おはなし | ナノ
モブのきもち5
面倒くさがる綾部と穴を埋めた帰り、俺も腹が減ったので食堂へ行きました。泥は簡単に手拭いで落としただけなので、腹ごしらえを終えたら風呂に行こうかね。綾部が「私も行きます」なんて頬袋もごもごさせながら言うが、お前は他のレギュラー組といろよ。四年ってレギュラーの中でも濃い奴らの集まりだから、すぐ目に付く。今も中央近くで平と田村が喧嘩して、途中入りした髪結いの男がなだめていた。
「どっちにしろもう少ししたら集合する気がします。今度は夜の話ですかねぇ」
「だったら余計に風呂入ってる場合じゃねぇだろ」
「泥だらけでじゃりじゃりして気持ち悪いんですよ。せめて少しの間くらい綺麗な姿で予習がしたいです。確か宿題も出ていた気がしますし」
「お前実は真面目な…」
「穴だけ掘っててい組なんてなれません。あ、名前先輩丁度いい。風呂からあがったら勉強見て下さい」
「風呂入ることは決定してんだな…あーまぁいいだろ。四年の授業なんてほぼ覚えてねぇから、分かる範囲でだけど。よし、じゃあ部屋帰ったら勘ちゃんと…」
そこまで口にして、俺ははっと言葉を止めた。じっと見て来る綾部の視線が痛い。俺の部屋は一人部屋、元々同室がいるなんて設定ないんだ。そう思い込もうとしてたのに、無意識は俺を裏切る。自己嫌悪です。地中深くに埋まってしまいたい。綾部の堀った穴、今なら使い道があるぞ。
「あ」
綾部が目をまぁるくさせて、俺の後ろを凝視しました。ぎっと硬直する身体。後ろを振り向けない。綾部の視線の向こうに、あの子がいるんだと、直感が告げていた。俺の知らない、あの子が。
「やぁ綾部、今朝ぶり」
「今日は滝夜叉丸達と一緒じゃないんだな。なんだ、喧嘩でもしたのか」
のほほんとした聞きなれた声にじわりと温かくなった胸の内は、次いで聞こえた声に再度冷え切った。
「…いいえ、そういつも一緒じゃありません」
「そうだったか?」
「あ、そうだ綾部、聞いてよ!兵助ったらB定食にするんだよ?今日はA定だよねぇ」
「Bは豆腐が付いてるから当然なのだ。Aにした勘ちゃんのがおかしい」
『兵助』、『勘ちゃん』、親しげな呼び合いに、ぎゅっと手を握りしめる。そう呼んでいたのは、俺だったのに。優しい声で名前を呼ばれていたのは、俺だったのに。
「綾部、悪いな。先に行く」
悪いなんて微塵も思ってないけれど、断って席を立つ。久々知が俺の顔に一瞬興味を寄せるが、次の瞬間存在なんて無いように綾部の方を向く。一瞬、瞬き一つで俺は忘れられるのです。いつものことさ。なんとなく気落ちした俺は、とてもあの子の方を向ける気分でもなく、無理矢理に視線を落としてその場を立ち去った。
「尾浜先輩、気になります?」
「え?」
今去って行った同学年の子、何処かで見たような気がしてじっと後ろ姿を見つめていたら、声をかけられてようやく綾部がじっとこちらを見ていたことに気づく。いつも通りの無表情だ。
汁物を啜る綾部は、まるで責めるような視線で俺を射抜いてくる。
「今の子、知り合い?」
「そうです」
「ふぅん…」
そっか。見たこと無いけど同じ学年だよなぁ。首を傾げていると、綾部の斜め前に腰かけた兵助が豆腐に箸をつけながら同じように首を傾げた。
「今の子って、誰のことだ?」
「え?誰って、今去ってった五年の…」
「今五年生いたか?三郎?」
「…え?」
兵助が心底不思議そうに聞いてくる。え、たった今の出来事なのに?兵助ってば、豆腐豆腐言ってるから記憶力も豆腐になっちゃったんじゃないの。だから夜ふかしして用具の仕事なんてするなっていつも言って…あれ?用具?
「兵助って、火薬委員だったよね」
「そうなのだ」
おかしいな。記憶違い?でも今の五年生は綾部も見ているし…
「綾部」
「あれぇ、なんですかー」
「今の五年生って、誰?」
「そぉんなこと、尾浜先輩の方がよく知ってるじゃないですかぁ!さーて、僕そろそろ長屋に行かなきゃいけないみたいです。じゃあ先輩方、ご機嫌よー」
「え、ああ、うん」
「ああ、またなー」
ひらりひらりといつも通りの笑顔で手を振る綾部に、戸惑いながら応える俺と、豆腐を食べながら手を振り返す兵助。穴掘りが好きな後輩は食器の乗ったトレー片手によいせと腰を上げ、そのまま去るのかと思いきやまた俺をじっと見つめた。
「尾浜先輩、気になるなら追いかけなきゃ。たぶん次は無いよ」
「次?」
「懐の石っころは、一回限り有効ってことでーす」
意味が分からない。
でも俺は、なんとなく走り出していた。兵助の止める声も綾部の笑い声も振り切り、ただ彼が去った方へと。
…気付けばいつも持っているこの青い石のことを、なんで綾部は知っていたんだろう?
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