おはなし | ナノ 04 握った手をゆっくりと離した冬



「三郎さま!」


僕が飛び込んだ医務室で、三郎さまは見慣れぬ顔で布団に入って寝ていらした。ではこれが、『雷蔵』の顔なのか。
目がまん丸に見開かれて、どうしてここにという疑問がありありと見て取れる。


「倒れたと聞いて、居ても立ってもいられず…」
「…馬鹿か。ただの風邪だ」
「ですが今年の風邪は悪くすると危ないと聞きます」
「熱は引いたから、そう心配しなくても大丈夫ですよ」


穏やかな声にはっと顔を上げると、なるほど、この方が『伊作先輩』なのだろう。優しい笑みを浮かべた人が、僕が飛び越えた衝立の向こうからこちらを窺っていた。
僕は自分の失態に慌てて、その場に膝をつき深々と礼をした。


「これは御無礼を…!ぼ、僕、じゃなくて私は鉢屋の家のもにょで」
「落ち着け、呂律が回ってない」
「うぅ…」


恥ずかしすぎて頭が上げられない。三郎さまの呆れたような溜息が聞こえる。不甲斐ない家人ですみません…。


「私の家の者ですが、すぐに帰しますから気にしないでください」
「そんな、せっかく心配して駆け付けてくれたんだろう?少しくらいゆっくり…」
「駄目です」


きっぱりと言い切った三郎さまは、布団から出て僕の手を掴んだ。いつも冷たい手は、熱の余韻を残してほんのりと温かい。なんだか、知らない人の手みたいで、僕は戸惑ってしまう。


「三郎さま」
「さっさと帰れ。余計な事を言う前に」
「でも、伊作さまは知っておられます」
「…は?」


僕の言葉を聞いて眉間に皺を寄せた三郎さまは、ゆっくりと伊作さまに顔を向けた。
伊作さまはにっこりと笑って、「貴方は医師ですね」と僕に訊ねられた。


「はい。鉢屋の医師の一人でございます」
「僕と新野先生が知っておくべきことはありますか」
「今のところは薬で防ぐことが出来ます。が、今回のような熱が高くなる風邪などはよく注意してください。薬の効果が薄れてしまうので、他の病を併発する危険があります」
「はい。他には」
「それは三郎さまがご自身で気を付けておられるので心配ないです」


現に五年間、学園に行っている間は意地でも平常を守り通していた。
僕と伊作さまの会話を聞いている三郎さまは、呆気にとられたような、悔しそうな、奇妙な顔をしていらした。僕の手を握る手に、力が入る。
だって、当り前じゃないですか、三郎さま。


「伊作さまも、お医者様の一人です。気付かれないなんて、無理な話です」
「いや、僕忍たまなんですけど」
「ですがお薬に詳しいとお聞きしております。この薬と、この薬の処方は可能でしょうか」
「…ああ、はい。材料さえあれば出来ますよ」


握られてない方の手で懐から薬を出せば、名前を聞くまでもなく理解してくれた。これは、中々いいお医者様だ。なんで忍者なんて目指してるんだろう。
内心で首を傾げる僕を置いて、三郎さまは切羽詰まった声を伊作さまに向ける。


「伊作先輩、あの」
「ああ、安心して。気付いてるのは僕と新野先生だけだから。不破達には言わないよ」
「…信じますよ」


むっつりと呟いた三郎さまは、そのまま僕をひっぱって部屋を出た。
慌てて手を振る僕に手を振り返してくれる伊作さまは、なんだかずっと想像していた通りの人だったなぁ。





「三郎さま」
「…さっさと帰れ。どうせ黙って出てきたんだろう」


門まで引き摺られるように進み、退門票へのサインは三郎さまがさらりと書いてしまわれた。
むう。この機会に噂の雷蔵さま達を見てみたかったのに。
顔に出ていたのだろうか、三郎さまは苦い顔で僕の額を叩いた。痛い。


「酷いです」
「酷いのはどっちだ。なんで伊作先輩に話した。肯定しなければ、あの人は確信が持てないままだっただろうに」
「あと一年と少し、三郎さまが安全に過ごせるようにです」


年々、三郎さまが帰ることが少なくなっていた。薬を切らしても、鍛錬が、補習が、委員会がと理由を付けて帰還しない。
鉢屋の家で待つ僕はその度、三郎さまの身体を案じて夜も眠れなかった。
…僕がいないと、僕が作る薬がないと、なんて、どうして思っていられたのか。


「これで安心です。具合が悪くなっても、先生や伊作さまを頼ってください」
「お前、そのためにわざわざ来たのか…」
「それもありますけど」


倒れたと聞いて、心配だったのも本当だ。
それに、僕はこの方に言わなくちゃいけないこともあった。


「三郎さま」
「なんだ。もういいからさっさと帰れ。夜は雪が降るぞ」
「僕、桜の木で三郎さまが僕を引っ張ってってくれたこと、本当に嬉しかったんです」
「あ?」
「あの時見た景色、きっとずっと忘れません。桜が咲くたびに思い出すでしょう」
「何を言って…」
「三郎さま、どうか御身体を大事にお過ごしください。……では、春にまた」


ゆっくりと離した手は、いつものように冷たくて大きい。僕の大好きな三郎さまの手だ。


僕はきっと春が来るたび、この手のことも思いだすんだろう。



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