悪女ムーブメント
早いもので、山田利吉の大暴露事件から一月が経っていた。
あの日を境に、奴は名前の前に姿を見せなくなった。
二年目にして職務怠慢か?と、その不埒ぶりに憤った日もあったが、どうやら姿が見えぬだけで、奴が影に日向に名前を警護していることは変わりないらしい。……むしろ天女の護衛といえば、この忍者スタイルがスタンダードなんだとか。
「天女様と護衛が“いい仲”になったら大変ですからねぇ」とは、何やらアダルティな雰囲気を纏う侍女Aの言である。今となっては、なまじ事の真相が分かるだけに一笑に付すことも難しい。

「ーー天女様。こちら、今回の“成果”でございまする」

かけられた声で、ハッと我に返った。
今は、毎日の恒例である信者との面会時間だ。
うっかり考え事をして、心をあらぬ所へ飛ばしていたらしい。
名前は内心を気取られぬよう、慌てて表情を引き締めた。

「あ、ありがとうございます。あなたの善行を、神も大層お喜びになっておいでですよ」
「……!誠にございますか!」

幸いにして、名前の動揺を悟る者はいなかった。
だが、それもむべなること。何故ならこの時間、名前は一人残らず城の関係者を追い払い、信者以外を立ち入り禁止にしている。今ここにいるのは、姿の見えぬ護衛を除けば、天女を盲目的に信仰する人間ばかりなのだ。上の空を見咎められる筈がなかった。

「あなたの悲願が果たされる日も、遠くありません」

名前の言葉は、全て口からの出任せにすぎない。
でも、聞く人が聞けば、それは神の言葉に他ならぬのだ。
案の定この信者も、名前の嘘八百に涙を流して喜んでいる。

「これからも天女様のお言葉を、より沢山の方にお伝えすべく尽力致します!天女様万歳!万歳!!」

涙ながらの万歳コールは、名前の良心という良心をコテンパンに叩きのめした。
足元に積み重なる銭の山もまた、名前の道念をズタズタにする。
それでも名前は踏みとどまり、ここでホラを吹き続けなければならない。ろくでなしになると決めたのは、他ならぬ自分だから。

ーーこの会合の場を借りて、名前は一部の信者達から、免罪符の売買で得た金銭を受け取っていた。

***

ジャラジャラジャラ。山と積まれた銭が音を立てて崩れる。
それを両手で掻き集め、空の瓶に全て収める。
たった一月、されど一月。
思いつきで始めた免罪符事業は、飛ぶ鳥を落とす勢いで儲けた。

「こんな所でも商才を発揮してしまうとは」

信者から預かった台帳には、今日に至るまでの免罪符販売の詳細が丁寧に記されている。
どうやら、プロジェクトリーダーに抜擢した信者が大変優秀な商人だったらしく、僅か一月で事業は急成長。今や資本金を回収するだけに飽き足らず、信じられぬほどの黒字を生んでいた。

「福富屋、妙に羽振りの良い人だと思ってたけど、貿易商と聞いて納得。結局商売もセンスなんだよな」

ひときわ異彩を放つ件の信者は、以前の面会の折に“福富”と名乗った。名は体を表すとはよく言ったもので、ふくよかな体型と品のある高価な着物は、並居る信者達の中でも埋没することなく、いつでも名前の目を引いた。嫌味のないおっとりとした性格も育ちの良さを感じさせ、非常に好印象な人物だったと言える。
そんな彼だからこそ、名前の命運を賭けた一大事業を任せるに至ったし、“もう一つの目的”にも助力を仰ぐことが出来たのだ。

「天女様、お客様がいらっしゃっております」
「お通ししてください」

つれづれと思い馳せているうちに、どうやら約束の刻限が迫っていたらしい。部屋付きの侍女に、そっと耳打ちされる。

「……失礼致します」

退室する侍女と入れ違いに現れたのは、まれに見る福耳の男性であった。
ーーそう、彼こそが渦中の福富屋その人。
彼は名前と目が合うと、そのつぶらな瞳をパッと明るくした。

「天女様!お招きいただきありがとうございます。いや〜本当に本当に光栄でございます!」
「福富屋〜!天女もめちゃ会いたかったのだ!」

福富屋が現れるや否や、名前もピョンと立ち上がると、両手を広げて出迎えた。
そしてーーそのままハイタッチ、グータッチ、三回まわってワンの後ジャンケン、アッチ向いてホイ、負けた方がコサックダンス、五秒踊ったらブリッジしながら「山!」「川!」の応酬、最後にもう一度ハイタッチーーと言う流れを淀みなくこなした。

