「ここって何畳あるんだろ」

誰もいない本丸というのはどこか心許ない。
母屋の、しかもこの大広間がこんなにも静かなことはいつ以来だろう。
初めてこの本丸に来たとき以来か。
同田貫と出会ってから初期刀を顕現するまでのわずかな時間以来だ。

「さぁなぁー、百人寝転がれるように作ったって、主がはしゃいでた記憶はあるけどなぁ」
「ふーん……。……え、前の審神者がこの本丸を作ったの?」

広い大広間の一番端に向かい合って座り、質素ながらに豪華な朝御飯を啄む。
もう昼御飯の方が近い気もするが、ご丁寧に『昼御飯です』と書かれた札の横にうどんを作る一式が揃っていたから、もう少ししたら同田貫が作ってくれるだろう。
勝手な期待にすぎないが、目の前で箸を止めず白米を口に含むこの人はきっとやってくれるはずだ。

「はぁ?じゃなきゃ誰が作るんだ」
「んー……、それは、政府、とか」
「あの政府がんな気ぃ回すかぁ?まぁ、ここは元々神域だったらしいけどさぁ。中をこんなに広げてここまで大きくしたのは、全部主の力なんじゃねぇの。たまに部屋、増えてたしな」

政府から飛ばされたのは大正時代の町外れだった。
目の前には朽ちた祠。
手を伸ばしてそこに触れると、私の体はこの本丸へと導かれる。
初めてこの本丸に来た時から、美しいと思っていた。
確かに入り口は朽ちた祠で、けれどその門をくぐれば眼前に広大な山々が広がっている。
いくつかの山を越えたところにやっと見えた平屋の建物は遠目に見てもその大きさと美しさが分かった。
あまりの荘厳さに、この土地全てが自分のものだと言われても戸惑いと不安ばかりが押し寄せる。
聞いていた話と違う、あまりに大きく、広く、底の知れない不思議な感覚に妙な違和感を感じて恐ろしくなったことを覚えている。

「……審神者ってそんな力もあるの?」
「さぁ。まぁ、あんたには無さそうだな」
「う……、ない、けどさ」

私の呟きに、茶碗から白米をかっこんでいた同田貫がご飯粒を口の端につけたまま呆けた顔でこちらを見た。

「あんたもそのうち、そういう力がついたりするんじゃねぇか」
「うーん……そうなのかなぁ」
「そしたらさぁ、サウナってやつつけてくれよ」
「……えぇ、突然俗物的な……、それなら水洗トイレの方がいいよ。全自動でウォシュレット付きの」
「なんだそれ」
「何でもしてくれる厠」
「あぁー、そりゃいい……、……いいか?」

同田貫は興味もなさそうにすぐ私から視線を外し、左手に持つ茶碗から丁寧な所作で残りの米粒を掬う。
私が小さく笑うのにも気付かず何か呟いていたが、噛み締めた白米の美味さに表情を緩めた。
無表情なのにご飯を食べる時だけやけに嬉しそうなのが伝わってきて、見ているこっちまで美味しい気持ちになってしまう。

「誰もいないから、静かすぎて少し、寂しいね」

用意されていた朝御飯は白米と豆腐の味噌汁とアユの塩焼き、とうもろこしが一切れにキュウリの浅漬け。
皆と食べると大人数の家族みたいで楽しい。
互いの声だけが広い大広間に響いて消える。
その感覚はそわそわと嬉しいような、けれどやはりどこか物足りないものだった。

同田貫が静かに箸を置く。
もう既にどの器も綺麗に空になっていて、けれどいつも通り、同田貫は私の食事が終わるのを待ってくれている。
後ろ手をついて体を伸ばした同田貫は深いため息と共に天井を見上げて、どこか楽しそうに応えた。

「俺にはあんたがいるから、寂しいなんて思わねぇなぁ」

神が見捨てた神域に審神者が住まう。
町外れの寂れた神社に今にも崩れ落ちそうな祠。
この中に入れば私は審神者として戦乱へ投じる命を作り出す、ただそれだけの存在になってしまう。
そんな狂気を今まだ繋ぎ止めてくれているのは、こんな優しい言葉をかけてくれる存在が目の前にあるからだ。

「竜胆、摘みに行きたい」
「あぁ、……まぁ、仕事終わらせたらな」
「えぇー」
「えーじゃねぇよ。昨日の仕事まだ残ってるだろ。そろそろ狐も来るだろうし、それが終わってからな」
「同田貫が寝坊なんかするから」
「……あのなぁ、そもそもあんたの仕事だって、何度この会話させんだよ……」
「あんたって呼ばないでアカネって呼んで。って、何度この会話させるの」

悪戯っぽく笑って同田貫を見ると、腑抜けた顔を小さく崩して呆れたように目を伏せる。

「知るかよ」

ぶっきらぼうに言われた言葉は、ひどく穏やかな顔でのんびりと告げられた。


+++


夕刻になってやっと仕事が終わった。
溜めていた書類に延々と字を書いていたから手が痛い。
その間部屋の掃除や庭の手入れや何やらを忙しなく続けていた同田貫だったが、私が畳に寝転んでいるのを見て庭から顔を覗かせる。

「おい、終わったのか」
「うー……、終わったよ」
「偉いじゃねぇか。ここに草履持ってきてやったから、竜胆摘みに行くぞ」

庭にいた同田貫は長廊下の真ん中辺りから私に手招きをする。
ずるずると体を這わせてそこまで行くと「大袈裟だなぁ」と息だけで小さく笑った。

「疲れた……」
「いっつも俺に丸投げしてるからだろ。ほら、そこに座って足出せ」

長廊下に腰掛けると、地面に跪いた同田貫が私の素足を触る。
相変わらず世話焼きだ。
くすぐったい足に草履が器用に巻かれる様を眺めながら私はぼんやりとその旋毛を眺める。
少々きつく結ばれた草履に同田貫は満足そうによし、と小さく呟くと、脇に置いていた木の台を私の足の下へと何も言わずに入れてくれた。

「……ありがとう」
「は?」
「色々」
「あぁ?今更かよ」

かさついた武骨な掌がさも当然のように私に差し出される。
この優しさが憎かった。
私に恋心なんかないくせに私を守る、それ以上のことをしてくれるから。

「優しくしてくれて、ありがとう」

夜が明けたら全てが変わっているのだから思考と感情が入り乱れて追い付かない。
私の言葉に同田貫が僅かに目を見開いたことに、微かに頬を染め上げたことに、重ねた指先にばかりに気を取られて気付けなかった。





back



×
- ナノ -