*同田貫視点



「広すぎねぇか」

たった一夜にして元の部屋の軽く十倍には広がった居間に、俺は心底驚きながらそう言った。

「百人寝転がれるようにしてみた」

年の割に幼く笑う主は、どこから出てきたのか立派な長机と座布団をその細い腕で並べていた。
まだ寒い朝の時間に、一人で楽しそうに汗だくになって。

「百人もいねぇだろ」
「いつかそれくらい沢山の刀が来てくれるようにな」
「いつになんだよ」

至る所に細かな彫りが描かれている長机は昨日まではなかった。
座布団も今までの物より分厚く、一辺も長くなっている。
審神者の力というやつなのだろう。
たまにこうして厩舎やら部屋やら廊下やら庭やら山やら、色々なところが増えていたり広くなったり無駄な装飾が増えたりしていた。
神域が主の望みに呼応して日々変化を遂げる。
檜風呂になった時にも何を力の無駄遣いをしているのかと呆れたものだ。

「私が死ぬまでには、この大広間に沢山の刀を押し込めて『狭い!』なんて言われてみせるよ」
「人間の寿命は短ぇぞ。あんた今よりもっと頑張んねぇと」
「そうだな、頑張ろうか。お前にこの大広間の広さを無駄だと笑われないためにも」

主が重そうに持ちあげた長机を持ってやると、穏やかに目を細めた主がそう言った。
俺達が買ってやった白く美しい羽織を着こなして、主はあの日、そう言ったんだ。



行き場のなくなった暗い感情を結局鶴丸にもぶつけることが出来なくて、俺の元へ帰ってきたそのひどく醜い殺意はとうとう俺自身に向けられた。
内側からぼろぼろと削り取られるような痛みと寒さに体を動かすことも億劫になる。

竜胆を摘んだ帰り道、遠くで鳴いた望月が消えてしまったことが分かった。
望月を想って泣いてくれたアカネは、疲れたのか俺の横に蹲り眠ってしまった。
あと一週間もすれば立派な満月になるのだろう大きな月が窓から静かに俺たちを眺めている。
泣き腫らしたその顔をぼんやりと眺め、寒さに震える汚い手で柔らかな頬に触れた。
俺自身へと向けられた気味の悪い大きな殺意が体の中で暴れ回っているのが鬱陶しい。
頬に触れると暖かさが指先に伝わる。
生き物の暖かさだ。
アカネと出会ってから徐々に体温を失っているのを薄々知っていた。
それは寂しいものではあったが俺の望みはアカネといることより消えたあいつらの元へ行くことなのだと言い聞かせる。
けれどこんなに早くここまで冷たくなるとも思っていなかったから、未練も後悔も山のように積もり積もっていくばかりだが。
月明かりに照らされる主の白い羽織が、静かに俺を見守っていた。

「アカネ」

呼びかけてもアカネはゆっくりと呼吸を繰り返すだけ。
きっとそう遠くない未来に俺は消える。
もしかしたらアカネの記憶からも消えてしまうかもしれない。
一人で過ごした二年間、いつ消えるのかそればかり望んでいた癖に、今こうしてそれを確約されてしまうと何故こうも消えたくないと願ってしまうのか。

「……アカネ」

かさついた喉を震わせてもう一度名前を呼んだ。
唇が切れて痛かった。
この女と共に、過ごしたかった。
向かいの部屋に飾られたままの戦装束を着てみせたかった。
本気で戦ってやったらこの女は喜ぶだろうか。
血みどろの俺に引くだろうか。
出会った時のようにやけに純真な瞳でかっこいい、と叫んでくれるだろうか。

指通りのいい髪の毛を撫でてやる。
「ん」と小さく身じろぐアカネを見つめていると、薄眼を開けたアカネがこちらをぼんやりと見つめた。

「風邪引くぞ。ちゃんと布団敷いて寝ろ」
「……うん」

アカネはまだ眠そうに目をこすりながらそう頷くと、するりと俺の隣に入ってくる。
暖かさと柔らかさに、諦めていた気持ちがぐらりと傾いた。

「……けど、あっためてあげたい」

もう俺の体温は戻らない。
喉まで出かかった言葉をこの愛しく暖かな存在にぶつけることは出来なかった。
俺のぼろぼろの腕に必死でしがみついてきたアカネの柔らかさを振り払うこともできない。

「……冷たいだろ」
「……うん。氷みたい」
「俺は刀だからなぁ」
「刀でもここまで冷たくならないよ」
「そうかぁ?何にせよ離れねぇと、凍傷にでもなっちまうぞ」
「なってもいい。離れたくない」
「……あんなに俺から離れたがってた癖になぁ」
「もうそれ言わないでいいでしょ。同田貫の方こそ、あんなにべったり張り付いてた癖に。なんでこんなに、こんなに簡単に、消えそうになってんの」