「ハァ……ハァ……お、おみごと……ハァ……て、てんにょ、様は……ハァ……実に……ハァ……アッチ向いてホイが、ハァ、お強い……ハァ……」
「ま、まぁ?……ハァ……そ、それほどでも……ハァハァ……あるって、いうか……?……ハァ……」

全身汗だくになりながら互いの健闘を称え合い、暫し休息する。
ーーこの、たかが三分にも満たぬ一連の動作は、しかしプロの引きこもりを自称する名前にとっては、到底あるまじき運動量。
そして、メタボ体型に片足つっこんでいる福富屋にしても、事情はおおよそ右に同じ……。従って、二人ともこの“お約束”をこなした後は、空っぽな抜け殻になってしまうのが常であった。

「ふぅ。いつものことながら死ぬかと思いました。……で、福富屋。当然つけられてないでしょうね」
「ええ!その心配はご無用!私には有能な護衛がいますからね」

ひと段落ついた後、気を取り直して尋ねる。えっへん!とサムズアップした福富屋は、続いて周りを憚るように声を落とした。

「計画も順調そのものです……が、本当に良かったんですか?その……免罪符の独占販売などを認めてしまって……」
「シッ!静かに!どこで誰が盗み聞きしてやがるか分からないんですよ!“プランC”とお呼びなさい!」
「そ、そうでした!すみません、プランCです」

子曰く、壁に耳あり障子にメアリー。
今年の書き初め、“油断大敵”の掛軸を差し、名前は深く頷いた。

「こうして、“暗号体操”で偽物対策をしているとはいえ、この世に完璧はありませんからねっ!用心するに越したことはない」
「さすがです天女様〜!」
「おほほ。よく言われます」

暗号体操とは、先ほどのアグレッシブな奇行である。
福富屋と密会を重ねるに当たり、第三者の変装による替え玉を恐れ、名前が暇潰し……じゃない。合言葉代わりに編み出した。
独創性と日頃の運動不足解消にこだわった、珠玉の傑作なのだ。

「……で、プランCですよ。もちろん私としては嬉しいんですよ?免罪符が福富屋だけの商品になればたくさんお金が稼げるし、息子にもっと美味しいものを食べさせてあげられるし……。でも、そうすると困る人が出てくるんじゃありませんか?」

福富屋が浮かぬ顔で切り出したのは、最近名前が持ちかけた新たな計画についてであった。

「え〜?まぁ、そりゃ出るでしょうね、困る人。たとえば偽物の免罪符を売る輩とかね。そういうのを一掃するために、公式販売店を設ける必要があったんです」

計画とは、最近世に出回り始めた“偽免罪符”の対策だ。
天女印の免罪符は、“天女教”が持つネームバリューの力を借り、破竹の勢いで売り上げを伸ばした。しかしその一方で、安価な類似品が次々と現れ、商売敵として立ちはだかったのだ。

「だから、天女教の公式声明として、今後正規の免罪符は福富屋を介してのみ販売すると発表するんです。そしたら、それ以外の店舗で売られているものは非公式と認知されるし、あなたもますます左団扇だし、お互いWin-Winでしょ」

ついでに、値段も下げたっていい。商売敵が太刀打ちできなくなるくらい破格の安さまで。こちらとしては、数さえ捌ければ十分元を取れる計算だし、たとえ赤字になったとして、それで信者が増えるなら儲け物。長い目で見てトントンになれば御の字だ。
名前が掲げる天女教のモットーは、間口は広く出口は狭く。捕らえた獲物は逃がさない。
そうして、信者達から日々湧き出し積み重なる憧憬と賛美が、最終的に名前の利潤へと繋がる人でなしシステムってわけだ。

「……ところで、うぃんうぃんって何ですか?」
「なんか美味しいものです」
「ほほぉ〜、うちの息子にも食べさせてあげたいですなぁ」

悪事を働いている自覚はある。
天罰よ、我を避けて通りたまえ。アーメン。

***

そんなこんな緑茶で一服を挟み、「あっ茶柱!」とかいう文字通りな茶番を挟みつつ、密会は後半戦に差し掛かった。

「それで、本題なんだけどね。“プランD”の進捗を伺っても良いですか?」

ーーその途端、およそ緊張感とは無縁の造りをした福富屋の顔に、限りなく緊張感に近いような気がする何かが浮かんだ。

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