「信じられない!」
「信じらんねぇのはこっちだ。厠に行く時は声かけろって何度も言ってんだろ」

心地の良い思い出だ。
顔を真っ赤にさせた私が面倒くさそうに受け流す同田貫に怒鳴っている。
同田貫は私を見る時ずっと、眉間にしわを寄せていつもいつも不機嫌そうだった。
そのくせ、私に怒ったことなどなく、口調はいつでものんびりと穏やかだった。

「だからってその間ずっと扉の前に張り付いてしかも音まで聞いてるなんて……!ほんともう信じらんない!おかしいよ同田貫!」

同田貫は私のそばから一時も離れようとしなかった。
そこそこに広く美しい部屋に閉じこもってさえいれば何の文句も言われなかった。
食事も運んでくれたし衣類の世話もしてくれた。
望むものは蔵から探してきてくれたし、私が仕事をしなくても勝手に同田貫が終わらせてくれていた。
それでも本丸の手入れとか庭の手入れとか馬の世話はしたいらしくて一日のうち数刻は私から目を離す時があった。
とはいえ厩舎はここからすぐ見えるところにあったし、庭だって私の部屋が丸見えだし、たまに同田貫の姿が見えないことを確認して障子を開けると、どこからともなくすぐさま同田貫は私の元へと戻ってきた。
今から思えば懐かしい、部屋から出る時は必ず俺を呼べ、としつこく監視されるのが嫌だった。

ある日、部屋の隣にある厠へ行くのくらい別に良いだろうと思って、しかもその時は同田貫に甘やかされて食べに食べた芋のせいで少しお腹も痛くて、馬の世話をしている同田貫の姿も部屋から見えたし、別に良いかと、私は黙って厠に駆け込んだ。

そうして用を足すこと数分、厠の扉を開けたら「遅いから死んでんのかと思った」と、素知らぬ顔で扉の前に座り込む同田貫の悪気の無い瞳にかち合って、私はあの時あんなにも喚いてしまった。

「邪魔しねぇように黙ってたんじゃねぇか」
「何それ、意味わかんないよ!」
「はぁー、黙ってても怒んだなぁ。どうしろってんだよ」
「何言ってんの、人の用事を聞き耳立てて聞いてるなんて最低!厠くらい好きにさせてよ!」
「でも、」
「『あんたが死んでたら』でしょ?厠で死ぬわけないじゃない!いい加減にしてよ!前の審神者が殺されたのだって厠なんかじゃなかっ、……」

同田貫はその頃からたまに暗く塞ぎ込むように瞳を曇らせることがあった。
あまりの羞恥に大声で捲し上げていたが、同田貫が寂しそうに瞳を伏せたのが分かったから、私はついたじろいで言葉を失う。
言い過ぎたかな、とは思ったけれど、でも、と言い訳を思い直し、睨むように同田貫を見た。
同田貫は足元をぼんやりと睨んでから、私の口上が終わったのに気付いてゆっくりと顔を上げた。
金の瞳が私を真っ直ぐに見つめる。

ひどく大事なものを眺めるように。

「でもなぁ。あんたに死なれたら俺はもう、あの寂しさに耐える自信がねぇんだ」

どうすれば同田貫の恐怖を消してやれるのか。
前の審神者につまらない嫉妬ばかりしてないで、もっと素直に、同田貫を大事にしてあげれば良かった。

「あんたを守らせてくれよ」

もっと、もっと。
同田貫を大事にしてあげればよかった。
もっと早くから、その機会はいくらでもあったのに。



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寒さに目が覚める。
朝日が何もない衣桁を乗り越えて私の顔を照らしていた。
ぼんやりと目をこすると、真っ黒い刀が寄り添うように置かれていることに気付く。
私は、その真っ黒い刀にそっと指を伸ばした。
なんの装飾もない真っ黒な柄、鍔、鞘。
無造作に鞘に巻きつけられた黒く長い下げ緒は、同田貫の戦装束と一緒にかけられていた長い布に似ていた。

