私を強く抱きしめる同田貫の髪がくすぐったい。
冷たい体は私からどんどん熱を奪っていく。
暖めてあげようだなんて烏滸がましい程の冷たさに我慢できなくなってくしゃみをすると、息だけで笑った同田貫が「寒いよな」と言ってゆっくりと私から離れた。

触れ合えば暖かくなるはずなのに、同田貫が離れた箇所から朝の光の暖かさが私の体を慌てて包み込んでくれる。
あまりの冷たさに手足の先の感覚はほとんどない。
小さな震えも止まらない。
苦しそうに眉を歪めて私を見下ろした同田貫は、穏やかな声音で呟いた。

「布団に、寝といていいか」

敷きっぱなしにしていた私の布団は柔らかな日差しに当てられ見ているだけで眠気を誘う。

「うん。あ、同田貫の部屋からもっと布団持ってくるよ」
「あぁ……、悪い。障子は開けといてくれ」

のそりと私の上から降りた同田貫はそのまま怠そうに布団へと四つん這いで進んでいく。
余程気分が悪いのか、今まで同田貫の世話を焼いたことなど無かったから私は不謹慎にも少しだけ嬉しくなった。
美しく装飾された柱に掴まって立ち上がり、美しい障子を開け放つ。
部屋の真向かいにある六畳ほどの小さな部屋にはあまり光が届かない。
こんな部屋に押し込めていたから、同田貫の体調も体温もどんどん悪くなってしまったのかもと的外れな考えが頭に浮かぶ。

一歩廊下へ出ると、長廊下から流れてくる気持ちのいい風が私の髪を優しく撫でた。
机の上には書類の束がまたいつの間にか置かれていて、私の髪を撫でた風がその束をばらばらと弄んで行く。
桜が描かれた石が書類の上に律儀に置かれているのが視界に入り、思わず胸にぐ、と押し寄せた感情は憐れみか、愛しさか。
ともかく布団を、と思い直し私は寂しい戦装束が飾られた暗い部屋の押入れを勢い良く開け放った。


「あ、主さん」
「堀川くん」

使っていなかった掛け布団を三つ、流石に抱えることはできず引きずりながら部屋から出ると、長廊下からこちらに向かう堀川くんと目が合った。
両手に抱えたお盆には朝御飯が乗っているのだろう、光に揺れる湯気がきらきらと見えた。

「持ってきましたよ」
「ありがとう、あ、そこでいい、置いといて」

声は聞こえるはずだが堀川くんの姿は部屋の中からは見えないだろう。
堀川くんからも部屋の中は見えないだろうが、寝転がっている同田貫の姿を見せるのも気が引けて私は長廊下の終点に堀川くんを留めた。

「布団重そうですね」
「うん。朝御飯、わざわざありがとうね」
「いえ、大丈夫です。僕も手伝いましょうか」
「ううん、大丈夫」

そう言いながら私はぐいぐいと布団を部屋から部屋へと押し入れた。
私の部屋にはすっぽりとその体を布団の中へ隠した同田貫が、虚ろな瞳で私を見ている。
堀川くんと話をする気も出て来る気もないらしい。
いつもなら私を押しのけてでも対応しようとするのに。

「さっき、なんかあったんですよね」
「……あー、う、うん」
「鶴丸さんに言っても何も答えなくて。あまりに強い殺意を同田貫さんが、その、鶴丸さんに向けたって、長曽祢さんが怒ってますけど」
「え……、ち、違う、あれは殺意なんかじゃ、」

堀川くんは困ったように私の瞳を窺いながら言葉を選んだ。
あれは殺意ではない、わたしは強く心の中でそう唱える。
迷うように眉を顰めた堀川くんの言葉に身構えた。

「あまりに強い力で、近寄ることもできなかったらしいです。あの暗い塊、主さんは見るの初めてですよね」
「……うん。皆は、見たことあるの」
「たまにね。同田貫さんのあの殺意を感じることはありましたよ」

暖かい光が差し込む部屋へと視線を向けた。
虚ろな瞳で私を見る同田貫は何も言わないし少しも動かない。
ただ、私の反応をその瞳に映すだけ。

「いつもはふらふら同田貫さんの後ろとか影とかに隠れてました。でもあんなにはっきり、しかも主さんの前で露わにするなんて」
「あれは殺意なんかじゃ、ないよ」
「……とにかく、同田貫さんに言っておいてください。というかどうせ聞いてるんでしょうけど。僕らの主はこの人だけです。僕らは僕らの主さんを守りさえすればいい。貴方と同じ想いのはずです。どうか、僕らにちゃんと貴方を信じさせてください」

同田貫は寝転んだまま、堀川くんの言葉にそっと目を瞑った。
応える気はないらしい。
私は慌てて堀川くんに笑顔を向ける。

「い、今、疲れて動けそうにないし、また落ち着かせたら母屋に連れてくから」
「……主さんにそう言われたら、もうそうするしかないですね。寝てるんですか、同田貫さん」
「えと、……寝転がってる」

