重く、硬い体をなんとか部屋まで運んだ。
肩を貸しただけだが人を運ぶのは思ったよりも大変で、私はじんじんと痺れる両腕をぐ、と気持ちのいいところまで大きく伸ばす。
顕現する度意識を失う私を毎回、同田貫は何も言わずに運んでくれていたのだと今改めて実感した。

同田貫は私の部屋に着くなり私から体を離し障子のすぐそばにそのまま座り込んだ。
あの暗い塊のせいなのか、思ったよりも辛そうに短い息を繰り返すその姿に胸がずきりと痛む。
背中を支えるように隣にしゃがむと、大きく息を吸い込んだ同田貫は落ち着かせるように細く長い息をゆっくりと吐きながら、部屋に飾られる前の主の白い羽織を虚ろな瞳でゆるゆると眺めた。

「大丈夫?」

ごつごつした背中を恐る恐る撫でながら、私はそう呟く。
同田貫はそんな私を一瞥もせず、口を開けたまま美しい羽織だけをその瞳に映していた。

「……あぁ、また、変なとこ見せちまったな」

いつもの、ひどくのんびりとした穏やかな声が、所々切れた唇を震わせながらか細く響いた。
冷たい背中はやはり今までと比べ物にならないくらい冷たくなっていて、さすってもさすってもその温度は戻らない。

「また、って?」
「あんたに初めて会った時も、俺が勝手に動揺して怖がらせただろ」

羽織を眺める同田貫の横顔には疲労が色濃く浮き上がっている。
よくよく見ればその瞳の下の隈は真っ青に広がり、唇の所々には血が滲んでいた。
かさつく頬には細かな傷がたくさんついていて、撫でる髪もひどく傷んでいる。
こんなにやつれていたっけ。
胸騒ぎがじとりと胸に広がり、私はなんとなく怖くなって同田貫のがさついた右手を柔らかく握り締めた。

「……あの時は、別に、怖くはなかったよ」
「でもあんた一昨日、寝ながら泣いてたじゃねぇか」
「違うよ、あれはそういう涙じゃなくて。思い出して悲しくなったっていうか、そういう……」
「なんにせよ、さっきは確実に怖がらせたよなぁ」

氷のように冷たい手だ。
昨日まではそんなことなかったのに。
確かに冷たい手ではあったが、触れても心地いいくらいのものだった。
それが今は氷山の一角を目の前にしているかのように冷気まで感じるほどで、鋭い痛みに私の手が触ることを拒否している。
表情を変えないように努めながら私は無理矢理、強く同田貫の掌を握り直した。

「……怖かった」
「だよなぁ。ほんとに、悪い、すぐ動揺しちまって、」
「でも!……強くて、強すぎて、だからものすごくかっこいいなって、思った。ほんとに!」

同田貫の言葉を遮って私は声を張り上げた。
冷たい手が僅かに動いて、白い羽織を見ていた瞳がやっと私の方へ向き直る。
隈の広がる疲れた顔がぼんやりと私を見つめてから、同田貫は小さくその表情を柔らかくした。

「そんな必死になんなよ」
「な、なるよ。なんか同田貫が、自分のこと全否定してる気がして」
「……あー、そうかぁ?」

あの暗い塊は今まで私のすぐそばにいた。
それはまさに同田貫の隠したい暗い感情で、今まで隠していたはずのそれを鶴丸に吐露してしまったのは御手杵の顕現が原因のような気がする。
共に過ごした仲間に忘れられるというのは一体どれほどの絶望なのか。
今私が目の前にいる。
この事実は同田貫にとって何の救いにもなっていない。
同田貫が叫んだ本音が頭の中で何度も浮き上がり、私はひどい無力感に泣きたくなる。
その涙をぐっとこらえ、何でもないことのように淡々と言葉を紡いだ。

「鶴丸のこと、嫌いだったの」

選んだ言葉に間違いがないか、核心には触れないようにあえて分かっていないふりを貫き私は尋ねた。
同田貫はまた前の主の白い羽織にゆっくりと視線を戻して、大きな息を吐いた。

「嫌いじゃねぇよ。前の鶴丸より今の鶴丸の方がなんか、話しやすいしな」
「じゃぁ、前の鶴丸は嫌いなんだ」
「……どうだろうな。ただ、主のそばにいたあいつにずっと、文句の一つも言いたかったんだろうよ」

他人事のように同田貫は呟く。
白い羽織に施された美しい白い刺繍は、部屋の奥から降り注ぐ柔らかな光にきらきらと煌めいていた。

「御手杵、のことは」
「……あー、あいつはさぁ。あんたに馴れ馴れしいのが気に食わねぇ。それから前よりよそよそしいし、前よりもっとへらへらしてやがる気がするし」
「前とは違う御手杵が嫌?」
「……だろうなぁ。まぁ、ただの八つ当たりだよ。後であいつらに謝んねぇと、また長曽祢にぶつくさ言われんなぁ」

ぎゅ、と冷たい手に更に力を込めると、同田貫が視線だけを私に向けた。
力のない金の瞳に胸が押し潰されそうな痛みが増す。
虚ろな金の瞳を出来るだけ真っ直ぐに見つめてから、私は無様に上擦った声で思わず叫んだ。

「……我慢してないで、私にも八つ当たってよ!私にも本音を言って。隠さないで、辛いことも寂しいことも、言ってよ、……全部。わ、私は、同田貫の主にはなれないけど、でも私は同田貫のこっ、こ、恋人なんだから!……一人で寂しいまま、苦しまないでよ」

揺れる金の瞳に僅かに光が戻った気がした。
羽織に乗せられた光が一瞬、同田貫の瞳に重なっただけかもしれない。
同田貫は私の言葉に息を吐くようにして小さく笑って、穏やかなに目を細めた。

「はは、あー、……あんたはほんとに……、愛しいなぁ」
「……え、」

氷のように冷たい分厚い体が私の顔にそのかさついた唇を寄せ、私の口から言葉を奪った。
咄嗟に引いた腰をいつの間に掴んだのか、太い腕が私を抱きしめている。
何かを思うより早く、同田貫は私の上に圧倒的な力で覆い被さってきた。

「……う、ま、待って」
「何もしねぇからさぁ、そんな構んなって。……なんか、すげぇ寒いんだ。あっためてくれよ」
「う、え、……うん」
「朝御飯が来るまででいいんだ」

氷の塊に押し潰される。
それでも私も、私の胸にもぞもぞと顔を寄せる同田貫のその旋毛がとても愛しくて仕方なかったから、出来るだけ優しい力で同田貫の体を抱きしめてやった。

「……こ、こんなことでいいなら、ずっとしてあげるよ」

私の言葉に同田貫は何も言わなかったけれど、硬い鼻先が私のみぞおちに強く押し付けられた。






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