熱すぎる風呂に浸かりながら檜の天井を眺める。
私の体で揺れる湯が僅かに風呂から流れて落ちた。

「熱いー」

外で火の番をしてくれている同田貫に呼び掛けると、「そんならやめるぞー」と間延びした声が聞こえてくる。
厠の前で待たれるのは嫌だが、この風呂は誰かが外で薪をくべないとならない。
気休め程度の格子付きの戸板はついているものの、華奢な戸板を外しさえすれば誰でも簡単に中を覗くことが出来た。
はじめの頃こそ警戒してずっと格子を見張っていたが、今日に至るまで同田貫が私を覗いたことはない。
だから最近は水蒸気を逃がすためと外で火の番をしてくれる同田貫と会話をするために戸板はいつも開けていた。

「あー、いいお湯」

深い樽型の檜風呂は私のお気に入りで、足を伸ばすことはできないが体の芯まで暖まる。
外から何の返事もなくなったから、私はふと、同田貫が何をしているのか気になった。

「同田貫ー、いるー?」
「あー?」
「何してんのー」
「なんもしてねぇよ」

ざば、と湯を掻き分けて私は格子へと手を伸ばした。
外は真っ暗で空には大量の星が見える。
この空間をこんなに心地いいものに作り上げたのが前の審神者だというのなら、私は今以上に彼に感謝しなければならない。
見える星空に一瞬目を奪わるも、格子の隙間から無理矢理下を覗けば同田貫の髪が微かに見えた。
何かに座ってぼんやりと空を眺めているらしい。
こちらを向く様子がなかったから、私は風呂から半身を乗り出し格子に顔を押し付けた。

「ねぇ」
「あ?なんだよ、ぬるいか」
「ううん、熱い」
「あったまんねぇと、風邪引くんだろ、人間は」
「そんな簡単に引かないよ」
「あんたそうやって騒いでたじゃねぇか」
「忘れた。ねぇ、それよりこっち向いて」
「はぁ?向かねぇよ」
「なんで?」
「なんでって……、薪くべたら俺のことすぐ遠ざけようとしてたのが嘘みてぇだな」
「どうせこっち見ても私の顔しか見えないのに」
「なおさら振り向く理由がねぇなぁ」
「同田貫の顔が見たいの」
「後で見れるだろ」
「今、こっち見てよ」

空を見上げたまま同田貫は心底面倒くさそうに長いため息をわざと大きく吐き出す。
短い髪の毛がちらちらと揺れるが同田貫はそのまま俯いてしまった。

「勘弁しろよ」
「なんで」
「想像しちまうだろ」

ぶっきらぼうな声がぽつりと呟かれた。
手に握る格子も檜で出来ているらしい、柔らかな匂いが鼻の先でふわふわと舞う。
下半身しか入っていないのに全身がゆだるように熱い。

「恋仲なら想像しても、いいんじゃないの」
「想像するなら現実を、」

格子の痕がつきそうなほど顔を外へと押し付けて同田貫のか細い声に耳を済ましていたのに、それを裂いたのは岩融の異様に大きな声だった。

「同田貫!」

風呂場からは死角になって見えないがどうやら母屋の方から呼んでいるらしい。
俯いていた頭がすぐに上がり、そちらの方へ視線を向けた同田貫は「なんだー?」といつもの穏やかな声をゆったりと響かせる。

「第二部隊が新入り連れてきたぞ!」

続けざまに聞こえてきた言葉に、同田貫が「分かった、すぐ行く」と応えた。
のっ反りと立ち上がった同田貫は次の瞬間には格子の真下に跪いたのか、その姿が完全に見えなくなる。

「仕事だ、火、消すぞ」
「ええぇー」
「早く出ろよ」

薪に水をかける音が聞こえた。
何か文句を垂れようかとも思ったが手早く薪を片付ける同田貫が遠ざかるのが見えたから、私は思い切り湯船に沈みこむ。
言葉の続きが聞きたかったなぁと思いながら顔を出すと、「ここに服、置いとくからな」と既に風呂場の入り口に回っていた同田貫が無遠慮に戸を叩いてそう言った。


+++


「主さん」
「おかえり、堀川くん」

顕現をする時はきちんとした正装に着替えなければならない。
このまま寝るつもりだったのに、重苦しい正装は着るだけで一苦労だ。
母屋には初めて見る刀が置かれていて、私はその大きさについ立ち止まってしまう。

「大太刀?」
「こいつは槍だな」

私の後ろについていた同田貫がその長すぎる刀身に優しく触れた。
先端の刃は凛として真っ直ぐで、すぐ脇に置かれた鞘はあまりにも仰々しい。
呆気に取られる私を尻目にその槍を軽々と持ち上げた同田貫は、難しい顔をして唇を噛み締めた。

顕現をするのには体力を使う。
私はあまり力のある審神者ではないから、顕現した後は意識を失うことが殆どだった。
今日の夜こそ同田貫と、と思ったのに。
そんな安っぽい愚痴は喉の奥にしまいこみ、私は鍛刀部屋を開ける。
部屋のど真ん中に祀られる刀掛けに同田貫がその槍をゆっくりと置き、私はその前に正座した。

「御手杵」
「え?」
「そいつの名前」

刀身の両脇に置かれる二つの蝋燭に灯をともした同田貫は、火にゆらめくその槍をぼんやりと眺めながら小さく呟いた。

「そいつとは特に、よく過ごしたんだ」

普段ならそんなことをしないのに同田貫は座る私の頭をゆっくりと撫でた。
ぎこちなく私の髪を撫で付けるその冷たい手が、微かに震えている気がした。

「あーぁ……、そいつにまで俺は、忘れられてるんだろうなぁ」

眉を大きく歪めて目を細めた同田貫が、自嘲気味に笑った。
痛々しいその顔にまた暗い影が落ちそうだったから、私は慌てて傷だらけの掌を握り締める。

「前よりもっと仲良くなれるよ」

今思えばなんて軽々しい言葉だったのだろう。
私の馬鹿な頭が必死に紡ぎだしたその言葉に同田貫は少しだけ顔の緊張を解き、それから息を吐くように笑った。
私の頭をぐりぐりと撫で付けると、同田貫は私に背を向け部屋の外へと歩き出す。

「……だといいけどよ」

呟いた声が空気にとける前に同田貫は障子を勢いよく閉めた。





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