刀は同田貫正国かとお見受けしますが」

廊下をゆっくりと歩き出すと、白山くんが珍しいものを見るように本丸のあちらこちらに目をやりながらそう呟いた。
背中に背負う刀が小さく鳴く。
戦装束と一緒にあった黒い布を、背中にかける為の下げ緒にしたらかなりしっかり私の背中に収まった。
背負ってしまえば重さもほとんど感じない。
けれど、下ろした時に感じる寂しさが私は苦手で、風呂に入る時と寝るとき以外はずっとこの刀を背中に背負っている。

「ううん。ただ、背負ってるだけ」
「そう、なんですね」
「うん。離してなんかやらないって、誓ったの」

二年前のあの日。
私は同田貫にそう告げた。




「おう主!白山、やっと顕現できたんだなぁ」
「お陰様で。もー、たった三日でなんでここまで汚せるの?明日は片付けの日にするからね」

大広間に着くと案の定、顔を真っ赤にさせて大騒ぎをする御手杵、日本号、次郎太刀が肩を組んで豪快に笑っていた。
顔を真っ赤にはさせていないがしこたま飲んだことが傍の空き瓶で分かる不動くんと、全く表情の変わらない太郎太刀が白山くんに注目する。
入り口を塞ぐようにだらしなく寝転ぶ不動くんをわざと跨いで、散らばる酒瓶を拾った。
不動くんが修行から帰ってきてからは酒飲みの習慣も少しは薄れるかと思ったのに何も変わらなくて、私は心地の良い頭痛に頭を抱える。

「大人数ですね」
「まだまだいっぱいいるよ。徐々に覚えていったらいい……、って、これ!私食べようと思ってとっといてたのに!」

床に散らばるのは鮭の干物の空袋で、私が最近好んで食べている物だった。
まさか三日で食べ尽くされるなんて。
落胆して不動くんの上に座ってやると、不動くんがけたけたと楽しそうに笑った。

「食べたの俺じゃないよ!」
「あー俺が食べちまったー、悪ぃ」
「やっぱり御手杵!絶対そうだと思った!」
「なんでだよー、ひでぇなぁ」
「ひどいのは御手杵だよ」

私と刀達とのやりとりにきょとんとしながら、白山くんもおずおずと不動くんの上を跨いでゴミに散らばる畳の上に体を小さくして座った。
酔っ払い達はそんな白山くんをぼんやりと眺める。
それから、つまみを食べられて落ち込む私に、二年前を知る面々が大きな深い息を吐いた。

「あー……。感慨深いなぁ」
「……感慨深いねぇ」
「そんなにかぁ?」
「日本号はさぁ、二年前の、ダメな主を見たことないからなぁ」

背中の刀が冷たく揺れる。
私の背中にしっかりと触れ、たまにひどく小さな声でカシャ、と鳴く。

首筋に落とされた赤い印は消えなかった。
少しでも目を離せば二年前に忘れてしまった衣桁の物のように、消えてしまわないか不安だった。
風呂に入る時も傍に、寝る時は胸に抱いて。
私は同田貫から、一時も離れることなくそばに居た。

「二年前?」
「もーまたその話。言わないでいいってば」
「今でこそこんなだけど、二年前は俺を顕現しただけでこの人、気ぃ失って倒れてさ」
「そうそう。仕事もしない、どこに何があるかも分からない、ほんっとにダメな審神者でねぇ」
「私を顕現した時など丸三日も起き上がれませんでしたよね」

太郎太刀の言葉に白山くんは驚いたように目を丸くして私を見た。
なんとも居心地が悪くなって、私は下手な笑いで誤魔化そうとする。

「わたくしを鍛刀するのに、三日も集中できたのに、ですか」
「……まぁ、あれから二年も経ってるし、私だって少しは成長するよ」
「少しどころか、なぁ」
「化けた、といってもいいくらい成長しましたよ」
「あの頃の何にもしないで寝てばっかいる主のこともアタシは好きだったけどねぇ」
「えっ、私そんなに寝てた?」

白山くんは感嘆の声を漏らして私を見た。
二年前を知らない面々も、興味があるのかわざとらしく暖かな視線を向けてくる。
次郎太刀が優しく細めた瞳を不意に私の背中に移して、それからぽつりと呟いた。

「同田貫が見たらどんな反応するのか楽しみだねぇ」
「驚くだろうなぁ」
「きっと、良くやったと褒めてくれますよ」

お猪口に入れられた酒を茶でも啜るかのようにず、と一気に飲み干した太郎太刀が穏やかに言う。
背中に背負う刀に私の熱が伝わっていそうで途端に恥ずかしくなった。
私の尻の下に寝転んだままの不動くんが首だけを私に向けて、それからにんまりと笑顔を作った。

「俺から見たら、あなたはすごい主だよ。きっと同田貫も褒めてくれるって」
「……どうかなぁ」

畳に転がる空き瓶を両手に抱えて私は苦笑いにそう返した。
褒めてくれるだろうか。
本丸は二年前の倍以上には大きく広くなったし、庭と畑と馬の手入れは念入りにやっている。
離れの部屋から見える池と庭園もより美しく、より多くの生き物を呼べるまでになった。
刀剣も白山くんを手に入れたことで全て揃った。
いないのは同田貫だけ。
寂しさは変わらないのに、この本丸は二年前とは比べ物にならないほど賑やかになった。
空き瓶に映る自身の顔をぼんやりと眺めていると、白山くんがおずおずと口を開いた。

