テーマ『トラウマ/外出』
sink in thinking様へ提出





同田貫の絶望を私は知らない。

「どこ行くんだ」

こっそりと扉を開け、誰もいないことを確認した静かな廊下に足を踏み出す。
誰にも、というよりは隣の部屋にいるであろう近侍にばれないように出てきたつもりだったのに、三歩も進まないうちに低い声が私の耳を掠めた。
その声の正体を知っていたから私はひどくどきりとして、一瞬でひきつった顔を声の主へと向ける。

「……えーっ、と、ちょっと畑、に……」

いつも無表情ではあるが私と話す時だけわずかに眉間にしわを寄せる、その表情がとてもじゃないが好意的には見えなくて、私は声の主である同田貫のことが少し苦手だった。

「畑?浦島と太鼓鐘、サボってんのか」
「あっ、いや、違うの、ただ、とうもろこしをね、……採れたてで、食べたくなって」

それならば近侍にしなければいいだけなのだが、この本丸の中で一番強く、一番の古株である同田貫以外にはまだ任せることができなかった。
というのも、前任が亡くなり放置されていたこの本丸にほんの三ヶ月前、たまたま私が収まったというだけで、同田貫と他の刀剣の強さには大きな差があるからだ。

三ヶ月前に初めて見た本丸は、想像通り、昔ながらの古びたものだった。
けれどひどく荒れ果てていると身構えていたこの本丸は意外なことに隅々まで掃除が行き届いており、更には庭も美しく完璧に整備され、馬や畑も生き生きと存在し続けていた。
大掃除から始まると想像していた私にこの美しすぎる本丸はかなりの衝撃だった。
拍子抜けしてしまった私は完璧なまでに美しい前任の審神者の部屋でぼんやりと思い巡らす。
忙しなく巡る不安や緊張も忘れかけた時、不意に部屋の前に現れたのがこの同田貫との出会いだった。

「とうもろこしぃ?」
「う、うん。昨日堀川くんが持ってきてくれたの美味しくて……、もぎたてが美味しいよって、聞いたから」

私の言葉に同田貫は僅かに目を細め、短い髪の毛をがりがりとかいた。
眉間にしわを寄せたまま同田貫は何かを少し考えてから、唸るように低い声を絞り出す。

「食いてぇのか」
「……、うん」
「はぁ……、仕方ねぇなぁ。俺も行く」
「えっ、」

主のいない本丸で、同田貫は一人、ずっと存在していた。
他の刀剣は折れてしまったりいつのまにか消えてしまったりしたらしい。
俺はそもそもの刀の数が多いから、俺だけは形を保ってんのかもなぁと出会った頃、無関心にそう言っていた。

あの日私を見た同田貫の瞳が、信じられないほど大きく揺らいだことを私は忘れない。
私を泣き出しそうな顔で見つめたまま微動だにしなかった同田貫の胸中は計り知れない。
ただ一人、この広い本丸に取り残された同田貫の絶望を、私は知らない。

「んな嫌そうな顔すんなよ。そもそもあんたが俺に気付かれないで部屋から抜け出せると思ってんのが間違いだ」
「……だって、さっき寝てたんじゃないの?昨日も遅くまで起きてたし……、悪いかなと思って」

同田貫は私を見るときだけ僅かに瞳を細める。
短い言葉で会話を終わらせようとするし、喋るときは決まって眉間にしわを寄せる。
その仕草に辛くなる。
同田貫がきっと待ちわびた、待ち望んだ審神者に私はなれないと知っているから。

「別に、なぁ。刀の寝不足の心配しねぇでも」
「今は刀じゃないから、寝ないと疲労溜まっちゃうよ」

部屋から完全に姿を見せた同田貫は、本丸の中を移動するだけなのにきちんと自身の刀をその右手に握りしめている。
はじめはひどく怖くて冷たい態度に悲しくもなったりしたが、こうして、ともすれば煩わしいほどに私のそばにいようとするその姿に、応えたいと思う気持ちが募るばかりだ。

「あんたが寝れば俺も寝るさ」
「私はとうもろこし食べたいけど同田貫は眠いんじゃないの?……本丸の中なんだし、浦島君も太鼓鐘君もいるんだし部屋にいてくれていいのに……」
「いや。あんたがとうもろこし食べたいなら、俺も食べたい。それならいいだろ」

柔らかな低い声が私の耳を撫でる。
憮然と言い放たれた言葉に私の弱い心臓が簡単に疼いた。

「……えぇ、そうやって厠にでもついてくるんだから……」
「仕方ねぇだろ。人間は、思った以上に弱ぇからなぁ」

右手に握りしめる同田貫の刀が、かしゃりと、寂しそうな音をたてた。
前任の審神者のことを最近はとても羨ましく思っている自分がいる。
死してなおこんなにも想われるだなんて、やはり素晴らしい審神者だったに違いない。
まだまだ不甲斐ない審神者でごめんね、と、どこか虚ろに空を睨む同田貫の表情を盗み見て、小さく痛んだ胸を撫で付けた。

「そんなに、弱くない、よ」
「……まぁ、なんつうか。俺が隣にいるのが当たり前だって、早く慣れた方がいいんじゃねぇか」

ゆったりと私の横に並んだ同田貫が、いつものように少しだけ眉間にしわを寄せ、睨むような、泣き出しそうな顔で私を見つめた。
見た目からは想像もつかないほど穏やかで柔らかな言葉が、じんわりと私の心に沁みこんでいく。






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