おはなし | ナノ
04 風にさそわれたひとひら
「うそ…」
特徴的な狐の面。
月明かりを反射して鈍く光る美しい髪。
線が細い体を包む、黒い装束。
「嘘なものか。嘘吐きはどちらだ」
老桜の太い枝に腰かけ、こちらを見下ろす、その姿。
「三郎さま…?」
「それ以外に、誰がいる」
くくく、と笑った気配がした。
面越しであるけれど、僕が彼を見間違える事はない。ずっと、ずっと見てきたのだ。
「お前を攫いに来た。少々予定していたよりも時間がかかったが、その分もう誰にも文句は言わせない」
鉢屋の意向は全て私の手にある、と。
呟かれた言葉に、息が止まるかと思った。
「ま、待って下さい!当主様は…それに三郎さまは、だって」
継ぐのを嫌がって、卒業したら『雷蔵さま』と双忍として何処かの城に入るか、僕の用心棒をやって全国を旅しようか、なんて折にふれては冗談のように話していた。
僕の言わんとすることなんてお見通しなのだろう。風が吹いたと思ったら三郎さまはいつの間にか地面に着地していて、目を白黒させる僕におどけて肩を竦めてみせた。
「継いでやったさ。若いと馬鹿にした老臣共も結果で黙らせてやった。アイツも」
三郎さまがアイツと呼ぶのは、恐らく当主様だろう。最後に見た厳しい顔と「悪いな」という一言を思い出して、僕の肩がびくりと跳ねた。それを見て、三郎さまが一歩こちらへ踏み出す。
「…もう口出しなどさせない。お前を私から奪う権利など誰にもない」
二歩、三歩と近くなる距離に、僕は動くことなんて出来なかった。それよりも記憶より伸びた身長と僅かに低くなった声、それに背くように痩せた身体に泣きたくなった。
面倒臭がりで、滅多に本気にならないくせに、時折何かに夢中になると寝食を忘れる三郎さま。度が過ぎると口を酸っぱくして文句を言う僕に苦笑しながら止めてくれてたのに。
「お前も、私から離れる権利などない」
ぎゅっ。
握られた手首が酷く熱い。
冷たくて大きい、僕の大好きな三郎さまの手が、火傷しそうなくらい熱く感じた。
鼻をくすぐる血と硝煙と土と鉄と白粉の香りに、だけど薬の匂いがしないことに気付いて顔を凝視すると、面の目に開いた穴の向こうで、ギラリと光る虚ろな瞳が見えた。それに爆発するほどの歓喜を感じた僕は、ゆっくりと体から力を抜いた。
「おおせの、ままに」
三郎さまの後で、月明かりに桜が赤く光り、花びらが舞い散っていく。
僕は…そう、僕はもうこの手から離れることなんて、二度と出来ないに違いない。
prev/top/next