「さっきからお話に上がっている同田貫、とは、その背中の刀、同田貫正国のことですか」
「え、あ、うん。この刀も二年前はちゃんと人の形をしてたんだけどね」
「背中に差しているからもう振るう気がないのかと」
「振るう気はない……っていうか、私は剣術を知らないし、って、この話さっきも、」
「ですが、刀剣を人の形にすることは出来ますよね。主様は立派な審神者なのですから」

白山くんが、表情とは裏腹に僅かに興奮したように私の言葉を遮ってそう言った。
近くなった顔に驚いて後ろに手をつくと、白山くんがそのままの勢いで続ける。

「同田貫正国をまた、振るいたいですか。つまり、わたくしや他の者達のように、現世に人として呼び起こしたくはないのですか」
「……え?」

質問の意味が分からず目を逸らすと、白山くんが急に私の肩をしっかりと掴んで真っ直ぐな瞳を向けてきた。

「同田貫正国は、何かとてつもない傷を負って人の形を保てなくなったのですよね。ですが主様と契りを交わすことによって現世になんとか留まっています。きっと今までこの姿のまま、主様の力をその身に一番近く受けていて、だから負った傷も殆ど回復しています」
「えっ……、契りって」
「とぼけなくても皆知ってるよ」
「うそ!」

真面目な白山くんの顔から臆面もなく突然飛び出した単語に動揺するも、呆れ顔とため息に次郎太刀が笑った。
「俺たちはあんたの感覚と繋がってるからなぁ」と御手杵がへらへらと呟く。
真っ赤になる私を差し置いて白山くんは続けた。

「わたくしは、癒しの能力を備えています。もし主様に、わたくしを顕現するよりもっと長い時間、鍛刀し続けられる力と意志がおありなら、きっと同田貫正国を顕現出来ると思います」

背中に触れる刀が熱くなっている気がする。
私の熱かと思ったが、多分違う。
白山くんの言葉を肯定するかのように刀から何かの力が伝わってきた。

「……そんな、話。突然、」
「初めてその刀を見た時から不思議でした。その刀は顕現すべき程の力がある。なのに何故顕現されないのかと。疲れ切って朽ちた刀をどう顕現すべきか分からないのであれば、わたくしの力を存分に振るわせてください」

私の尻の下に寝転ぶ不動くんが「すごいじゃん」と笑った。
日本号が「また鍛刀部屋に引きこもりかぁ。何して暇をつぶすかね」とぼやく。
太郎太刀は「三日間も粘って鍛刀した甲斐がありましたね」と、また酒を茶のように口に流し入れた。

「あんたの鮭の干物、いっぱい買い溜めしとくから頑張れよ」
「同田貫が出てきたら褒めてもらいなよ、好きなだけね」

御手杵と次郎太刀の優しい言葉を聞きながら、私は思わず込み上げてくる何かに胸が熱くなった。
白山くんは私の前にきっちりと膝を折って向き直ると、両手に自身の刀身を添え、深く頭を下げた。
掲げられた美しい刀身からは今まで感じたことのない力を感じる。
もう視界は溢れる涙でいっぱいでぼやけてよく見えなかったけれど、私はそんなこと御構い無しにその刀身を握り締めた。

「わたくしは、嫁入り道具であり、冥福を祈るもの。主様の大切な刀を治すのに、これほどの適役がいましょうか」

思わず情けない嗚咽が喉から漏れた時、次郎太刀が「泣いてると二年前のあんたを思い出すねぇ」と笑って、私の頭を優しく撫でた。



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蝋燭を灯しただけの薄暗い部屋。
その真ん中にある刀掛けの前に、私はゆっくりと座った。
鍛刀は苦手だったし嫌いだったなぁ、とそんなことが昨日の事のように思い出される。
いつになく緊張している心を落ち着かせようと、大きく吸った息を吐く。
刀掛けの前に白山吉光の刀身を置き、祈るように手を合わせた。
部屋の外には白山くんの影が蝋燭の灯にあてられてゆらゆらと揺れている。
私の顕現の手伝いをしてくれるらしい。
鍛刀の時外に誰かがいてくれるのは二年ぶりだ。

背中の刀にゆっくりと触れる。
懐かしい香の匂いのする黒い布を震える手が解いた。
手にかかるのは確かに感じる強い重みと、黒々しい威圧感。
淡い光に照らされて力強く光る刀の鞘には、二年前ほどの細かな傷はもう見当たらなかった。
私は久しぶりにその柄を握り締め、ぐ、と力を込めて刀を鞘から引き抜いた。
カシャ、と、いつもの寂しげな音が刀から聞こえる。
質素な直刃が、美しく私の顔を映していた。

「私は、忘れなかったよ」

小さな声で呟いた。
銀の刃が呼応するように僅かに光った。

「一緒に温泉入ろうね」

口付けるように刀を額に寄せる。
鼻の先を僅かに擦り付けただけなのに、変な羞恥に思わず口元が緩んでしまう。
銀の刃を鞘に収め、私は変な顔のまま刀掛けに同田貫を供えた。

「何日かかるかなぁ」

そうぼやいてから私は大きく息を吸った。

絶対に貴方を一人で行かせない。
置いていかれるのは嫌だから。
何度でも何度でも呼び戻してやる。


あるいはまた、貴方が一人、置いていかれることになったとしても。


私はそんな自分勝手なことを考えながら両手を勢いよく合わせた。
パン、と気持ちのいい音と共に、青白い光がゆったりと部屋中に美しく舞い上がった。







2018.09.02. 〜 2019.09.23.

あとがき



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