「主さん、今いいですか」
「え、あ、うん」
「さっき同田貫さんにも確認したんですけど、明日の予定はこんな感じで、」

たかだか二十人程度が食事をとるのには広すぎる大広間の片隅に私は座った。
必要な分だけ長机が置かれた大広間は、奥へ向かうほど薄暗くがらんとしている。
同田貫の気まぐれで始まる大掃除の時、襖の開け閉めだけで時間を取られるらしいこの大きな部屋に全ての顔ぶれが揃うのは久しぶりだ。


暫く私を抱き締めていた同田貫は、庭から聞こえた誰かの声を合図にやっと私から離れた。

「……悪い」
「え、も、もっとしてもいいよ」
「しねぇよ。おかしくなりそうだ」

私をいつも見る時と同じ、眉を歪ませ瞳を細める難しい顔をした同田貫は、大きなため息と共に私に背を向けた。
すがろうと伸ばした手は同田貫の服に届かず宙に投げ出される。
逃げるように立ち上がった同田貫は、わざとらしく伸びをしてそのまま庭へと体を向けた。

「夕飯、作るの手伝いに行くかなぁ」
「皆いるし、いいんじゃない?」
「いや、だからこそだろ。ほら、あんたも行くぞ」
「えぇ。もう少し一緒に……」
「皆あんたと話してぇんじゃねぇか」

驚くほど柔らかく触れ合った筈の唇から、よそよそしい言葉が投げつけられる。
庭を向いたままこちらを見ない同田貫に強い不安が押し寄せるもどうすればいいかも分からず、私の返事を待たずに部屋を出たその背中を慌てて追った。

「あ、ねぇ、竜胆は?」
「あー……、明日な」

素っ気ない返事にさっきまでの高揚感が急速にしぼんで行く。
やはり同田貫が私のそばにいてくれるのは恋でもなんでもない、ただの責任感からくるつまらない作業のような、そんなものなのだろう。
だから唇に触れてもただ、動揺しかされなかったのだ。
さらけ出してしまったのに受け入れても貰えず無視されてしまった私の気持ちはどうなるのだろう。
気持ちを隠していた時よりひどくなる痛みに、私は大きくため息をついた。


「あの、聞いてます?主さん」
「えっ、ご、ごめん」

大広間の一番端に座った私は、いつもなら隣を堂々と陣取る同田貫が私から一番遠く離れた場所に座っている様を眺めていた。
長曽祢と次郎と何やら言い合うように話していたのに、今ではひどく複雑な顔をしてきつく口を引き結び二人の言葉に真剣に耳を傾けている。
何故隣に来てくれないのか、俺のそばを離れるなといつも言うのは同田貫なのに。
三人が何の話をしているのかばかりが気になって、堀川くんの話は途中から頭に入っていなかった。

「同田貫さん、気になりますか」
「うん。……えっ?!や、ちがっ、」
「ずっと見てますよ」
「え、あ、うーん……、ご、ごめん」

堀川くんの言葉に顔が熱くなる。
そんな私に堀川くんが呆れたように笑った。

「まぁ、いいですけど。そういえばさっきなんで隠れてたんですか」
「えぇ?!……ずばっと聞くね」
「刀ですから」
「関係あるの……」
「秘密ですか?」
「んー……、うん。まぁ、今はまだ、なんにもないし。なんかよく分かんないから」
「ふーん」

長曽祢と次郎も多少難しい顔をして諭すように同田貫に次々言葉を発している。
長曽祢はともかくとして次郎まであんなに真剣な顔をしているのは珍しい。
反論したそうに口を僅かに開けながらも、結局頭を抱え込むようにして俯いた同田貫を、次郎が慰めるように笑って豪快に背中を叩いた。