一人ぼっちで、しかも裸でここにいるのに、二人でいるより暖かい。

指でなぞると鞘にも沢山の細かな傷が付いていた。
真っ黒いそれは朝の光を反射して、一層深い黒を光らせる。
首や胸や腕とか掌とか、太もも、腰、それから一番強く繋ぎあった体の真ん中がぴりぴりと霜焼けを起こしていてどこもかしこもむずがゆい。
ふと見れば真っ白な布団には幾筋かの真っ赤な血の痕が細く細く伸びている。
しもやけとはまた違う妙な違和感を下半身に感じながら、私はゆっくりと身体を起こした。
黒い武骨な刀を片手で持ち上げようとするが、思ったよりも重くてこの体勢では持ち上がらない。
同田貫を必死で抱き締めていたからなのか腕は特に霜焼けがひどかった。
力を入れるとひどい痛みが腕を走ったが、私は改めて刀に向き直り、両手で刀を持ち上げた。

自身の前に真っ直ぐ立たせた同田貫の刀は、座った私よりも長く、太い厚みを持っていた。

「思ったより重いんだね」

ぽつりと独り言を呟いてから、けれどこれが同田貫自身なのだから重くもなんともなかったんだろうなと当たり前のことを思い出す。

「……私の声、聞こえてんのかなぁ」

黙したままの同田貫は人の形であった時より堂々として見えた。
どこが瞳に当たるのだろうかとそんな事を考えながら刀をじっくりと眺め、それから私は思い切って鞘から柄を力任せに引き抜いた。
重い、力強い刀は、カシャ、と寂しげな小さな音を立てて私の前にその剥き身を露わにした。
反りの浅い美しい直刃に朝日が映る。
重心が安定せず、ふらりと揺れた切っ先はそのまま私の前に勢いよく振り下ろされた。
布団を突き抜け、畳に突き刺さった刀は、触り心地のいい柄とは裏腹に恐ろしいほどによく切れた。
私は暫く、あまりに見事に切れてしまった布団と畳をぼんやりと眺めて、それから、涙も出てこない虚しさに、大きく長い息をゆっくりと吐いた。

ふと視線を横にやればぼさぼさ頭の自分が鏡台の鏡に映し出されている。
布団の上からでも鏡には青い竜胆が少し映っていた。
なんでこんなにぼさぼさの頭なんだろう。
嫌になってため息をつきながらのそのそと鏡台の前に移動した。
映るのは貧相な自分の貧相な裸。
もう少し胸とか、どうにかならないものか。
突き立てられたままの刀が鏡に映っていた。
このままにすんな、なんて声が聞こえてきそうだ。

「だって重いし、そこから抜く時怖そう」

鏡に映る刀に向かってそう言う。
刀は畳に突き刺さったまま、その銀の刀身を朝日にきらきらと輝かせるだけ。
いつものように鏡台から上等のくしを引っ張り出し、寝ぼけ眼で自身の髪がしなっていく様を見つめる。
思ったよりもやつれた顔を撫でながらふと、首筋の真っ赤な痕に気付いて私は無意識に笑ってしまった。

「すごい痕」

しもやけの赤さではない。
小指の先ほどの小さく歪な丸い痕。
同田貫が私を抱いた証。

「これ、隠さないとだめかなぁ」

指でそこをなぞっても自分の肌の質感しか味わえなかった。
それでも、ここにこれをつけてくれたことに私はひどく安堵して大きく息を吐く。

「流石にこんなことされたら、忘れないよ」

独り言は鏡を通して同田貫の刀に向かっていく。
その声を聞いているのか、聞いていないのか。
もう意識はないのか、まだ少しは残っているのか。
分からないけれどでも、ちゃんとここに同田貫はいるのだと、そんな気がする。

「……あー……、腰痛い。下手くそ」

裸のまま仰向けに寝転んだ。
畳の匂いはいつものように優しくて、明るくなった外の景色はいつものように美しい。
鳥のさえずりもいつも通り楽しそうだし、咲き誇る花々も風に揺られてさわさわと踊っているのだろう。
耳を澄ませば馬の鳴き声が微かに聞こえる。
本丸の声までは届かないが、もうそろそろ堀川くんが朝御飯を持ってきてくれる頃だ。

起き上がって服を着なくちゃ。

私は一つくしゃみをしてから、誇らしげに畳を貫く同田貫に目をやった。

「ところで、私の着物ってどこにあるの?」

朝日を一身に受け力強く輝く武骨な刀が、「自分の身の回りのことくらい出来るようにならねぇとなぁ」と、そんなことを言った気がした。






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