永遠に絶望した私のあの日々を、目の前に横たわる同田貫が知ることはないのだろう。

「神域も作り出せない」
「ハズレを買わされた」
「あの家の奴ら、こぞって大口叩いていた癖に」
「十年以上も訓練を積んでいるのに一向に振るわない」
「どうしますか」
「あの家の者達には重い処罰を」
「手配済みです」
「一応審神者ではあるんだ。何か使い道がないか」
「そういえば、審神者が突然姿を消してしまって入れなくなった神域が一つありました」
「そこには入れそうか」
「分かりません。入れたらよし、入れなくても、神域に拒まれれば次元の隙間に挟まれて消滅するだけ。試してみてもいいかと」
「そうだな。維持費を出すよりは建設的だ」
「よし、呼べ。アカネだ」

生まれてから私がどんな風に生きて、どんな扱いを受けて、この本丸にどんな気持ちで足を踏み入れたのか。
私がどれだけ役立たずで、力の弱い審神者であるのか。
荘厳で美しい神域と本丸が私を迎え入れてくれたことがどれほどの救いだったか。

「あんた、なんだよ?」

貴方が、私に刀を向けた貴方が、けれどさわさわと貴方の髪を撫でる風の音が、きっと私を拒んではいないのだと教えてくれて、だから初めて会ったあの日、私は貴方に臆さずにいられた。
そんな色々なことを、貴方はきっと、知ることはないのだろう。

「う……、ちょ、っと待って、落ち着いてよ、ね」
「応えろよ。どうやって入ってきた。あんたは何者だ。答えねぇと斬るぞ」
「わ、私は、審神者で、今日からここの神域に新しく任命されて……。どうやってって言われても、普通に、祠からここに飛ばされてきただけで」
「……新しい審神者?今までなんの音沙汰もなかった癖に、今更」
「……この本丸は、滅んだって聞いていたのに」
「滅んでねぇよ。二年間、俺しかいなかったがな」
「二年も?」
「主も他の刀も消えた。あんたはなんだ?俺を消して新しい本丸を作り直すか?」

貴方に出会えた時、私の絶望は一瞬に消えた。
貴方の存在だけが私にとっての光となった。
あの時、泣き出しそうに歪めた瞳で寂しそうに笑った貴方に、心はもう奪われてしまっていた。
初めて私に優しくしてくれた人だった。
向けられた刀の切っ先でさえ、あの時の私には優しさとしか思えなかったから。

「……そんな、消さないよ。ていうか、そんな力ないし」
「……なんだ、俺を消しにきたわけでもねぇんだな」
「うん。ただ、ここの神域で審神者をしてもいいって、言われただけ、……です」

美しい庭や本丸とは対照的に、汚れた黒い服にぼさぼさの髪と傷だらけの腕や顔、低い声と鋭い目つきがお世辞にも綺麗とは言えなかったけれど、私の言葉にしばらく考え込んでから刀を下ろした同田貫は、私の前にゆっくりと腰を下ろした。

「審神者をしてもいいって?そもそもあんた審神者なんだろ」
「うん。……でも、分かんない。素質はあったみたいだけど、あんまり、良くもなくて」
「ふうん。まぁ見るからに弱そうだもんなぁ」
「……弱い、よ。まともに何か出来たことなんか一度もない」
「大丈夫かよ」
「……えぇ、知らないよ」
「はぁ?あんたここへ何しにきたんだ」
「だから審神者になってもいいっていわれて、」
「そんな受動的でどうすんだ。ここにあんたの本丸を築くんだろ。大勢の刀従えて、敵軍斬り殺してどんどんあんたの軍を大きくしてくんだろ。そんでいつか、政府の寝首でもかいてやりゃーいいじゃねぇか。そんくらいの気概を持てよ」
「……、そんな、こと」
「思わねぇか?」
「そもそも……、この本丸に入れたこと自体が奇跡だし」
「……俺もあんたがここにいることは、奇跡だと思うぜ」
「う……、そう、だよね……貴方みたいに、すごい強い刀剣がいるこんなに綺麗な本丸、私には不釣り合いすぎるよね」

