03
「あ、三郎!遅いと思ったらまだそんな所にいたのか。一年の二人がソワソワして待ってるぞ」

偽福富屋に担がれて暫しした頃、前方から聞き馴れぬ声がした。
現在、進行方向に対して足を向けている名前は、残念ながら声の主を視認することが出来ない。しかし、その気安い口ぶりからして、気難しい偽福富屋とも比較的親しい間柄の人間であることが推察出来た。

「ああ、遅くなってすまない。天女の治療に手間取っていた。腐っても女人の体だからな。傷跡が残らんよう、善法寺先輩には無理を言ってしまったんだ」
「え!天女様怪我してたの!?」
「大したことはない。私の不注意だ」

偽福富屋の回答を聞いて、名前は一瞬「あれ?」と思った。
この冷血漢のことだから、ここぞとばかりに名前の足の遅さとか、怪我するに至った経緯とか、とにかく此方が不利になるような情報を、のべつ幕なしに言い募るものだと思っていたのだ。
それなのに、実際は名前を庇うような言い方をする。
そういえば先程も、名前と善法寺氏の“桶屋事件”については最後まで触れなかったし……もしかして、忍者なのにデリカシーがあるのか!?

「おーい、天女様聞いてるー?」

その時、急に顔の前で手を振られ、名前は考え事を取りやめた。
のそのそと首を持ち上げれば、丸い目玉と目が合う。
名前の視線に気付き、“彼”はにっこりと笑った。

「お、気付いた気付いた。初めまして〜じゃ、ないか。実は前にちょっと会ったことあるんだけど、もう忘れてるかな。俺は五年い組の尾浜勘右衛門!よろしくね」
「あ……そういえば見たことあります。どうも、天女です」

尾浜勘右衛門と名乗る彼は、以前学園長の部屋で見かけた顔だった。
実を言うと、顔よりも特徴的な髪型の方が記憶に残っていたが、改めて思い返せば、この人懐こい笑顔にも既視感がある。
偽福富屋の肩に引っかかったまま、軽く右手を掲げて挨拶とした。

「あ、こうしてる場合じゃないんだった。三郎、庄左ヱ門と彦四郎が待ってるから急いだ急いだ!」
「おいっ!」

挨拶が済むと、尾浜少年は打って変わって慌てた表情を浮かべ、偽福富屋の背を力づくで押し出す。
初めこそ、その強引な手口に抗っていた偽福富屋だが、最後は面倒になったのか、最早されるがまま……。結局、名前の体がバウンドしないよう、偽福富屋の片手をシートベルト代わりにしながら、名前達は廊下を足早に進むこととなったのだ。
ーーで、それはそうと。名前の潤沢な経験値が語るに曰く、“初手で内容が伏せられた急ぎの用”って、大抵ろくでもない事なんだよなぁ。

***

先にオチから言うと、名前の予想は的中した。

「なんで天女がゾンビ解除薬作りに関わらないといけないんですか」

……という訳で、名前に下された次なる指令は、ゾンビ化した狂信者達を正気に戻す解毒薬の調合だった。無理ゲー乙。

「いやいやいや、別に天女様に薬を作れって言ってるわけじゃないよ。ただ、一緒に作るのを手伝ってほしいってだけで」
「同じ事じゃないですか」
「同じじゃないってば!実際に作るのは保健委員会と新野先生なんだけど、天女様には、ちょっとだけ助言というか、見守りというか、とにかくその場にいてほしいだけなんだよ!」
「天女の目には薬の威力増幅効果とか無いんで……」

名前の前で必死に手を合わせる尾浜少年から、そっと視線を外す。
この人、妙に軽くお願いしてくれるけど、実際薬の調合って素人が簡単に手を出して良い領域ではないし、国家資格とか薬事法とか、その他色々な利権とかが絡んでくる、結構とんでもない行為ではないのか。
そもそも、あんな見たこともない奇怪な症例に対する解除薬なんて、とても一朝一夕で作れるとは思えない。臨床試験とかどうするんだ?

「そんな君にはこの言葉を送ろう。“正気か?”……以上です」
「天女様〜〜〜!!!!」

ついに尾浜少年が涙声を上げた時、二人の間に割り込む声があった。

「天女様!僕からも是非お願いします!」
「ぼ、僕からも!」

そこにいたのは、きっちり背筋を伸ばして正座する二人の少年。
一人は黒木庄左ヱ門くん。もう一人は今福彦四郎くんである。
この二人と尾浜少年、それから偽福富屋を合わせた計四人が、忍術学園が学園長直轄の委員会ーー学級委員長委員会のメンバーなのだ。

「う…………」

以前お世話になった加藤少年と同学年の二人は、当然名前よりも年下だ。そんな二人の穢れなき眼差しに射抜かれ、名前は反論の言葉を飲み込んだ。お子様いたいけ純真無垢パワーを使うのは狡い。

「で、でもですよ、お二人さん。天女は薬に対して何の知識も持ってないんです。足手まといにこそなれ、手助けなんて出来ません。天女が自分の無力さに打ちひしがれ、鬱病になっても良いって言うんですか?」
「それはやってみないと分かりません」

