前を歩く同田貫は喋らない。
私の手を下から支えるように引いて、この荘厳な庭をゆっくりと進んでいく。
どちらかの気紛れですぐにでも外れてしまいそうな手の繋ぎ方なのに強く握り返そうとも思わない。
指先に感じるささやかな感覚があればいい。
すぐに離せるこの手を互いに外さないよう気を払っているのだから、その行為そもそもが気恥ずかしくて、幸せなことだ。

長廊下は遥か後方にもう見えなくなった。
私がいつもぼんやりと外を眺める障子が木々の隙間に僅かに見える。
そのうち池の端に行き当たり、そこから同田貫は一層ゆっくりと歩を進めた。
あまりにゆっくりなものだから離れそうだった手が自然と近くなり、目の前にある背中からいつものお香の匂いが香る。
甘い匂いにあてられて気が抜けたらしい。
一瞬私の手が浮いたのか、刹那、同田貫の手が私の手を逃がすまいとしっかり、力強く握り直した。

「恋仲って、何すればいいんだ」

池の周りに敷き詰められた玉石をじゃり、と踏み締めながら同田貫が呟く。
冷たい掌が繋ぐというよりは握り締めるように不器用に、私の手にしがみついている。
感覚がじんじんと痺れて心臓の動きがおかしい。
空気に溶けた言葉に、働かない頭がぼんやりと応えた。

「え、手を繋いだり、口付けたり……、」

じゃり、と同田貫の足元で音が鳴る。
突然目の前で立ち止まったその背中にぶつかりそうになり、思わず見上げると、振り向いた同田貫の顔が目の前に迫っていた。
驚く間もなく、かさついた薄い唇が私の唇に小さく触れる。
すぐに離れた顔は何事もなかったかのように再び前を向き、私の動揺なんて置き去りにまた、同田貫はゆっくりと歩き出した。

「他には?」
「……えっ、えぇ、いきなりすぎて……」
「肉欲を交える他に、何か変わることがあるのか」

同田貫の足元から、玉石が潰されて鳴く音が響いた。
優しい癖になんて冷たい言葉を吐けるのだろう。
それは私への想いを肉欲以外に捉えられないと言っているのか、悲観的な思考に喉の奥がひりついた。

「……た、ただ、一緒にいたいとか、好きなものがあれば一緒に見て、一緒に食べて、一緒に寝て……、良いことがあれば真っ先に伝えたいと思い浮かべて、私のことを理解してほしいと願って、それから……」

思い付く限りのただの願望を連ねると同田貫が不意に足を止める。
言葉の途中だったからなのか、無言のまま私を見下ろし顎だけで少し先を指し示した。
池の淵の岩の影に真っ青な竜胆がひっそりと、けれど一面に咲いている。

「それから?」
「……え、あ、……それから、愛しいと、伝え合ったり、したい……、です」

恥ずかしさで目を伏せる私をその金の瞳が暫く眺め、その冷たい手が簡単に離れてしまう。
離れたそこは氷にでもあてられたかのように冷えていたが、芯に響くのは暖かな熱だ。
私を置いて数歩進み岩の影にかがんだ同田貫は何やらもぞもぞとしていたが、不意に立ち上がり美しい竜胆を花束にして私に向き直った。

「あんたに愛しいと伝えても、許されるのか」

遠くで馬が鳴く声が聞こえた。

押し付けるように差し出された竜胆を受け取ると、照れているのかすぐに目を伏せた同田貫に私は思わず笑みがこぼれてしまう。

「許すも何も嬉しすぎて……、どうしよう」
「……あーあ、余計にあんたを失いたくなくなったなぁ」
「え?」

同田貫の小さな呟きが風の音の紛れて私には聞こえなかった。
短い髪をがしがしとかき乱した同田貫はなんてことないように小さく笑って「花瓶、取りに行くか」と言ったから、その事はもうその瞬間に忘れてしまったけれど。
差し出された手にまた自身の指先を重ねると、同田貫がぎゅ、と柔らかく私の手を包み込んだ。

「あのなぁ、これでやっと大袈裟にあんたのそばにいられんのに」
「う、あの、離れそうな繋ぎ方も好きなの」
「そうかぁ?知らねぇうちにあんたが離れてそうで、落ち着かねぇ」

