*次郎太刀視点。
*『余談 ―長曽祢虎徹―』の少し後、『03.十両の重みに耐えられない』の少し前のお話。




「前のアタシはさ、あんたより強かったかい?」

同田貫が一人で母屋にいることなど本当に珍しいことだった。
太い柱に体を預け、腑抜けた表情で縁側に腰掛ける同田貫の隣にアタシも倣う。
虚ろに遠くを眺める視線の先には、主の部屋がやはり少しだけ見えていた。

「はぁ?……どうだろうな。まぁ、俺よりは強かったな」

大部屋で一刻ばかり「主と少し離れてお互い休め」と詰め寄られていたのだから、その疲弊もあるのだろう。
けれどやはり同田貫の疲労はアタシの目にも色濃く見える。
守りたい、という気持ちばかりが先行して、主の気持ちも考えず自身の体さえ労らない。
確かに、出会った頃より痛々しい顔つきに変わったものだ。
観察しているのを悟られないようにアタシは努めて笑顔を作る。

「へぇ、想像もつかないね」
「強かったよ。あんたは、今も昔も夜はさっぱりだけどなぁ」
「早くに眠くなっちまうんだよ。そういうところは変わんないんだねぇ」

ぼんやりと虚ろな瞳がアタシなんか見ようともしない。
長曽祢達は主と同田貫を離せばいいと思っているらしいが、アタシには逆効果な気がしてならなかった。

「それでか。前のあんたは、朝から酒を呑んで夕刻には寝ちまうんだ」
「前の本丸では酒を呑めたのかい」
「……あぁ。俺も、あんたとよく呑んだ」

同田貫がひどく静かな声でそう呟く。
長く細い息づかいがため息のような、呼吸のような、とにかく朧気に空気を震わせた。
鳥が空に飛ぶ姿をアタシは横目で見送り、それから大袈裟に息を吸い込む。

アタシは、同田貫と主はもっと近付くべきだと思うんだ。
そうすれば主の複雑な女心も同田貫のやり場のない怒りと不安も、すぐに消え去るような気がする。
今ここで互いに離れてしまっては主の気持ちも同田貫の気持ちも宙ぶらりんのまま、もうすでに歪み始めているこの朧気な存在が、より危うくなりそうな予感がした。

「今のアタシとも、酒くらい酌み交わそうじゃないか」
「……またその話か。まぁあんたは確かに、少し酒呑んでるくらいが一番強かったけどな」
「はは、そうだろ。あんたはさぁ、少し窮屈すぎるんだよ。だから皆が不安になる。主だって、別にあんたが疎ましいわけじゃない」

アタシの言葉に同田貫の瞳が小さく揺れる。
割と仕草に感情が出やすい。
本人はそれに気付いてなさそうだが。

「疎ましがられてんだろうが。部屋追い出されて、俺を遠ざけようと逃げ出す。もう何度目だ」
「女心がわかんないのかい。同じ部屋で布団並べて寝てる方が不自然なんだよ。厠や風呂場の前で待たれんのはそりゃ嫌だろうしさ」
「何言ってんだ。厠や風呂場が一番死角になって危ねぇってのに」
「好きな男に厠の音やら風呂の音やら、聞かれて気持ちのいい女はいないよ」
「好きな男って、嫌いな男の間違いだろ」
「ふぅん、惚れられてる自覚はないんだねぇ」
「はぁ?」

ぼんやりと遠くを眺めていた同田貫が、呆れたように笑ってアタシとやっと視線を合わせた。
同田貫が動揺するのは主の話題の時だけだ。

「んなわけねぇだろ」
「そんなわけあるさ」
「あんたの思考回路がわかんねぇ。あんだけ俺を遠ざけようとしてんだ、そんな目で見られてねぇよ」
「あのねぇ、あんたのことがほんとに嫌なら、あんたから逃げてアタシらのとこにでも駆け込めば、流石のあんたも一対十七は厳しいだろう」

主の部屋から視線を外した同田貫はアタシの言葉にじっと聞き入り、それから眉を大きく歪ませて考え込むように小さく唸った。
アタシの話が分からなかったわけではなさそうだ。
むしろ辻褄が合ってしまったのか、困ったように視線を泳がせると短い髪の毛をがりがりとかきむしった。

「……十七人相手は流石にきついなぁ」
「本気であんたを遠ざけてなんかいないよ。そもそも逃げるったって、たかが畑に行ったとか池で鯉にえさやってたとか山に栗拾いに行ったとか夜中に酒取りに蔵へ行ったとか。そんなもんだろ。そんなの逃げてることにすらならないね」
「……そう、なのか」
「そうさ。主はあんたにも自分と同じ感情を持ってほしいだけだろう。守りたいとか前の本丸がどうとか、そんな話は主の知ったことじゃないんだ。ただあんたに、純粋にそばにいてほしいだけなんだろ」

長曽祢らに詰め寄られてもなんの反論もせず話を聞いていた同田貫も、きっと主との距離感に困惑していたはずだ。
アタシの演説に唇を引き結び真面目に聞き入っていた同田貫は、長いため息をついて今度は小さく頭をかいた。

「……あんたはほんと、色恋話が好きだなぁ」
「前のアタシも?」
「あぁ……、イイ女連れてくるってはしゃいで街に出てったり、俺に女を勧めてきたり。誰が一番先に人間と交われるか賭けたりな」
「へぇ。楽しそうだね」
「楽しかったさ」

同田貫が大きく息を吐いて目を瞑る。
穏やかな表情は幼く、本人は嫌がるだろうが端正な顔立ちは美しい。
思い出にでも浸っているのか黙りこんだ同田貫に、アタシは前のアタシと同じに映るのだろうか。

「……あの女を、守りさえできれば俺はいいんだ」
「そうだろうね。でも、人間ってのはそう単純じゃないんだろ」
「女ってのはほんとによくわかんねぇなぁ」
「まぁ、あんたがどう思おうと、主の気持ちはあんたと同じでもう暴走しかけてるよ。受け止めるか、かわすか、消すか、けじめつけないと。主が不安定になればアタシらも不安定になっちまう。主があんたを憎めば、アタシらもあんたを憎むことになっちまう。応える気がないならちゃんとしな」
「……分かってるよ」

拗ねた子供のようにそう応えた同田貫は体を丸くして蹲り、それから動かなくなってしまった。
膝を折って小さくなった同田貫の旋毛に、アタシは笑って言葉を落とす。

「主があんたのこと好きだからさぁ、アタシらもあんたのこと好きなんだよねぇ。だからさぁ、皆に詰め寄られたからってそんな辛そうな顔しないで、堂々としてな。あんたに対するアタシらのこの思慕は、あんたには感じ取れないんだろうけどさ」

アタシの言葉に同田貫は右手を小さく上げて応えると、より深く柱に体を預けて蹲ったまま、だらりと力を抜いて顔を伏せる。
照れたのだろうか。
顔を見せない同田貫にアタシは「不器用な刀だねぇ」と言ってやった。





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