02
「利吉様の所に連れて行って……。攫って欲しいなんて無理は言わないわ。でも最後に一目だけ、あの人と会ってお話がしたいの」

紡がれた音は、苦し紛れに絞り出された、死に際の喘鳴にも似ていた。

「これで最後にすると約束する。もう二度と、あなたには迷惑をかけないと違うわ。だから、どうかお願いーー」

震える声で懇願され、さしもの名前とて胸が痛んだ。
彼女の肩を持つのは非常に癪だが、正直なところ、名前はお姫様の気持ちが良く分かる気がしたので。
もうすっかり忘れ去られて久しいが、実は名前もまた嫁入り前の立場。
うっかりナーバスになる心境にも同意出来るし、相手とは別に思い人がいるともなれば、尚更……。心境はまさしく悲劇のヒロインである。

「あなた、どこの城に嫁ぐんですか?相手は泣くほど嫌な奴なの?DV疑惑とか浮気癖とかが懸念されるカス野郎なら、天女が選りすぐりの狂信者達をけしかけて差し上げてもよろしいですよ」

お姫様はズビッと鼻をすすった。

「違うわ。お相手は立派な方よ。今をときめくタソガレドキ城の城主様だもの。戦上手で知られる賢将だわーー黄昏甚兵衛様って言うんだけど」
「え、えぇ〜〜〜〜〜っ!?」

名前はビックリして飛び上がった。
どことなくしんみりとしていた空気が、たちまち霧散する。

「え、え!?黄昏甚兵衛!?あなたタソガレドキ城に嫁ぐの!?」
「何よ。だからそう言ってるじゃない」
「もうすでに二股……!?」

何故か物凄くショックを受けて、名前は儚くよろめいた。
どうして名前がフラれた感じになっているのか。

「何なのよ、その反応は」
「いや実はカクカクシカジカ……」

慌てて事情を説明すれば、お姫様だけでなく、久々知少年まで驚きに目を見開いていた。
そうか、彼は護衛任務で纏まった日数学園を離れていたから、今回の嫁入り騒動が耳に入っていなかったのだ。

「同時期に二人も嫁を取るのか。それも、片や諸国がこぞって欲しがる天女、片や家格上回る大貴族の姫君……これは何かあるな」

久々知少年が考え込む横で、お姫様は妙に達観した笑みを見せた。

「“何かある“ですって?そんなの決まってるじゃない。わたくし、天女の影武者にされたのよ!……黄昏甚兵衛様は、なるべく行列は豪勢にせよと仰ったの。より目立つように、より絢爛に……。城下には、きっともう天女が嫁いでくるという噂が流れているわ。皆、あの行列こそが天女の嫁入り行列だろうと思うでしょうね」
「影武者……?」

名前は、背筋が凍る思いを味わった。
山ぶ鬼嬢を助けたくて、天女の重荷を背負わせたくなくて、決死の思いで下した決断が、また次の影武者を生んでしまったと言うのか。

天女の結婚は、言葉以上に大きな意味を持つ。
城下を練り歩く行列が本当に天女のものでなかったとしても、“もしかしたら”と諸国に思わせるだけで、それは十分な威力を発揮するのだ。

「おい!どこ行くんだ天女様!」

気がつくと、名前は身を翻して駆け出していた。
今はとにかく、山田利吉を探さなければいけないと思った。

***

「……いや、思ったところで」

必死に走り出したは良いものの、疲労に比例して冷静さを取り戻してきた名前は、クレバーに考えた。

「山田利吉が、こんな都合良く忍術学園にいるわけないんだよなぁ」

神出鬼没を絵に描いたような山田利吉は、基本的に不在がちだ。
たまに姿を見せたかと思えば、山田父の洗濯物を回収したり、山田母のお小言を伝達したりと、仲介業者めいた地味な立ち回りをしている。
その辺の道端でバッタリ鉢合わせる奇跡を期待するよりは、地道に忍術学園に張り込んだ方が、まぁなんぼか遭遇率はマシかもしれないが。

「……とは言っても、そう上手く会えるわけないしなぁ」

妙に張り切って走ったせいで、名前は忍たま長屋の近くまでやって来ていた。
この辺は競合区域とも被っているので、下手すると罠のご厄介になりかねない。下級生が多いゾーンは多少なり手心が加えられているが、上級生ゾーンはリアルに人死にが出るレベルなのだ。か弱い名前はひとたまりもない。早く帰ってご飯食べて寝ようーーと、思ったのも束の間。

「誰と誰が会うんですか?」
「ぎゃあ!?」

突然至近距離から肩を叩かれて、名前は驚いた拍子に足元の落とし穴を踏み抜いたのだった。

***

ひと騒動あったが、何とか落とし穴から引き上げられた名前は、驚くべきことに山田利吉と顔を合わせていた。
ーーそう、あの時名前を穴に突き落とした張本人は、あろうことか山田利吉だったのだ!
本人にそう言えば「私は断じて突き落としてなどいません!」と、力の限り否定するだろうが、真相は全身泥まみれとなった名前の姿が物語っていよう。社会人たるもの、結果で語る癖をつけた方がいいよ。

「色々言いたいことはありますけど、まぁこの際どうでもいいや。丁度良かった。天女は貴方を探していたんです!」

名前を助け出す過程で、己もまた土埃に塗れた山田利吉は、不可解そうな表情を浮かべた。

「……珍しいこともあるものですね。天女様が私を探すとは」
「は?どう言う意味?」
「そのままの意味です。何故いつもそう喧嘩腰になるのか」

指摘されて、名前は俄然慌てた。
そうだ!こんなところで喧嘩している時間はないのだった!