その冷たい掌が、慈しむように小さく私の手を弄ぶ。
ぐにぐにと揉まれるような触り方が何かを連想させそうで、私は慌てて違うことを考えた。
ここは神域なのにちゃんと外と同じに日は巡り、夕焼けは既に山の影に隠れている。
「夕焼け、綺麗だね」と呟くと、「そろそろどっかの部隊が帰ってくるかもな」と無感情に同田貫が応えた。



異変に気付いたのは花瓶を取りに行った帰り、同田貫がふと遠くを眺めて立ち止まった。

「どうしたの?」

もうすっかり落ちてしまった太陽の方角を睨み付けるように眺めたまま、同田貫は寂しそうに眉を歪める。
私の声も聞こえなかったのか、立派な花瓶を胸に抱き、突然動かなくなってしまった。

「同田貫」

耳元に小さく呼び掛けてやるとようやくはっして、同田貫は私へとその視線を向けた。
ひどく怯えたような、初めて出会った時のような、暗く塞いだ悲しい顔。
その表情が一瞬、私と見つめ合う。

「……同田貫?」

不安そうに金の瞳が揺れる。
眉を歪ませ頬を強張らせ泣くのを我慢しているように細められる瞳がすぐに私から逸らされた。
暑くもないのに同田貫の頬を一筋の汗が伝ったから、私は思わずそこに手を伸ばす。

「大丈夫?」

触れた頬骨は固く、瞬時に青ざめた顔もその汗もひどく冷たい。
暖めてやろうとその耳に触れ髪を撫でる。
添えられた私の手に同田貫はすがるように頬を寄せ、それから目を瞑ってゆっくりと息を吐いた。

「あぁ……、悪い、なんでもねぇ」

恋仲になったら何が変わるのか。
一緒にいたいと伝えることを許される、それが恋仲だと伝えればよかった。
一緒にいたい、愛しい。
私を理解して、どんな私でも受け入れてほしい。
そんなことを同田貫も願っていいと、伝えていれば。



二人で夕飯の準備をしていると、第四部隊が帰ってきた。
岩融が同田貫に何か軽口を叩いていたが、米を研ぎながら適当に流す同田貫に私はもうその出来事を思い出せずにいた。

「それで、どうだった?」
「はぁ?なにが」
「照れるな、主と首尾よくできたんだろうな?」
「……僧侶じゃねぇのかよ、下世話だなぁ。それより報告。資材、ちゃんと取ってきたんだろうな」
「あぁ、それはきちんとしたさ。それと、喜べ。馬を拾ったぞ」
「馬?」


この本丸は前の審神者がそのまま残した本丸だ。
二年前、強大になったからなのか、大掛かりな襲撃に遭い壊滅してしまった。
当然馬の数も多かったらしいが、同田貫が一人過ごした二年の間に馬の数は一頭にまで減ってしまった。

「俺の使ってたこいつだけはなんとか残ってるんだ」

同田貫が嬉しそうに私に見せたのは望月と名付けられた美しい馬で、とても同田貫になついていた。

「こいつがいるから二年間気が触れなかったのかもなぁ」

と、呑気に呟いた同田貫は、今でも望月を大切にしている。
他の人には乗せず、皆でなんとか集めた数頭の中でも望月だけは特に可愛がっていたのは周知の事実だ。


味噌汁の味を見ていたからもう少し足そうかな、どうしようかなとそんなくだらないことばかりが頭にあって、同田貫と岩融の話に注意が向かなかった。

「俺がもらっていいか。青海波と名付けた」
「そんな周到に名前まで決められたらなぁ。いいけど、他のやつが乗っても問題ねぇように手懐けろよ」

ご飯を食べた後また二人で寝ようとどうやって誘えばいいのか、それで頭が一杯だったのもある。
とにかく私はただ馬鹿みたいに呑気で、私のことを理解してと言いながら同田貫のことなんてまるで理解しようとしていなかった。

「そういえば、お前の望月はどうした?厩舎にいなかったが」

私がしてほしいことをもっと早くから同田貫にしてあげるべきだったのに。

「山に放した。そのうち戻るだろ」

寂しそうな声に、何故私は気付かなかったのか。





back



×
- ナノ -