おはなし | ナノ
拍手ログ10/しんべヱ
「いつも鼻水出てるんだね」
なんだか不思議な生物を見ている気分だ。
私は仕事で福富屋へ行くたび、いつもその子どもが気になって仕方がない。
庭でぼんやり空を見ているその子はかなりいい身なりなので、恐らく福富屋の御曹司なのだろうな。…その割には、名前を聞かないなぁ。余程箱入りで育ててるんだろう。出来過ぎる跡取りをある日突然爆弾の様に披露するつもりなのか、はたまた周囲に公開できないほどお粗末な子どもで跡取り候補からは外されているのか。
毎回下世話な想いでちらりと見るのだが、そのたび空を一心に見上げる子どもの鼻から垂れる、鼻水が気になってしまう。一定の位置で止まっているあれは、どういう原理なのだろうか。というか拭え。仮にも大店の息子なら、懐紙くらい持っているだろう。見かねた家の者が拭ってやったりしないのか。
…身なりは整えられているが、もしかして、鼻を拭う紙すら貰えないのか?いや、ありえないことじゃない。あまりの出来の悪さに家の者達から邪険に扱われているのかもしれない。だとしたら空をずっと見ているのは、他に何もさせて貰えず苛めから逃げるための逃避行動なのか?
私は悶々とした考えに我慢できず、ある日ついに、子どもに話しかけることにした。
「あー、おじさん、いっつも仕事で来てる人だね」
「おじっ、わ、私はまだ二十半ばだから、お兄さんと呼んでほしいな…」
「うん、分かったー」
初っ端から色々と挫かれた気もするが、私は当初の目的を思い出して気を取り直した。…そんなに老けて見えるのか?
「君はこの家の子?」
「うん、ぼくしんべヱ。お兄さんは?」
「私は名前というんだ」
「はーい。名前お兄さんだね」
ふむ。中々素直ないい子じゃないか。
「しんべヱ君は、いつもここで何をしているのかな」
「ぼく?空を見てた」
「…そう。ところでしんべヱ君、君は鼻水が出ているようだけど…」
「あー、ぼく、鼻炎持ちでいっつも鼻が出てんのー」
「へえ、それは大変だね」
ハブにされてるうえ病気持ちか…!私は込み上げる涙を堪えて懐紙の束をしんべヱ君に押し付けた。
しんべヱ君は驚いた顔をしていたが、「それをあげるから鼻を拭うといいよ」と言うと、緩い笑顔で「ありがとうございますー」と言ってくれた。い、いい子だ…!
「だからこそ邪険にされるとか不憫すぎると思うんだ!もう私どうしたらいい留三郎!」
「名前兄ちゃん…その妄想癖どうにかしねぇと嫁の来てがねぇぞ」
「ええい私の嫁問題よりあの子の事情のが深刻だ!お前も来年には最上級生になるんだから、ああいう子を見かけたらそれとなく心を配れよ!優しくしろ!」
「村一番の成功者とか言われてんのに、中身がこれだからなぁ…」
「聞いてるのか留三郎ぉぉぉ!!」
「へいへい」
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