おはなし | ナノ
人形芝居9
「伏木蔵はここかい」
土産話も一段落したあと、上機嫌な伏木蔵をくすぐって遊んでいたら、声とともにガタリと開かれた。
私の部屋の前の廊下と戸は必ず音が鳴る。老朽化のせいだと言われているが、それが修理されることはない。
現れた主様はにこにこと伏木蔵を見た。
「やあ伏木蔵、お帰り。久しぶりに見たら随分と大きくなったじゃないか」
「ただいま主さま。僕、大きくなった?」
「ああ、ああ。今に母親の背を抜くだろうて」
「主様、父ですよ」
「やったぁ〜母さまの背を抜くなんてスリル〜」
「伏木蔵、父ですってば」
畜生この狸、私が何度注意しても聞く耳持たずだ。
遣手や遊女、主様までがこの調子なせいか、伏木蔵は一向に私を『父』と呼んでくれない。
今回の帰省の際にこそ、と意気込んでいたが、どうやら失敗らしい。
「さぁ伏木蔵、こちらへおいで。良い物をあげよう」
「なに〜?」
ころりと転がって行く伏木蔵。困ったことに伏木蔵は、この廓の主にけっこう懐いていた。祖父だとでも思っているのだろうか。
その伸びやかな様子にますます破顔した主様が袂から何かを取り出す。棒のような…いや、扇だ。薄藍の扇。呆れたことに黒塗りの骨には、金色の蒔絵が光っていた。
「お前の母親と揃いで誂えたのだ。これで母と一緒に踊って見せてくれないかい」
「駄目です!」
強く拒否した私に吃驚したのか、伏木蔵が目を丸くした。しかしこれは駄目だ。
「伏木蔵はいつも学園で勉強しているのです。たまの休みくらい羽を伸ばさないと。舞なんてしてたら疲れてしまいます」
「私の前でだけでいいんだ。何も大勢の前で舞えと言っているわけじゃない」
「それでも、駄目です」
「お前がそうでも、伏木蔵はどうなんだい?」
「老い先短い老人からの頼みだ。どうか聞いておくれ」と弱々しい声を出す主様。優しい伏木蔵の性質を知っているからこその『技』だ。もう十年以上接してきた男の魂胆は見えていた。
しかし幼いがゆえに世間の狡猾さを知らない伏木蔵は、首を傾げて私を覗き込んだ。
「母さま、僕、大丈夫だよ?」
「伏木蔵…」
「母さまと舞いたい」
期待したような我が子の眼差しに、それ以上反対は出来なかった。
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