*同田貫視点。




誰もいない本丸で目を覚まし、身体を起こし、着替えをし、井戸から水を汲んで広すぎる台所へとそれを運ぶ。
一人分の朝飯を作り、百人で一斉に食事をしても贅沢だと感じるくらいだった大広間のほんの片隅に座り、ただ黙って食事をとる。
「ごちそうさん」と呟く声が広い部屋に呑み込まれて消えた。

広い庭の手入れと畑の管理と馬の世話で一日の殆どがあっという間に終わる。
自分のことは蔑ろにしてもあまり問題がないことが二ヶ月もすると分かってきて、隙さえあれば本丸の掃除ばかりしていた。
 
主は美しい庭が好きだった。
主の部屋には燭台切や長谷部らが摘んできた美しい花が洒落た花瓶に必ず飾られ、それは毎日交換された。
庭で獲れた野菜を見せると嬉しそうに俺達を誉めてくれた。
短刀達と菓子を作るのが好きで、三日月や鶴丸と酒を呑んで酔っ払い、どの刀にも分け隔てなく優しく、大切に扱ってくれた。
勿論俺にも。


あの日、修行からやっと帰ってきた俺は、出迎えのない本丸にほんの少し不信感を抱くも、呑気なことにただ主に誉められるのを楽しみにしていた。
馬鹿みたいに。
重い扉をなんとか一人で開けた途端、目に飛び込んできたのは所々に飛び散った血の痕と、折れて散らばった大太刀と槍の残骸だった。
しんと静まり返った本丸に馬の声が遠くからか細く聞こえる。
立ちすくむ俺の前には点々と散らばる血と破壊された刀達の残骸が、主の部屋の方へと続いていた。

まとまらない思考のまま、かつて言葉を交わした刀達の破片を拾いあげながら、ひどく長い時間をかけてやっと主の部屋の前へと辿り着く。
何度も開けた襖の下からは廊下にも伸びるほどの大量の血が滲み出し、木目を真っ赤に染め上げていた。

「主」

差し込む月明かりに照らされていたのは、変わり果てた主の姿だった。
震える手が血飛沫で汚れた襖に触れる。

「主!」

俺の叫びと同時に、主は突然、柔らかな光に包み込まれ、ふわりと音もなくその姿を消していった。
驚く間もなく、俺が抱きかかえていた刀達も光に包まれふわりと消えていく。
まるで主を追うように。
腕の中からすり抜けていく恐怖に、俺はなんと言ってすがったのかもうよく覚えていない。
荒い息をどうすることもできなくて、まるで初めから何事もなかったかのように平然と、血の痕すらをも消し去った本丸だけが俺には残った。
一滴の血の痕でもいいからとにかく見つけたくて、主と他のやつらと俺と、確かにここにいた証を見つけたくて、必死に本丸中を歩き回ったその瞬間から、俺の永遠は始まった。


半年経ってやっとあいつらと主の痕跡を探す行為をやめた。
主が好きだと言っていた庭を整え、俺がろくに世話をしなかったせいで少なくなった馬の面倒を真面目にすることにした。
荒れ果てていた畑を直し、本丸を隅から隅まで掃除し、朝起きて、採れた野菜を食べ、夜に眠る。
それを淡々と繰り返した。
俺がいつか消えるまで。
修行に行く俺を主は満足そうに微笑んで見送り、待っているから、と優しい声で俺の士気を揚々と高めた。
帰ったきたら、真っ先に主に誉めてもらおうと思ったのになぁ。
一人でぼんやりしていると寂しさに追い付かれる。
夜は危険で、だからただひたすらになにも考えられなくなるまで忙しなく一日を過ごすことに終始した。



そんな永遠を一瞬に変えたのは、突然主の部屋に現れた、この女だった。

「厠に行くだけだってば」

突然、主の部屋に現れたこの女。
審神者としてこの本丸に送られたらしいが、お互いにお互いの存在が信じられなくて、数時間噛み合わない会話を続けたのは今思い出しても一番笑える。

「だから、厠に行くだけなんだからすぐだろうが」
「うん、だから、厠に行くだけですぐなんだからついてこなくてもいいよ、って」
「すぐなんだからいいじゃねぇか」
「……うん、すぐだから、ついてこなくていいよ、ってば」
「だから、すぐなんだから、ついていけばいいじゃねぇか」
「ええぇぇー……?」

あの日の俺の感情を、目の前のこの女が理解することはないだろう。
永遠に絶望した俺のあの日々を、この女が知ることもないのだろう。
主がどうやって死んだのか、他の刀達がどうやって壊れたのかを俺が永遠に知ることもないように。
だからこそ、あの日この女が現れたことは、俺にとって言葉にできないほどの喜びとなったんだ。

「ついてこなくていいって言ってるのに……」
「すぐそこなんだからついていくのになんの問題もねぇよ」
「……えぇ、すぐなんだから、別にいいんだってば。って、全く話が噛み合わない……」

もう二度とあの日と同じ絶望を味わうのだけはごめんだ。
まだまだ弱っちいかつての顔見知りに「同田貫は強いなぁ」と誉められるのは不本意なことだった。
あいつらは同じあいつらのはずなのに俺の顔も覚えていない。
かつて俺より強かったあいつらは俺よりはるかに弱くなってしまって、与えられた喜びに比例して日に日に不安は大きくなる。

右手に握りしめた刀に力を込める。
今度は絶対、この女から、この新しい主から、目を離さない。
絶対守ってやるために。

終わりの日に、俺だけ置き去りにされないために。









back



×
- ナノ -