「あのね山田利吉、事態は一刻を争います。今、例のお姫様が忍術学園に来てるんですけど、しのごの言わず、とりあえず彼女に会ってほしいのです!駆け足!絶対駆け足で!」
「……私が?何故?」
「な、何故とは!?」

名前は答えに窮したーー真実を言うべきか、言わざるべきか。
そして、この場合の真実とは、勿論彼女の秘めたる思いについてだ。

勘が鋭い山田利吉のことだから、彼女が送る秋波には少なからず気付いていたはず……。でも、立場上それを指摘することは憚られるし、彼女も彼女で、貴族としての己の役割をわきまえていたから、好意を態度に出しこそすれ、しかし決定的な言葉を吐くことはなかった。
そんな揺れる乙女心を、名前が勝手に暴くのはいかがなものか。
やっぱりそれって決め台詞にも程があるので、自分で言うべきだよね?

ーー自問自答すること約三秒。
時間が許す限り悩み抜いた名前は、やがて一つの決断を下し、

「黙秘します」

人として当然の権利を主張することにした。

「…………は?」
「だから黙秘です。黙秘権って知ってますか?憲法によって保証された権利です。つまり内緒ということなんです。天女は先程、しのごの言うなと命じたはず。余計なことは考えず、なるべく脳死を保ったまま、黙って天女の言葉に従いやがれ!」

焦りの大きさは、次第に声の大きさとなって現れる。
何せ山田利吉の追求を逃れるためには、もはや勢いに頼る他ないのだ。
最後は結構本気で腹から声を出し、名前はゼーゼーと肩を揺らした。
大声を出すって疲れるんだな……。新たな境地に達してしまった。

「……言いたいことはそれだけですか?」

大声を出した反動で、何だかいつもより静かに感じられる空間。
そこで、ひときわ静けさを纏う山田利吉が、ひっそりと呟いた。

「私が気付いていないとお思いでしたか?だとすれば遺憾です。私は貴女とは違って、鈍くもなければ非道でもないんです。……あの姫君が、私に懸想していることはとっくに知っていました。知っていた上で、応えないと決めていた。それがお互いのためだと、彼女も分かっていたはずです」

山田利吉は、わざとらしく微笑んだ。

「姫君は嫁ぐそうですね。人妻になってしまう前に、私に心の内を打ち明けようと言うのでしょう。……それで、貴女はその取り次ぎを?なるほど、さすがは天女様。貴女はつくづくお優しい方ですね。あんなに仲が悪かった女にまで手を差し伸べるなんて。全く呆れるほどお優しい。……私以外には、と言う但し書きが付きますが」

名前はギクリと固まった。

「そ、そんなことない!天女は博愛主義者だから、誰に対しても平等だし……。や、山田利吉にだって優しいでしょ!」
「生憎ですが、私は貴女に優しくされた覚えはありません。もし優しくしたいと思っておいでなら、もう少し私になびいて頂けませんか?」
「い、頂けませんね…………」

名前は白旗を挙げた。
すみません、頼むから勘弁してください。
もう何度目になるかも分からぬ拒絶の言葉を吐いて、名前は項垂れた。

「山田利吉、お願いだからもう諦めてよ……。何回頼まれても天女の意思は変わらないし、いつか絶対に元の世界に帰るつもりだし、天女が天女でいる以上、誰か特定の人を選ぶことはないんだよ。天女に、あんまり酷いこと言わせないでよ。天女だってしんどい時はしんどいんだよ」

山田利吉を突き放す度、誰かを傷付けたことによって生じる心理的なダメージが、決して少なからぬ質量をもって名前の心に押し寄せる。
山田利吉の心が粉々に砕けて、その砕けた破片が宙を舞って、向かい合う名前の心に突き刺さるかのような。そんなイメージが頭に浮かんだ。

「天女様こそ酷い人だ。貴女を恋慕う私に、貴女は他の女の元へ向かえと唆すのですね」
「……そうだよ。天女は酷い奴なんだよ。だから、早く行きなよ」
「…………」

山田利吉は、たった一度名前の頬に触れてから、そのまま踵を返した。
言葉もない。表情すらも読み取れない、そんなほんの一瞬の触れ合いが、むしろ奴の思いの強さを如実に物語っているようで、名前は今にも頭を掻きむしりそうになった。
毎回きっちり傷付くくせに、どうしてこうも諦めが悪いのか……もう、ほとんどお手上げの心境だ。
お姫様を見習って、アイツももっと自分の立場を弁えてほしいのに。

「だって山田利吉、絶対天女に会いに来てるじゃん……」

山田夫妻を言い訳に、色々仮説を並べ立ててみたが、結局のところ最近奴が忍術学園に顔を出す理由といえば、八割五分が名前にあるのだ。
気持ちに応えないと決めた以上、もっと毅然とした態度を貫かねばならないのに、どうしても奴を前にすると、気が緩んでしまう自分がいる。こんなの絶対的に詰んでいる……。
でも、仕方ないじゃないか。孤独な異世界生活で、唯一最初から変わらず、ずっと隣にいてくれた人なのだ。断じて友達ではないけど、友達に一番近い位置にいる存在だと思っている。
そして何より、宝物のような故郷の思い出を共に分かち合った相手だ。
これを特別と言わずして、果たして何と形容すべきなのか。

「天女が男なら良かったな……」

考えるだけ無益だと思う。
ーーでも、もしもそうだったなら。
今頃、普通の友達になれていたのだろうかと、少し切なく感じた。

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