堀川くんは僅かに瞳を細め、はぁ、と大きくため息をこぼした。
そのまま下に落とした視線は私に向けられることなく、淡々とした言葉が拗ねたように続けられる。

「ところで、今日の予定はどうしますか。まだ決めてないんですけど」
「えー……と、同田貫があんなだし私はあんまり分かんないし、同田貫が回復するまでは皆、自由ってことで……」
「分かりました。畑と馬当番は?」
「え、あ、うーん……」
「それなら僕が勝手に決めますよ」

再び大袈裟なため息を堀川くんはわざとらしく吐いた。
ごめん、という言葉が喉に詰まり、私も思わず俯く。
今まで何もしてこなかった罰か、同田貫に守られ甘やかされ続けてきた自分に情けなさが湧き上がった。
それでも何かしなければと焦りばかりが募っていく。

「……あ、望月はね、多分そのまま放っといていいと思うよ」
「え?」
「あの馬賢いし、同田貫が後で探すって言ってたしそのうちひょっこり帰ってくるかもしれないし。どうせこの神域からは出られないんだし、だから、探すのとかはもう気にしなくても、」

伏せていた視線を堀川くんはゆっくりと上げた。
大きな瞳が私を不思議そうに眺める。
何も指揮出来ない無能な審神者という烙印から逃れようと、私は余裕ぶってそんな、無意味な指示を笑顔で続けた。

「鶴丸が、多分望月を探してあんなに泥だらけになっちゃってたから。だから、それに関してはもう皆気にしないで」

堀川くんは私の言葉にすぐには反応せず、ぼんやりと私の表情を穴が開くほどに見つめる。
その意味が分からなくて、作った笑顔に変なところでもあったのかと頭に疑問符が浮かんだ時、堀川くんは小さく首を傾げて呟いた。


「望月って、なんですか」


同田貫は二年前、この本丸にただ一人残された。
修行から帰ってきた時にはもう無残に折られた冷たい刀の残骸しか残っていなかった。
大量の血の跡を辿ってこの離れの部屋へ辿り着いた時、主の亡骸はここにあったが同時に、折られた刀達も主も光に包まれて姿を消した。
血の跡も残らない。
何が起こったのかも分からない。
残された同田貫は半年もの間休みなく神域内を駆けずり回り主達の痕跡を探したが何もない。
やっと探すのを諦めてからは、素知らぬ顔で美しく在り続ける本丸と、部屋に残された美しい白い羽織と、唯一生き残った望月という馬を大切に、日々を過ごした。



そんなこと、この本丸にいる誰もが知っていることなのに。



「……え、」
「岩融さんが連れてきた馬は確か、青海波って名付けたって言ってましたよ。気性の荒い馬で、逃げ出さないように今岩融さんが厩舎を強化してるところです。馬も頭数きちんといたとさっき鶴丸さんから報告貰っているので、大丈夫ですよ」

大きな瞳が私を不思議そうに見つめながら、無感情に言葉を紡いだ。
どくりと、心臓が脈打つ。
望月は、同田貫が大切にしている馬で、唯一同田貫にしか懐かず同田貫しか扱えない。
前の本丸からこの本丸に残った美しい馬。

「……え、っ、も、望月だよ?望月、あの綺麗な馬……、あの、大広間で同田貫と話してたよね、いないって。あ、鶴丸も、まだ戻ってないって同田貫に言ってたし。同田貫が山に放したって……、言って……」

私の言葉に困ったように頬をかいた堀川くんは、その名前に本当に心当たりがないようだった。
何を言っているんだろう、と益々困惑して眉を下げた堀川くんに嘘やからかいの色は微塵も見えない。
言葉を失って立ち竦むと、堀川くんが思い出したように笑顔を作った。

「とにかく、馬は全部いるんで大丈夫ですよ。えーと、昼御飯はまたここに置いておきます。どうせ長曽祢さんには詰められるんですから、ゆっくり休んで英気を養ってください、って同田貫さんに伝えてください」
「……あ、……うん」
「じゃぁ、何かあったら貴方が心の中でちょっと思うだけで僕ら駆けつけますから。主さんも、ご飯、ちゃんと食べてくださいね」

純粋な笑顔とともに踵を返した堀川くんに何も言葉が出てこない。
長廊下を早足で歩いていくその背中を暫くぼんやりと見つめていたが、不意に部屋の中から同田貫の低い声がのんびりと響いた。

「望月なぁ」
「……え、」

柔らかな日差しに白い羽織がきらきらと輝いて見えた。
その羽織の下に横になる同田貫が、目を瞑ったままゆっくりと息を吐く。

「あんたは、忘れないでいてくれるか」

ぽつりと呟かれた言葉に、込み上げてきた何かが喉の奥をぎゅ、と強く押し上げた。






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