*長曽祢視点。
*『03.十両の重みに耐えられない』の少し前のお話。




同田貫の存在はこの本丸において異質だ。

圧倒的に強い癖にどこか朧気で頼り無く、主を見る時以外はその瞳が暗く沈みこむ。
寝ずの番も俺達に代わる事もないし、かといって庭の手入れや馬の世話、果ては炊事に洗濯、掃除に仕事に部隊の配置と、常に何かしら働いている。
こいつが眠っている様を見たことがない。
まるで窮地に立たされているような殺気と共に常に刀を持ち歩き、忙しなく動き続ける間中ずっと主の部屋を見張っている。
前の主を失った哀れな境遇も知ってはいるが、その圧倒的な力で背後に無音で立たれると、確かにいい気がしないのも事実だった。

「長曽祢兄ちゃん!」

遠征から戻ってきてへとへとなのに、そんな俺を迎え入れた浦島は不満だらけの顔で昨夜のことを捲し立てた。
まずお疲れ様と言えないのか、という気持ちはさておき、このままでは共倒れしそうな主と同田貫の関係性に流石の俺ももう黙ってはいられない。

同田貫が主を守りたいのは分かるが、主はきっとそれだけの想いをお前に向けているわけではないし、そもそもお前は少し休むべきだ。
日に日にひどくなる目の下の隈と、日に日に強さを増し剥き出しになる殺気が、じわじわと形を変えて歪み始めているのを本丸全てが薄々感じ取っている。
だからこそ、せめて主だけでも窮屈な想いから解放しようと浦島、獅子王、太鼓鐘が強攻に出たのだろう。
そんな本丸の不安を知ってか知らずか、同田貫はいつものように母屋の向かいにある小さな部屋でぼんやりと主の部屋を眺めていた。

「同田貫」

同田貫の耳は良い。
長い廊下に差し掛かる大分前から既に、俺が母屋からこちらに向かっていることなど分かっているのだろう。
離れた馬小屋から主が厠へと出た音を聞き付けてすぐさま戻ってきたこともある。
ぼろぼろの体も切れる息も厭わずに、主の為に駆け付ける。
その息苦しさから、どうすれば解放できるのか分からない。

「なんだよ」
「遠征部隊が帰ってきたのに出迎えもなしか」

俺の言葉に、同田貫がぴくりと体を震わせた。
しっかりと閉められた障子を眺めたまま、少し強く吐いた息から殺気が漏れる。

「お前らを出迎えに行っている間にあの女の身に何かあったら、」
「主は寝ているのか」

いつも繰り返される同田貫のつまらない問答を遮ると、僅かに眉間にしわを寄せた同田貫が瞳を細めた。
この殺気は誰に向けているものなのだろうか。
大きく、剥き出しになる殺気に冷や汗が流れるも、俺に向けているわけでもない。
勿論主にも向けてはいないしいくら悪さをしようと他の刀剣に向かうこともない。
だとしたらこのいびつさはなんなのか。

「起きたら、あんたらのとこに連れてくよ」
「あぁ、それよりな。母屋に来て話さないか。久しぶりに全員が揃ったんだ。この本丸の部隊長である同田貫にも俺の部隊を労ってほしいしな」
「はぁ?俺から?いらねぇだろ、そんなもん」
「いや、今すぐ、母屋に来い。幸い主は寝ているんだろう。お前も今珍しく暇そうにしていたし」

主の部屋を見つめていた視線が俺の言葉にやっとこちらを見上げた。
主は同田貫のこの表情を見たことがないのだろうと、そう思う。
疲れ果てて今にも崩れそうな、弱々しい哀れな表情を。
同田貫も主の前ではまだ虚勢を張れているのかは分からないが、出会った頃より明らかに暗く澱む表情は尋常ではなかった。
かさついた唇が所々切れている。
大きな瞳が虚ろに俺を睨むと、は、と小さく同田貫は笑った。

「なんだぁ?お前俺に、喧嘩でも売ろうってのか」

薄い唇から間延びした声が、ひどく重く俺に響いた。
行き場のなかった殺気が一瞬にして黒い塊になり、ざわりと俺に向けられる。
殺気だけで殺されそうだ。
動くこともできなくて、けれどこいつを除けば今この本丸で一番強いのは俺で、一番この本丸の違和感にも気付いている。
気圧されそうになる殺気をなんとか踏ん張り、普段は微塵も見せないその好戦的な瞳を真正面から見つめ返した。

「敵うわけがないだろう。やめておく」
「やってみせなきゃあんたも納得しねぇだろ」
「いいのか。お前の大事な女が起きるぞ」

俺の言葉に、殺気がぴたりと立ち止まった。
同田貫は俺の瞳を睨むように見つめたまま、けれど不意にその力を抜き、腑抜けた顔で泣き出しそうに眉を歪める。
体にまとわりついていた殺気が音もなく消えていくのが分かった。
気付かれないように安堵のため息をこぼし、またぼんやりと主の部屋へと視線を戻す同田貫に言葉をかける。

「……そんなに、大事か」
「……あんたらには分かんねぇよ。分かってほしくもねぇし、同じ思いを共有してほしいわけでもねぇ」
「母屋に来い。少し、主と離れてみろ」
「は、またそれか。その間にこの女が死んだらどうすんだ」
「なぁ、同田貫。俺達も強くなった。お前にはまだ到底及ばないが、それでも強くなった」

虚ろな金の瞳がゆるゆると揺れている。
薄い唇は小さく開けられ、ぼろぼろの掌は恐らくこの本丸を維持し続けた結果だろう。

「お前のその感度の高い耳なら、母屋の一番こちら側の部屋から主の動向くらい簡単に分かるだろう。皆お前と主の身を案じている。ここで話せば主が起きる。今日は皆揃っている。頼むから、来い、同田貫」

ゆっくりと言葉を紡ぐと、同田貫は少しの間考え込んでから、はぁ、と大きなため息をついた。

「あの女が起きるまでだからな」

渋々立ち上がった同田貫は、いつものように右手に刀を握り締める。
視線を合わせず俺の前を通りすぎた同田貫は、何の音もさせずに母屋への長い廊下を歩き出した。
静かな庭が美しく俺達を取り囲み、閉められたままの障子が徐々に小さくなっていく。
母屋の片隅には堀川の影が心配そうにこちらを窺っていたから、俺は手を上げて部屋に入っていろと合図した。
無言で進む同田貫の背中を見ていると、ふと思い付いたことが口をついて出てしまった。

「お前にとって、俺達の主は、ただの女でしかないんだな」

言葉にしてからはっとして、けれどふりむいた同田貫の瞳が存外穏やかなものだったから、俺は下手な作り笑いで取り繕う。
同田貫はやつれた表情を一瞬、やんわりと緩め、吐き捨てるように笑った。

「ただの女だなぁ。あんたらにはわかんねぇだろうが、だからこそ、あいつが死ぬのだけは……、例えばそれが運命だとかそんなもんだとしても。それだけは、見たくねぇんだ」

寂しそうに笑った同田貫はそのほんの刹那だけ、歪んだ殺気を消し去っていた。





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