ぎゅ、と熱すぎるほどの暖かさが俺に必死にしがみついてくる。
口から出る息が真っ白だ。
うまく息が吸えなくてどうしても短い呼吸になってしまう。
それがアカネの不安をなぞるらしい、努めて平気なふりをしてみせるも、積み重ねられた布団が視界に入ってきて何もかも今更のような気もした。

「いいなぁ、恋仲ってのは」
「こんなもんじゃないよ、恋仲は」

アカネの身体が震え始める。
暖かな柔らかさが冷たい痛みに耐えているのか、ぐ、と小さく丸くなった。
それでも俺の腕を離さない愛しい女。
どうせもうすぐ消えるのならば、今まで俺なりに必死にやってきたその見返りに少しばかり我儘をいっても許されるだろうか。
衣桁にかけられた主の白い羽織にそう問いかけると、満月の優しい光にあてられて白い刺繍がきらきらと輝いてみえた。
消えるまでの幾日だけ。
この女が俺に近付いてきてくれる限りは決して振り払わないと、白い羽織に祈るようにそう告げた。

「私沢山したいことあるんだよ。本でしか見たことない恋人同士のこと。それを同田貫と出来るなんて、楽しみで楽しみで仕方なかったのに」

寒さで震えながら言うその言葉が泣いているように聞こえた。
今思えばもう少し早く、この女のことをもっと素直に、ただ付きまとって監視するだけのつまらない恐怖に負けてないで、もっと素直に、守りたいと、守っていればと思わずにはいられない。
冷たい身体のくせに目頭がじんわりと熱くなって、一雫溢れた涙が音もなく枕を濡らした。



幾日かただぼんやりと天井を眺める生活が続いていた。
起き上がれる気は全くしない。
少しの力も入らず、指先に力を込めるだけでひどい激痛を伴うようになった。
息をするのすら苦しい。
それでもアカネは俺の口に食べ物を押し込み、一日中俺の手を握り締め夜になれば寒さに震えながら俺の隣で眠りについた。

けれどその日は突然きた。

朝の光が眩しすぎて重たい瞼を無理矢理開けると、俺を見守るように飾られていた白の羽織が忽然と消えていた。
羽織がなくなったせいで外からの光が直に障子を通し俺の顔を照らしている。
冷たい身体だからなのかその光が痛いほどに熱く感じて、なんとか体を少しだけ横にずらした。
相変わらず俺の隣に眠っていたアカネは、俺の動きにはっと目を覚ます。

「……どうかした?」
「あぁ、……朝日が、」

アカネは俺の言葉に光の先へと目をやった。
何もかけられていない衣桁の先にある障子を見つめて、それから、眠そうに目をこする。

「……眩しいね。布団の向き、少し変えようか」

この部屋に入れば誰もが目にするほど堂々と飾られていた美しい白の羽織。
主を祝って俺たちが買ったもの。
アカネは羽織をたまに嬉しそうに眺めていた。
そのアカネの横顔を見ているのが俺はとても嬉しかった。

「その衣桁に何かかかってたら、朝日も顔に当たらないのに。なんかないか堀川くんに探してもらうよ」

その日は突然きた。
きっともう、望月のことも覚えていないのだろう。
体を蝕む醜い殺意が、急速に力を増して俺の身体を削るのを感じる。
白い羽織を覚えていないアカネに、寒さで震えて唇を紫色にして、それでもなお俺の為に起き上がったアカネに、湧き上がるのは強い寂しさと未練だけ。
この女も俺のことを忘れるのだろう。
それはもう誰にもどうも出来ないことだ。
俺の主である審神者が消えた時点で、そもそも俺も消えていなければいけなかった。
なぜ俺なのだろうか。
なぜ俺が残されて、こうして今、愛しい女を前に出来たのだろうか。

立ち上がるアカネに手を伸ばす。
アカネは、前より真っ白になったやつれた顔で笑った。

「待ってて。探してくるね」

今日がその日だ。
俺の手をすり抜けて立ち上がったアカネに、きっともうすぐ忘れられてしまう。

「アカネ」

唇が切れて冷たい血の味がした。
俺が動くたびに俺を殺そうとする殺意が憎い。
審神者の力を持ち始めたアカネが、きっとこの本丸にとっての異物を消している。
醜い殺意を抱えた俺も、アカネによって消される。

「すぐ戻ってくるよ」

冷たい暖かさが俺の頬を愛おしそうに撫でた。

それでも、アカネに残されて生きるよりは幸せなことだ。
部屋を出るアカネを見送りながら、細い息を一つ吐いて、滴る涙をそのままに俺は静かに目を瞑った。






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