私の言葉に同田貫の顔がふ、と、緩く解けたのを見逃した。
私はまだ、この本丸に辿り着けたことに動揺していたし歩きすぎて疲れていたし、何より目の前の貴方にどう反応すればせめて自分が少しは良く見えるのか、意識しすぎておかしくなりそうだったから。

「……あ、貴方は、なんていう刀なんですか」
「あー、名前かぁ……またこうして、誰かに名乗るなんて思ってもみなかったなぁ」

同田貫は胡座をかいていた姿勢を正し、自身の前に刀を置いた。
黒く暗い瞳が私にまっすぐに向けられる。
ぞわりと感じる威圧感にあてられた無防備な私は駆け上がってくる興奮を抑えられなかった。

「俺は、同田貫正国。俺のことを不恰好とかいうやつもいるけど、」

あの日々からの解放を。
永遠に続くと思っていたあの日々を一瞬に変えてくれた貴方を。
このままここで、それこそ貴方のいう通り打倒政府などと不穏なことを掲げて、叶わないとは思うけれど何よりも強い本丸を築こうと。
そう思えた。
そう思わせてくれた。
貴方は私の希望となった。

「不恰好じゃないよ!」

興奮に突き動かされて思わず大声で叫んだ私に、同田貫は驚いたのか大きく瞳を見開いた。

「不恰好なんかじゃないよ、貴方は、とっても!かっこ、…………あ、……………ご、ごめんなさい」

渡り廊下から穏やかな風が流れる。
美しい庭に咲き誇る花の弁を乗せてそれは同田貫の後ろでゆるく、ゆるく踊っていた。
思わず口走ってしまった言葉に今更私ははっとしてなんとか言葉尻に誤魔化そうとしたが、同田貫は僅かに瞳を細めて苦しそうに眉を寄せた。

「……あんた、なぁ。俺の台詞を途中で止めんな」

変な事をしてしまったから怒らせたのだと思った。
今思えば、あの苦悶の表情はきっと、照れと嬉しさと、また背負うことへの不安だったのかもしれない。



横になったまま動かない同田貫の上に持ってきた布団をゆっくりとかけてやった。
三枚目をかける頃にはもうかまくらのようにこんもりとした山ができていたが、同田貫は拒否するわけでもなくただ目を瞑っている。
少し動けば暑いくらいの気温と陽だまりなのに、何も言わないということはまだ寒いままなのだろう。
不細工な塊になった布団を眺めながら静かに同田貫の枕元に座ると、同田貫が小さく口を開いた。

「また、泣いてんのか」

私は声を殺して泣いていた。
望月を忘れてしまった本丸を憎んで、忘れられた望月を思って、それを知っているのに、何も言わずに黙っていた同田貫のことがあまりにも辛くて哀れで悲しくて、部屋に戻ってからは涙が次から次へと溢れて溢れて止まらなかった。
唇を強く噛み締めて声が出ないように努めていたのに同田貫にはばれていたらしい。
けれど声を出せば変な嗚咽が出そうで、私はただ、首を振った。
目を開けていないくせに全てを見ているみたいだ。
同田貫は口の端を上げて僅かに微笑むと、その氷のように冷たい手を私の膝の上に這わせた。

「泣くなよ。笑え、と、鶴丸も言ってただろ」

きっともうずっと前から、あの怒りを露わにしてしまうほどには同田貫は疲れ切っていたことを今更になって知るなんて。
嗚咽が口をついて出てきそうで、私は両手で口元を押さえて頭を畳に擦り付けるほどに蹲った。
がさついて所々傷だらけの掌が、遠慮がちに私の髪を探り当てる。

「きっとどうしようもないことなんだ。あんたが泣くことじゃねぇよ」

息が詰まる。
くぐもった呻き声がとうとう口から漏れて、私は縋るように必死に同田貫の手を握りしめた。

「……同田貫は、消えない、よね?」

冷たい手が私の手を弱々しく握り返した。
ゆっくりと息を吐いた同田貫が、いつもの抑揚のない、ひどくのんびりとした声で言った。

「消えたくねぇなぁ」

握っても握っても同田貫の手は氷のまま。

「あんたのことが、心底愛しいんだ」

堪え切れなくなってとうとう私は子供のように情けない声を上げてしまった。
氷のような手を必死に抱き込みながら。






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