百日紅が咲く頃に 『紫色の百日紅が咲く頃に帰ってくるからな』 兄様がそう言って頭を撫でてくれたのは、もう随分と前のこと。 今では僕はあの頃の兄様と同じ年になり、忍者の学校というものに通っている。 背だって随分と伸びたし、昔のようにちょっとのことじゃ泣かなくなった。 成長した僕は、だけどまだあの約束を忘れることが出来ないでいる。 「今年も百日紅が綺麗に咲いたなぁ」 「綺麗な桃色だ」 三郎の髪についたふわふわの花弁を摘まんで取ってやった。 僕の髪を模した三郎の髪は、いつ触っても同じ手触りで毎回驚いてしまう。何で作ってあるんだろう? 「白いのが向こうに咲いてたぞ」 「ハチ」 「虫は見つかったのか」 「あと一匹がなぁ」 他はほら、この通り。 ハチが掲げて見せた虫籠には、下級生が逃がしたっていう虫達がうぞうぞと蠢いていた。…あまり直視したい光景じゃない。 「白いのはたまに見るが、紫はここらでは滅多にないな」 「紫の百日紅なんてあるのか?」 「私の育った山には結構あったぞ。雷蔵の所はどうだ?」 「……え」 「?紫色の百日紅、雷蔵の故郷にはあったか、と」 ハチと三郎が怪訝な顔をした。僕は自分の顔が強張っていたことに気づいて、努めて苦笑いの形に変えながら首を傾げて応える。 「さあ…あったかなぁ」 一面に広がる百日紅の桃色。 泣きじゃくってた僕の寝巻きの白色。 必死にしがみついた、兄様の着物の紫色。 毎年百日紅が咲くたび、必死に山を歩き回って探したけれど、ただの一本だって望んだ色にはならなかった。 あの山で咲く紫色なんて、藤か兄様の着物くらいだったんだって、ようやく理解出来たのは学園に入学してから。 兄様はもう戻る気はないって、言葉にしないで伝えてたのかも。泣いてすがる弟が、傷つかないように。いつか大きくなって自分で気づくまで、悲しむことがないように。 でも、 もしかしたら、 「あったのかなぁ」 一本だけ、何処かにあるのかもしれない。 まだ咲いてないだけで。 毎年うっかり咲くのを忘れてるだけで。 それを見つければ、約束通り兄様は帰ってきてくれるんじゃないかって。 そう思ってしまうから、そのたび僕は、あの約束を忘れることが出来なくなってしまう。 「曖昧だなぁ」 「百日紅の時期になんて、もう二年くらい帰ってないからね」 「学園長の思い付きひとつで休暇なんて変動するからな」 「あ!そういや今度混合でなんかやるって噂聞いたぞ!どうなんだよ学級委員!?」 「ノーコメントだ」 「うわっ、その顔は…」 「絶対に何かあるね…」 ハチと顔を見合わせて、溜め息を吐いた。 どうやら今度の休暇も潰れそうな予感に、残念なような、どこかホッとしたような。 …でも、もしかしたら、今年こそ? 「俺、今度こそ帰るって文出したばっかなのに…」 「タイミングが悪かったな。ああほら、探してた最後の一匹、あれじゃないか?」 「ああ!せん子!」 「おまっ…、それはあの先輩に喧嘩売ってるのか!?」 「焙烙火矢の錆にされちゃうよ!?」 「悪いことは言わない、今からでも改名しろ!」 一目散に虫めがけて駆け出した後ろ姿に、必死に説得の声を投げながら追いかける僕ら。友人をみすみす炭にするわけにはいかない…! その時僕は、ハチの背中を見て、とてもいいことを思い付いた。 思わず、隣を走る三郎に抱きつきたくなるくらいの名案だ。 「ねぇ三郎!」 「なん、だ!っていうか待てハチ!お前なんだその速さ!?」 「あはは!ねぇ、もし次の休暇が潰れなかったら、僕と一緒に、百日紅を探してくれないかっ?」 「…百日紅を?」 なんで気づかなかったんだろう! 「一人より、皆で探した方がいいよねっ」 一人きりで幾ら探しても見つからなかった紫色の百日紅。 今年こそ、見つかる気がした。 『雷蔵が大きくなって、友達いっぱいできたら、紹介してくれよ。それ楽しみに、俺、紫色の百日紅が咲く頃に帰ってくるからな』 今度こそ、咲いてる気がした。 2011/10/26 03:49 |