*同田貫視点




主は真っ白な物が好きだった。
例えば白鳥、白百合、白い陶器、白い服、雪。
それでも俺のことを美しいと言って笑った。
俺のことを「お前が一番人間臭いな」と言って、美しい刀達の中にすんなりと招き入れてくれた。
主は真っ白な物が好きだった。

「……主は、この羽織りを気に入っててさぁ」

こんなに呑んだのは修行に出る見送りに皆で呑んだあの夜以来だ。
顔が熱く頭がぼんやりする。
膨張した血管が指の先まで押し広げるから少し痛い。
早くなる鼓動が苦しいのになんだか楽しくて、思考はまとまらなくて、あぁ、そういえば昔、鶴丸に言われたっけ。
主の唯一の近侍だった鶴丸に、「君は酒を呑むと人が変わるなぁ」と心底楽しそうに、そう言われたんだ。

布団に横になっているのだろうか。
ここまでどうやって来たのかその記憶もないが、柔らかな感触に俺は熱く臭い息を大きく吐いた。
主の気に入っていた美しい、白の羽織りが飾られたこの部屋には、甘い女の匂いが充満している。

「すげぇ自慢してきてさぁ。子どもみてぇに、何度も何度も、自慢してきて。主の就任が三年経ったから、俺らが探して買い付けたやつなのに。俺らに、自慢してきて」

ろれつが回っているのかいないのかもわからない。
別に面白くもないのに胸を灼く酒がひどく暴れて、俺はくぐもった笑いを漏らした。

「この部屋に皆をな、集めてさぁ。この羽織はどこぞの誰がこしらえたもんなんだぞすげえだろって、はは、俺らが買ったんだって。分かってるっつーの」

俺が好きな匂いのする布団がとにかく気持ちよくて、俺は頬を擦り寄せた。
体が火照って仕方ない。
着ている服を脱いで楽になりたいが、腕を動かすのもだるかった。

「この部屋に、この部屋に六十人も呼びつけて。入るわけねぇだろ、はは、皆で肩寄せあって、なんとか入って。あぁ……、懐かしい、なぁ」

重たい瞼が俺の視界を暗くした。
酒に呑まれてふわふわと踊る思考回路に、なぜ今主がいないのか、そんな疑問が浮かび上がる。

主は死んだ。
他のやつらも消えた。
俺を残して。
じんわりと目元に涙が溜まっていく。
泣くのは嫌いなんだ、目が熱くて痛くてそれなのに涙は止まらなくて、息も出来ないくらい苦しいから。

「綺麗な羽織だもんね」

穏やかな声が小さく耳に響く。
俺は子どもみたいに情けなく頷いて、けれど溢れる涙が止まらない。
やはり想像通りに喉を痛みで押し上げる感情が手に負えなくてつい、呻くような声が漏れた。

「私も同田貫の主さんに、会ってみたかったなぁ」

柔らかな声が耳から脳へと染み込んでいく。
この声が好きだ。
初めて出会った時、何故素直に嬉しいと言えなかったのだろう。
素直に、嬉しいと、あんたを待っていたと、言えていたらもっと早くからこうして二人でいられたのかもしれない。
そんなこと、今となってはどうでもいいことだけれど。

俺の耳を暖かい手が下手くそにゆっくりと撫でた。
髪の毛でも撫でているつもりなのか本当に俺の耳を撫でたいのか、くすぐったいむずがゆさが遠慮がちに感覚をなぞっていく。

目の前に鎮座する羽織を着る人はもういない。
自分の部屋になったのに、この女は羽織をどかそうとも、ましてや触れようともしなかった。
それなのにたまに嬉しそうな顔で眺めていたから、俺はその横顔をただ見つめる時が、一番穏やかで平穏な時間となっていた。

「……あぁー……、呑みすぎたな」

ふわふわとまとまらない思考が必死に働こうとする。
ここは主の部屋だが、主はもういない。
俺の耳を不器用に撫でるのはこの部屋に甘い匂いを漂わせるこの女で、そうか、今やっと二人きりになれたんだ。

まだ目頭を濡らしていた涙もそのままに、俺は体を捻って上半身だけ起こした。
やはり酒は苦手だ。
座っているはずなのにふらつく頭が心地いいような、悪いような。
自身の布団に俺を寝かしていたらしい、俺なんかにアカネという真名を告げたこの女は、布団の隅に膝を折って座り、起き上がった俺を心配そうに見つめていた。

部屋には蝋燭が一本、ゆらゆらと不安定に揺れている。
アカネの顔を淡い色で映したり隠したり、真っ白な寝衣に着替えた体を妖艶に映し出した。

火照る体が、思考から遠ざかる。
じんじんと痺れる右手をアカネの頬に伸ばした。
アカネは一瞬、驚いたように目を見開いたが、嬉しそうにその頬を擦り寄せる。

「……あったけぇなぁ、あんた」
「同田貫は、冷たいね」
「そうかぁ?」
「うん。私が、あっためてあげたい」

親指で頬を撫でると、抵抗もせず暖かな手が俺の手を包み込んだ。
甘い匂いがより一層その甘さを増し、酒よりも急速に俺の思考を奪っていく。
アカネの吐息が熱く、小さく震えているのが分かったが、こういう時どうするのが優しい振る舞いなのかよく分からない。

「あっためてくれよ」

右手ですっぽりと包み込んでしまえる小さな顔。
唇の横をゆっくりとなぞり、顎の形を確かめ、中指で耳の後ろを撫でる。
くすぐったいのか小さく首をすくめたアカネは、「ん」と小さな声を漏らした。
酒に酔ったこんな状態でさえ力を入れれば簡単に折れてしまえそうな細い首に掌を這わせ、その肩に手を忍ばせる。

「……う、」

またアカネがくぐもった声をあげたから、俺は動きを止めてぼんやりする視界の中、アカネの瞳を覗き見た。
怖いのか、震えるアカネに、多少なりとも酔いが冷めていく。
その代わり昂る感情が、早く早くと俺を急かした。

「何であんたの部屋に、招き入れたんだ」

華奢な肩の骨をなぞった。
前の次郎の話をきちんと聞いておけばよかった。
女がどういう反応をしたらどうなのか。
あぁ、主もあんなに女の扱いには気を付けろと言っていたのに。
したいことは分かっているのにすべきことが分からず、目を伏せたこの女の反応に迷いが出る。
アカネは、荒い息を苦しそうに吐きながら、恥ずかしそうに顔を背けて、小さな声で呟いた。

「……一緒に、寝たくて」

思考が溶ける。
熱い服が邪魔くさい。
吸い寄せられるようにアカネの唇に顔を寄せて、逃げ出さないことを確かめる。

この世にもう主はいない。
一緒に過ごした仲間もいない。
それでも、生き続ける意味をやっと見つけた。

「そういうことはもっと早くに言ってくれよ」
「そっちこそ……、私がどれだけ悩んだか」
「お互い様だ」

無様に唇を近付けてその柔らかさに触れる。
すぐに離すと、アカネが弾かれたように俺に飛び付いた。

「私、今日の日を一生忘れない」

柔らかな胸が俺の胸に押し付けられる。
近付いた暖かさに、酒に酔う俺が抵抗できるはずもない。
と、そういうことにしておこう。

俺の頬を両手で包み込んだアカネが、俺の都合なんて無視したまま噛み付くように荒々しく口付ける。

こいつが上に乗ったくらいで倒れることはないが、薄い布一枚隔てて俺の上に跨がるアカネの尻の感触が俺の真ん中をなぞるから、今日死ねたら確かに後悔はないのになぁと、そんな下賤なことがふと、頭を過った。






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