おはなし | ナノ
人形芝居15
「…だ、れ…?」
緊張から掠れた声で呟けば、闇は小さく身動ぎした。
私はそれに意志があるものを感じ、ほっと安堵する。考えないものとは話せない。打ち解けることが出来ない。だから話せない闇は、いつだって簡単に姿を変えた。
「それはこちらの台詞だ」
ぼそ、と呟かれた言葉に、相手が男だと知る。先の老人のように老いた声ではないが、若いともいえない、落ち着いた声。
首筋に突きつけられていた何かが引く感覚に、知らず詰めていた息を吐いた。指先まで冷たい。
「この部屋は主の部屋じゃなかったのか」
それとも君が、この遊女屋の主なのかな?
からかう口調に一切の柔らかさを感じさせない男は、私の体を少しだけ解放した。
「…木乃伊(みいら)男?」
「…木乃伊とは、言ってくれるね」
目に映ったのは、漆黒の装束から覗く肌全てを包帯に包んだ男の姿だった。思わず呟くほど、木乃伊。
男は包帯から露わになった片目だけをぎょろりと向けて、私を観察した。
不躾な視線に少々腹が立ったが、不満を告げて殺されるのも嫌だ。私はじっと男を待った。
ふと、男の視線が私の腰帯の辺りで止まった。
つられて目を向ければ、黒い腰帯に差した扇、の飾り紐。藍色を主とした糸で編まれ組まれたその紐に何を感じたのか、男は目元をついと和らげる。
途端、あれほど怖かった気配が一気に霧散した。私は縺れそうになる舌を叱咤して、掠れたような声を絞り出す。
「…この紐が、何か」
「いや、とても綺麗な品だと思ってね」
「欲しければ似た品が前の通りで買えますよ。ここらでは珍しくもない品です」
「これ程の一品、一般人にはとても手を出せないよ」
「あなたが、」
あなたが一般人だと言うのか。あの存在感も威圧感も、殺気も、とても一般の人々の発するものではないだろうに。
以前見た客の用心棒を思い出した。傷だらけの男は一切の口をきかず、異様な雰囲気を漂わせながら座敷の片隅で座っていた。何かあれば主人にすぐ駆け寄れる位置で、じっと空気の様に。
この男はあの用心棒と同じような感じがする。いや、あれよりも、もっと…
「…私は、この見世の主ではありません」
「主の伽女では?」
「違います。主様は今夜出かけておりますし、それに何よりあの方はご自身の屋敷がおありです」
襲撃ならばそちらへどうぞ。私は黙っておりますので。
すらすら暴露する私に不信感を感じたのだろう。男は黒布で巻かれた手で私の顎を掴んできた。
「こちらがそれを信じると?」
「……はい」
「君が主の愛人で、私がこの手を離した途端大声をあげて人を呼ぶかもしれないのに?」
「私が叫んだところで、奥まったこの部屋まで誰かが来るのは時間がかかります。その前に貴方は私を殺して遠くへ逃げてしまうでしょう」
私は目線だけで、周囲を見回した。
そういえばこの男はこの部屋にどうやって侵入したのだろう?窓には格子が嵌め込んであるし、部屋に上がる階段は一つきり、そして戸の周囲は一番近い部屋まで微かに届くほど軋むような音が鳴るのに。
「この部屋をご覧ください。遊里一と名高い遊女屋の主の愛人の部屋にしては、質素だと思いませんか?葛籠の中身も遊女達から譲られた衣装や扇で、そう多くもありません。そして私が愛人でない一番の理由ですが…」
そこで私は、飾り紐に手を触れた。
伏木蔵、守っておくれ。
「主様は、男色は好みませんので」
勢いよくむき出した胸元を見て、男は初めて人間らしい感情を見せた。
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