02
名前が呆然と宙を眺めていた、その時。
不意に小屋の外から、“ズドン!”とか“ドシン!”とか、とにかく何かそんな感じの、象が尻餅ついた時みたいな効果音が飛び込んできた。

「おっ、これはかかったみたいですね!」

轟音に続いて名前達を襲ったのは、音のデカさに恥じぬ規模の縦揺れである。
一瞬地震を疑ったが、それにしては揺れの範囲が狭く、また振動その物も二秒かそこらで収束したので、恐らくこれは人為的な事象。
何より、揺れと轟音を感知するや否や、笹山少年が目を輝かせ起立したので、その時点で名前は大体の流れを察したのであった……。

「僕のカラクリと綾部先輩の落とし穴を合わせれば、どんな相手でも一網打尽間違いなし!」
「いやだから、一網打尽にしちゃいかんのだってば」

咄嗟に柱にしがみつき、なんちゃって地震を孤独にやり過ごしていた名前は、思わずシラッとした目で彼らを睨んでしまった。
こいつら、目の前で可憐な乙女が怯えているというのに、腕の一本も差し出さんとは呆れて物も言えぬ。紳士道に反している以前に、同じ人としてどうなの?という話である。これはクレーム案件だぞーーと、心の閻魔帳に一同の名をしたためた矢先。今度は耳をつんざくような“雄叫び”の大合唱が始まって、名前は思わず耳を抑えてうずくまった。

「う、うるさ!?なに、何なんですかもう!」
「ふむ、さすがに正気を失っているだけある。穴に落ちても元気なものだ。……伝七、藤内、アレを頼む」
「はい!」

相変わらず名前全スルーの作法委員共である。
とりわけ血も涙もない奴らの親玉は、後輩二人に何事かを命じた直後、入口を塞ぐような形で丸くなっていた名前を持ち上げ(!?)、さりげなく傍に避けた。
それはまるで、路肩の石ころを蹴飛ばすような、無機物を相手取るかのような、全くもって優しさもへったくれもない機械的な動作であった。
あまりにも流れが自然すぎて、名前は最後まで暴れることも憤ることも出来なかったし、それは即ち名前の完全敗北を示していたーー。

一方、“アレ”とやらを命じられた二人は、どこからともなく取り出した扇子を片手に、足取りも軽く小屋の外へ出て行く。
外の喧騒がピタリと止んだのは、その僅か数分後の出来事だった。

「こういう時のために、保健委員会から眠り薬を貰っていたんです。粉末状の薬品を、扇子を使って拡散させるんですよ」

そう説明してくれたのは、任務を終えて戻ってきた浦風少年だ。予習の成果が出たことを喜んでいるようで、心なしか顔がドヤッとしている。

「眠り薬の予習のために、もう十回くらい三反田先輩を昏倒させてましたからね。ここで失敗したら、三反田先輩に合わせる顔が無いです」
「え……」

黒門少年の不穏な呟きはさておき。外がすっかり静まり返ったことを確認すると、一同はようやく小屋の外へ出た。無論、名前も後に続く。
しかし、待てど暮らせど山ぶ鬼嬢が付いてこないことに気付き、名前はもう一度屋内に戻った。……彼女は、一人寂しく俯いていたのだ。

「あの、なんか心中お察しって感じですけど、とりあえず一緒に行動しませんか?あなたも被害者なわけだし。あんまり自分のせいとか思わない方が良いと思いますよ」

自分一人の力ではどうにもならないことだと理解しつつ、それでもどうしようもなく自分を責めてしまうーーそんな心情に嫌と言うほど覚えのある名前は、努めて優しい声をかけた。
すると、彼女は緩慢な仕草で頭を持ち上げ、

「……私、と〜っても真面目で責任感が強いの。だから、こうやって分かりやすく反省の態度を示すことで、私もなんだか満足できるし、周りの同情も得られて一石二鳥なのよ」
「あ、はい。凄く大丈夫そうですね」

とんでもなく大丈夫そうだったので、名前は差し出していた手をサッと引っ込め、小走りで小屋の外に出た。心配した時間を換金して返せ。

***

小屋の外は、もはや異世界のような景観に様変わりしていた。
ゾッとする異様な風景に、全身が総毛立つ。

粗末な小屋を取り囲むように、地面が丸く抉れていた。
すり鉢状に、中心に向かって深くなる作りの穴は、アリ地獄を彷彿とさせる形状で、実際その穴の中には、十を越えるゾンビ……もとい、正気をどこかに落っことした野良信者達が引っかかっている。
あまりにも現実離れした状況は、まるきり映画のワンシーンのようだ。