おどおどと言い返す名前の言葉を遮り、黒木少年がドンッ!と力強く胸を叩いた。

「作法委員会の報告によると、天女様が現れたことで、信者達の症状が進行したとのことです。それってつまり、天女様の存在が、信者達に何らかの影響を与えてるということですよね。これは薬の開発において、大きな手がかりになると考えられます!」
「え……あ……そう言えば……」

そんなこともあったな!今の今まですっかり忘れていた事実を突き付けられ、名前は今度こそ閉口した。気のせいであれと思い続けて来たが、やはり作法委員会の目は欺けなかったらしい。しっかり学園長に報告していやがったのか。これでは、名前黒幕説もあり得るではないか。

「そ……それはそれ!これはこれ!」

名前は苦し紛れに、右の物を左に動かす仕草をした。
しかし、名前の悪あがきは四人がかりで黙殺された。殺生な。

「天女様、みんな、天女様に酷いことはしません。少し手伝ってほしいだけなんです。それでもお嫌ですか?」

名前が絶望の四つん這いポーズになっていたところ、控えめに裾を引かれた。今福少年が、おずおずとこちらを見上げている。

「僕、天女様には凄いお力があると聞きました。天女様は、まだそのお力に気付いていないかもしれませんが、でも、いつかきっと見つけることが出来ると思うんです。薬作りをすることで、僕達にも、天女様の能力を探すお手伝いが出来るかもしれないし。お互いに助け合うのは如何でしょうか」
「今福少年……」

名前はこの時、初めて性善説を信じた。
忍者と言えども元は人。きっと、その本性は善なのだ。ただ、長く忍者の世界に身を置くうち、段々と毒されてしまうだけで……。
この学園で言うと、果たして何年生から善性を欠落していくのだろうか。それもまた、いずれ名前が解き明かすべき命題なのかもしれない。

「というのも全部声に出てるからお前は本当に脊髄反射で生きるのをやめろ」
「ひゃい」

偽福富屋に頬を引き伸ばされ、名前は脊髄反射で頷いた。

***

「ところで、どうして学級委員長委員会が音頭を取ってるんですか?最初から保健委員会の人に説得させれば良いのでは」

ひとまず話がついてしまったので、名前は賄賂代わりのお菓子を頂きながら、黒木少年に淹れてもらった茶を啜った。

「はい。今回は複数の委員会が関わる内容になっていたので、一旦の取り纏めとして僕達が選ばれたんです。ここの顧問は学園長先生なので、色々な伝達もしやすいですし」
「ふーん。……ていうか、君達もの凄くしっかりしてますね。加藤少年も頼り甲斐ありましたし、笹山少年も何か凄いし、天女より年下とは思えないんですが」
「ありがとうございます。団蔵も兵太夫もまた天女様にお会いしたいと言っていましたから、伝えておきますね。きっと喜びます」
「え〜そうなんですか?天女普通に会いに行きますけど。あんまり学園の中を出歩くなって言われてたので、そういえば全然人に会ってないんですよね」

最初に学園を訪れた時は、くのたま長屋からほとんど出ることなく一日を過ごしていた。食べ物すらも部屋に運んでもらっていたので、頼まれてもいないセルフ軟禁生活をしていたと言っても過言ではない。
名前としても学園の人間には思うところがあったので、あまり顔を合わせたくなかったのだが……それでも、加藤少年くらいには改めて挨拶すべきであった。なんたって、粗相の現場も見られた仲だし。

「い組にも是非いらしてください!伝七が、あまり天女様のことを詳しく話してくれなくて……。僕達の組では、天女様は空を飛ぶとか絶世の美女だとか言われてるんです。流石にそれは嘘ですよね?」
「前半はともかく、後半を嘘と認定するのは時期尚早だと思います」
「時期尚早!良い言葉ですね。メモしておきます!」
「な、流されただと……?」

地味にショックを受けたが、たぶん彼に悪気はないのだ。
名前は涙を飲んだ。ガーン。

「ーーそう言えば、天女様っていつか元の世界に帰るの?」

そんな折、名前と一年生の応酬が終わった頃を見計らって、尾浜少年が会話に割り込んで来た。
俺コンビニ行くけど何か買って来る?並みにあっさりした口調である。
しかし、途端に一年生二人は目を丸くして「えー!?帰っちゃうんですか!?」と声を揃えた。声量に驚いて、名前は軽く咽せた。

「か、帰りますけど……。ただ、その方法を模索中なんです。天女の異能とやらを見付ければ道が開けるかもしれないので、まずはそこからですけどね」
「へぇ〜」

尾浜少年は、湯呑みを軽く揺すって微笑んだ。
軽口に似合わぬ大人びた笑みだ。

「だってさ、三郎。残念だね」
「どうして私に振る」
「さあ?」

ーー何だかモヤモヤするやり取りがあったものの、かくして名前は無茶振りを引き受けたのであった。我こそはNOと言えない日本人なので。

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