目が醒めると私を抱き締めたまま、憑き物が落ちたような顔で眠る同田貫の顔が目の前にあった。
細い息を静かに繰り返し、幼い顔で無防備に眠る姿に嬉しくなる。
太い腕からそろりと抜け出し、起きる気配のないことを確認して私は布団から這い出た。
時刻は既に巳の刻を過ぎていて、昨日の宴などなかったかのように障子の外は静まり返っている。

細心の注意を払い部屋を出て、私は大きく体を伸ばした。
同田貫がこれだけ長い時間寝ているのも、私の出入りに気付かないのも初めてのことだ。
酒は弱いと言っていたのに何合も浴びせられ続けたのだから仕方もない。
静かな本丸に人の気配はなく、長い廊下の真ん中辺りに私は腰掛けた。
その高床から、素足を美しい庭へと投げ出し庭を眺める。

金木犀の香りが漂う。
同田貫が守った美しい庭が鳥を誘い蝶を誘い、見事な花を見渡す限りに咲き誇らせている。
大きく息を吸ってからゆっくりと吐き出し、昨夜のことをぼんやり思い出していると、出陣の準備を整えた堀川くんがこちらへとやって来た。

「おはようございます」
「おはよう。……遅くなっちゃったね」
「いえ、それが皆の望みですから。同田貫さんは?」
「まだ寝てる」

私の言葉に堀川くんは驚いたように目を丸くした。
私だって驚いているのだから、二人で互いに顔を合わせ、悪戯でもした幼子のように小さく笑い合う。

「ほんとに?すごいですね」
「ね、今度から夜遊びする時は同田貫にお酒呑ませよ」
「はは、いいですね。あ、朝食は広間に置いてますから。第三部隊と第四部隊はもう出ました。僕らも行こうと思うんですが、どうしますか」

この本丸は、全てのことを同田貫が決めていた。
近侍は同田貫以外したことはないし、一つの部隊だけは必ず本丸に残ることが当たり前だった。
私は少し迷いながら、けれど堀川くんも同じ気持ちなのだろう。
僅かに困ったような笑顔で、私からの指示を待っている。

「皆いなくなってたら、同田貫怒るかな」
「さぁ……、でも、僕らは同田貫さんと主さんに気を遣って出陣したんです、と伝えれば、何も言えませんよ」
「……うん、じゃあ、いってらっしゃい。第二部隊、隊長さん」

私の言葉に堀川くんは安心したように柔らかく笑った。
私にも堀川くんにも他の皆にも、少しの不安もない。
『その日』が来たとしても、それまで精一杯、後悔のないように生きるだけだ。

「了解しました。第四部隊は夕暮れ時には戻ると思いますから。あ、それから、主さん、」

堀川くんが私の首筋を指差して笑った。
美しい庭に鳥のさえずりが響き、池の鯉は自由に泳ぎ、遠くから馬の鳴き声が小さく聞こえる。
秋の日差しは暖かく、通り抜ける風はちょうど良い冷たさだ。


+++


暫くしてやっと同田貫が起きてきた。
ぼんやりと眠そうな目を私に向けながら、憮然とした表情で長い廊下をのっそりと歩いてくる。
顔を見るのが少し気恥ずかしい気もしたが、それは同田貫も同じようだった。
私の隣にある柱に背中を預けてずるずると座り込んだ同田貫は、ゆっくりと大きな息を吐いてから私へと手を伸ばす。
少し離れて座ったのはわざとか、伸ばさなければ繋げない距離へと、私も手を伸ばしてやった。
互いの中指と人差し指だけが小さく触れ合って、また瞬時に熱い熱が込み上げてくる。
赤くなった顔を隠そうと俯くと、やっといつもの穏やかな声がのんびりと言葉を紡いだ。

「夢じゃなかったんだなぁ」

いじらしい指の触り方が、逆に神経を昂らせて仕方がない。
それならいっそ昨夜と同じようにきつく抱き締めてくれた方が楽なのに。
指先だけを交わした熱い舌のように弄ばれれば、簡単に火照ってしまう。

「夢じゃないよ」
「……あんま覚えてねぇんだけどな」
「覚えてないの?」
「酒弱いって、言っただろ」
「えぇ……、もう」
「ところで、なんであんた俺の装束、首に巻いてんだ」

堀川くんを見送ってから同田貫の部屋に忍び入り、飾られたままの戦装束から長い布を借りた。
首にぐるぐる巻きにしたそれからは、いつもの爽やかなお香の香りがして見た目以上に心地良い。