「だーいせーいこーう」

名前がドン引きする横で、綾部少年と笹山少年がハイタッチしている。
片や能面もびっくりな真顔。片や悪巧みの擬人化か?と言わんばかりの悪戯めいた笑顔。これで背景がアリ地獄でなければ、もう少し無邪気な光景に見えたのかもしれないが……いや、あんまり自信はないけど……たぶん、きっと、恐らく、もしかすると、可能性として……百歩、いや千歩くらい譲れば或いは……。

「ーーでかしたな。薬もよく効いているようだ」

こちらの動揺を知ってか知らずか、よく出来た後輩の頭を撫でながら、立花氏が満足げに頷く。
先ほど浦風少年達が撒き散らした眠り薬の効果だろう。穴に落ちた信者達は、暴れるでもなく大人しく眠っていた。
顔色の悪さも手伝い、見ようによっては死んでいるようにも。

「やはり、天女様に協力頂いて正解でした。あなたがいなければ、ここまで信者達が纏って動くことはなかったでしょうからね。一度に全員捕まえられたのは、紛れもなく天女様の功績ですよ」

朗らかに讃えられるが、名前はちっとも嬉しくない。
今更おもねるような態度を取られても、過去を全て水に流せるほど名前は生優しい性格をしていないのだ。
……そもそも作法委員の奴らは、最初何も知らされていない風だったのに、今は何となく“分かってる感”を醸し出していやがる。それが死ぬほど気に食わぬ。知識の出し惜しみは程度の低い人間がやることだぞ。

「結局、これって何なんですか?この人達、もう完全にゾンビみたいになっちゃってますけど、最初はそんなことなかったですよね」

手際良く信者達を縛り上げる忍者のたまご達を見下ろし、名前は慎重に切り出した。
ーー思い返せば、妙なことばかりなのだ。
野良信者の思惑は、恐らく立花氏達が言うように、麻薬が混入された免罪符の入手である。彼らは、免罪符に薬が使われているなんて知るよしもないから、免罪符に触れるたび得られる“奇跡”を、純粋に天女が持つ神通力によるものだと思っている。だから、“天女”と呼ばれる存在を片っ端から誘拐して、無理矢理にでも免罪符を作らせようとした。
野良信者の篤い信仰心が、薬物の依存性に塗り替えられていったのだ。

「だけど、天女を最初に連れ去った人はもう少し理性的でした。他の人達も、頭はちょっとアレな感じでしたけど、こんなゾンビみたいにはなってなかった」

名前より長く捕らえられていた様子の山ぶ鬼嬢も、あのゾンビめいた風貌の信者は初めて見るようだった。
彼らのいきなりの豹変ぶりには、何か理由があるのか。真実を知りたい気持ちと知りたくない気持ちが、頭の中で激しくせめぎ合う。

「そ、それにさ……」

言いたいことはまだあるが、注意深く言葉を選ぶあまり、うっかり声が詰まった。
ちらりと視線を走らせた先には、山ぶ鬼嬢の姿がある。
それに後押しを得て、名前は控えめに先を続ける。

「タソガレドキも変です。ドクタケが薬物に手を出してると気付いたなら、自分で行けば良いのに……。これじゃまるで、」
「“忍術学園を巻き込もうとしてるみたい?”」
「…………」

まさしく言おうとしていた言葉を引き継がれ、名前は押し黙った。
言い当てたのは、当然のように立花氏である。

「天女様はなかなか鋭い方のようですね。……実は私も同感です。タソガレドキは、“私達に”ドクタケの不正を見抜いてほしかったのでしょう。タソガレドキが勝手に片を付けていれば、我々はあくまで何も知らないふりを貫くことができる。しかし、こうも分かりやすく直接ぶつけられては、さすがに知らぬ存ぜぬではいられませんからね」

ーーこうも分かりやすく。
立花氏がその言葉を口にした瞬間、アリ地獄の向こう側から、数人の人影が飛び出した。
果たして彼らは、遠目からも鮮やかな赤い衣を纏っていて……

「み、みんな遅ーーーい!!!」

胡乱な空気を破り去る、山ぶ鬼嬢の切実な悲鳴が決定打であった。
現れたのは、彼女を取り返しに来たドクタケ忍者だったのだ。

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