おはなし | ナノ 死にたがり駄目男



「ああ死にたい」


先輩は二言目には必ずその言葉を言っていたので、正直、僕はもうほとんど気にならなくなっていた。
なのでその日も先輩の悪癖が始まったな、くらいしか感じず、中在家先輩から指示されていた本の修復作業に意識の大半を傾ける僕の生返事を聞いているのかいないのか、先輩はなおも沈んだ声を溢した。


「ああもう、ほんとやだ」
「はぁ」
「町で団子を買って帰るように言われてたのに、うっかり忘れてたんだ」


先輩が死にたがる理由は、大抵大したことじゃない。
曰く人の手を踏んでしまった、曰く借り物の本を落としてしまった、曰く課題の何処かが間違っていた。どれも本当に些細な日常の一コマで、普通だったらそんなに気にしないようなことばかり。それをこの先輩は毎回、まるで人生最大の汚点だと言わんばかりに気にする。


「生きていることが辛いよ久作」
「はぁ」
「死にたいなぁひっそりと静かに死にたいなぁ。白い花畑で眠るように死にたいなぁ。誰にも見られることなくひっそりと死にたいなぁ。誰に迷惑をかけることなく死にたいなぁ。なんで私はこんな失敗をしでかしてしまったんだろう。なのになんでまだ生きているんだろう。ああもう、死にたい」


ぶつぶつと呟きながら、先輩は新しく入った本の幾つかに貸出禁の印を押していく。先ほど先輩が町の古書店から受け取って来たものだ。今日は中在家先輩も不破先輩もいなかったけれど、注文していた本を受け取るくらい私でも出来るよ、と先輩は一人で町に行って、案の定失敗をしてきたらしい。鉢屋先輩から「ついでに買ってきてくれ」と頼まれてた団子を忘れるとか、ある意味凄い。あの不破先輩に変装した、得体の知れない先輩相手に喧嘩を売ったようなものだ。僕にはまず出来ない。


「先輩は、真面目なくせにどこか抜けてますよね」
「よく言われる…」
「本が好きで知識量は凄いのに算術はさっぱりとか、木には登れるのに屋根の上は駄目だとか」
「中途半端に忘れっぽいから公式と途中計算を覚えていられないんだ。それに高所恐怖症だから、掴まる場所の無い屋根の上はちょっと…木の上は枝があるから幾分マシだけど」
「………」


本当に、変な先輩だ。


「で?」
「え?」
「団子、買ってこれなかったんですよね。鉢屋先輩に言ったんですか」
「思い出したときは学園だったから…うん。謝ったら許してくれたけど、『今日の委員会は茶菓子の無いお茶会だ。さぞ下級生は残念がるだろう…これくらいの遣いも出来ないのか』とお叱りを受けてしまったよ…ああ、思い出したらまた悲しくなってきた。なんで忘れていられたんだろう、私の大馬鹿」
「でも結局許してもらえたなら、良かったじゃないですか」
「…うん。鉢屋先輩はとても優しい人だ。不甲斐ない私に饅頭まで与えてくれた。でもその優しい人のお願いすら叶えられなかった自分に心底がっかりした…」
「いや茶菓子あるじゃないですか!それ鉢屋先輩にからかわれたんですよ先輩!」


まったくこの人は、四年生のくせに。例の悪戯好きの先輩も冗談を真に受けてしゅんとしてしまった後輩を見て、心底焦ったに違いない、と溜息を吐きたくなった。
どうせこの後は、本に朱墨が滲んだとか言ってまた死にたくなるんだろうな。
少しくらい気楽に生きればいいのに。



(ああもうほんと、駄目な人だ)



周りからは堅いと言われるい組の、しかも下級生にそんな心配されているなんて、もはや口癖となった言葉を呟く先輩が知ったらどう思うんだろう。
……その結果が容易に想像できて遂に重い溜息をこぼす僕の隣で「朱墨がっ」という涙声が響いた。



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