「だめ?」
「いや、別にいいけどよ……そんな小汚ぇのなんでわざわざ」
「首筋に、痕がいっぱいついてるから」
「は?痕って……、」
「覚えてないんでしょ」

私の下手くそな口付けを同田貫は器用に受け入れ、互いの唇と舌を淫らに堪能した。
熱で浮かされた同田貫の吐息は熱い。
太く冷たい首筋に手を這わせると、同田貫の手が私の尻を強く掴む。
真ん中の熱い形が私を押し上げているのには気付いていたから、蕩けそうになる思考と、期待に、私は思わず恥ずかしい声を上げた。
そこを互いに押し付けながら、私の首筋に顔を埋める同田貫の頭を必死に抱き込む。
強い快感と、少しの痛みが、私の首を何度も何度も吸い上げた。

「……あー、痕、なぁ」

同田貫の人差し指が私の人差し指の腹を掠めるように撫でた。
ついびくりと反応してしまって、同田貫が嬉しそうに口の端をつり上げる。
仕返しに、と二本の指で同田貫の人差し指を挟んでやると、わざとらしくそれがゆっくりと揺れた。

「俺に隠しても意味ねぇんじゃねえの」
「いいの。晒すのも恥ずかしいし。この布、同田貫の匂いがして気持ちいいし」

呟いた言葉に同田貫は「そうか」と気の無い返事をし、それから少し、互いに黙りこんだ。
昨夜、淡い蝋燭の火の中に見た同田貫とはその雰囲気が異なっている気がした。
それはただ、妖艶な雰囲気から普段の雰囲気に変わったということでもない。
例えば目の下の隈が少しだけ減ったような、今まではきつく眉をひそめ唇を引き結んでいることが多かったのに遠くを眺めるその横顔は、どこか呑気で、一層穏やかだ。

「まぁ、その辺りまではな、覚えてるんだけどさぁ」

雀が二羽、遊ぶように庭を飛び立つのを見送ってから、同田貫はやっとぽつりと呟いた。
絡めた指をどちらも離すこともない。
今やっと、私と同田貫は恋仲になれたのだと実感する。

「そのあと、っつーか」
「そのあと?」
「あんたの胸が柔らかくて……、そこまでは覚えてるんだけどなぁ」

昨夜のことを思い出す。
泣いた同田貫と、繋がった唇と、抱き締められた強い腕が、そのどれをも私は忘れない。
本当は、その先の覚悟もしていたのだけれど。

「……その、俺とあんたは、まぐわったんだよ、な?」

罰が悪そうに視線を泳がせながら同田貫が呟いた。
横目で真っ赤になった同田貫を盗み見ながら、私は吹き出しそうになる口をなんとか押さえる。

私にはその覚悟があったのに。
首筋に吸い付いたまま、同田貫は事切れたかのように私に体重を乗せ、押し倒すようにして突然眠りについた。
下になった私はその後の行為を最高潮に期待していたのに、動かなくなってしまった同田貫に不安を感じてよくよく見れば静かな寝息を立てている。
私が思わず「ここでやめるの!?」と叫んでしまったことは誰も知らない。

自信のない言葉にどう応えるか考えながら意地悪く同田貫の瞳を見れば、不安そうに眉を寄せて私の顔色を窺っている。
私は小さく笑ってから、もったいぶって応えた。

「んー、どっちだと思う?」
「……う、そんな質問ありかよ」
「覚えてないなんてひどいよ」
「……悪かったよ」
「同田貫はさぁ、してた方がいい?それとも、してない方がいい?」

淡い蝋燭の灯りに照らされて、初めて無防備に眠りにつく同田貫を見た。
呼び掛けても反応はなく、冷たい体を抱き締めると強い力で抱き締め返してくれる。
何か小声で喋っていたから慌てて耳を寄せれば、「アカネ」と、その名前を初めて呼んでくれたから、宣言通り私は昨夜のことを一生忘れることはないだろう。

同田貫は少し迷ってから、恥ずかしいのか珍しく口ごもって小さく呟いた。

「……あんたの顔も、声も、味も感触も何もかも、記憶に残しておきてぇから、酔ってない時にちゃんと、したかったんだけどな」

胸の奥が熱く、溶けていく。
絡まる指にぎゅ、と力を込めて、私はゆっくりとその不安そうな瞳に告げた。

「うん。今度は、ちゃんとしてね」

暖かい日差しに心地良い風が吹き抜ける。
同田貫が守り続けた庭が、さわさわと喜ぶように風に震えた。
熱を帯びた瞳で私の瞳をぼんやりと見つめていた同田貫は、それから何かを突然思い出したように「そういえば本丸の連中は?」と、つまらない言葉を吐き捨てた。





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