「同田貫さんもおんなじこと言ってました。なんで当事者がよくわかんないんですかね」
「……さぁー、そういうこともあるよ。私は早まりすぎたんだろうし。同田貫は青天の霹靂だったのかもしれないし。もしかしたら、拒否する言葉を知らないのかも」
「……まぁ、当事者でもない僕にはさっぱりですけど」

堀川くんは書類を丁寧に揃えると優しく微笑んで立ち上がった。
とうとう顔を机に突っ伏してしまった同田貫を笑い飛ばす次郎と、呆れたように笑いながらまた何かを話す長曽祢を羨ましく思う。
あんな風に笑い合いたいだけなのに、いや、下心があるのだからああいう風にもなれないのは分かってはいるけれど。

片想いは、悔しい。

「ご飯、炊けたかなぁ」
「そろそろじゃないですか」
「私も配膳手伝う」
「いいですね。珍しく同田貫さんも見てないですし。短刀が喜びますよ」
「うん。……よし、行こ」

長曽祢までが同田貫の短い髪を無遠慮に撫で付けるのが視界に入って、大広間に来てから一度も目の合わない同田貫に苛ついて、私はそう意気込んで大袈裟に立ち上がった。
自分が夕飯の準備を手伝うとか言っていたくせに話してばかり。
自分が守ると言って付け回していた癖にあっさり離れる。
あぁ、もう、なぜこんなに苛つくのかすら分からない。

堀川くんの後に続いて脇目も振らずに台所へと向かう。
途中、土間へ降りる大きな段差に、堀川くんがわざわざ下で待って私にその手を差し伸べてくれた。

「……あ、りがとう」
「この前、乱がここから落ちたんですよ」
「えっ、大丈夫だったの?」
「あっ!言わないでよ!」
「そうそう、落ちたよな〜派手に。それで手入れ部屋いれられてやんの」
「黙って、愛染!」

触れた堀川くんの掌は、柔らかく華奢で、驚くほど暖かかった。
短刀達の楽しそうな声を聞き流し、私は思わず堀川くんの掌を両手でぐにぐにと撫で回す。
私よりも細長く美しい手だ。
肌の質感も女の人みたいにキメ細やかで、ぼろぼろの同田貫の掌とは相反している。
それより何より、私と同じか、ほんの少し暖かいその肌は、氷のように冷たい同田貫より遥かに人間だった。

「……あったかい」
「そうですか?愛染とか、あ、意外と鶴丸さんも体温高めですよ」

私に無遠慮に触られながらも堀川くんは動じるわけでもなく逃げるわけでもなくそう言った。
掌に触れた時の、同田貫の難しい表情を思い出す。

「……冷たい人間なんて、いないもんね」
「そりゃ、貴方が僕らを人間にしてくれたんですから。冷たいならまだ、刀のままじゃないですか」

暖かい手に自身の手を絡ませた。
この戦乱に巻き込まれてから久しぶりに触れた、血の通った体温に、ぞくりと気持ちの悪い悪寒が背中を這い上がる。
そういえば獅子王の手も確かに暖かかった。
冷たいのは、同田貫だけ。

「主さん?」
「えっ、あ、ごめん」
「僕はいいですけど、その、同田貫さんに睨まれてるので、離してください」
「……え、」
「見てますよ、同田貫さん、貴女のこと。あ、だめです振り向いたら。そのまま、皆と仲良く食事の準備しましょ」

堀川くんが私の背中に優しく手を添えた。
押し出されるように台所へと歩を進める。
釜からは良い匂いが漏れだして、山から取ってきたのだろうキノコと栗と、美味しそうな魚がもうほぼ揃っている。

「ちょっとね、昼間に皆で話して。多分、一瞬でも貴女と同田貫さんが離れたら、多分ね。よく分かんない今の状況も、変わると思いますよ」

堀川くんはにこにこと微笑みながら私にどでかい盆を持たせた。
木で作られた大きな盆をそのままぼんやりと受け取ると、袖をまくりあげた岩融が、「お、今日の配膳は主か?」とにやりと笑った。





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