花屋の黒猫 | ナノ

 客があまり来ない花屋で、いつしか私は少年が来るのを待つようになっていた。たまに来る客の要望で店先に出るときには必ず少年の姿を探した。そして見つけたときには、思わず手を振りそうになるのをこらえて接待している客にばれないよう微笑んだ。少年も微笑み返してくれた。
 銀杏の葉が黄色く染まり始め、シクラメンがきれいに咲きだした頃だった。少年はいつものように花屋に来て、花をじっくりと眺めた。店内には少年と私しかいなかった。
「ねぇ」
 私は少年に呼びかけた。ずいぶん前から聞きたいことが一つあった。
「はい」
 少年は花から目を離し、私の方を向く。
「いくつなの?」
 心拍数が上がっているのが自分でも分かった。私は客の中でこうも毎日来てくれるような存在は初めてだった。本当はこういうプライベートなことは聞いてはいけないのかもしれない。
 少年は一瞬目を丸くして私を見ると、小さく笑った。私が戸惑っていると少年はあわてて言った。
「笑ったりしてすみません。でも、年齢から聞かれたことはあまりなかったので」
 私は顔が火照っていくのを感じた。
「僕は風間悠。十三歳で、中学一年です」
「背が、高いのね」
 私が言うと、少年は照れくさそうにしていた。
 少年はおもむろに口を開くと言った。
「あなたの名前も教えてください」
 少年は微笑んだ。
「私は黒田沙由利。年齢は秘密」
 私はニッと笑ってみせる。少年は本気なのかわざとなのか、私が年齢を教えないことに悔しそうな顔をする。
「風間君、お花どうする?」
「僕のことは『悠』でいいです。花は黒田さんが選んでいただけますか?」
 少年は言った。
「いいわよ。じゃあ……」
 私は花がたくさん並んでいる場所まで行き、ひとつひとつじっくりと見ていく。こう見ていると、忘れかけていた花の美しさが身に沁みていく。一瞬見とれそうになるけど、少年のことを思い出し、少年のイメージと花を重ね合わせる。
 私が迷っていると、店の奥からアグロスが出てきた。アグロスは少年をじっと見ると、私の前に来て、ある花の前で止まった。
「にゃぁ」
 アグロスは花と私を交互にみると、その花の前にちょこんと座って自分の前足を舐めた。
「悠君、私じゃなくてアグロスが選んだ花だけどいいかな?」
 少年はにっこり笑っていいですよ、と言った。
「その花、何て名前なんですか?」
 私の手の中にある、アグロスが選んだ桃色の花を見る。
「これはね、『イヌサフラン』っていう花なの」
 私がこの季節に咲く花の中で特に好きな花だった。
「さすが、花の名前をたくさん知ってるんですね」
 少年は感心したように私を見た。その目があまりにも純粋だったものだから、私は少し照れてうつむいた。
「そんなことないわ」
「でも、すごいです。僕も小さいころから祖母に花の名前を教えてもらったりしてたんですけど、格別印象に残ったもの以外は頭に入らなくて」
 少年は苦笑いをしながら言った。
「きっと、今から覚えていくわよ。知ってる?年を重ねれば重ねるほど花の名前って覚えやすいのよ」
 私は微笑んだ。
「何でなんですか?」
 少年は怪訝そうにしていた。
「年を重ねれば重ねるほど、思い出は増えていくわ。花はね、思い出と共に存在するのよ。歌みたいにね。例えば、誕生日にもらった花束とか、家族で行った公園の隅の花壇に咲いていた花とか。そうやって、思い出が少しづつ増えていくと花の名前も自然と覚えられるようになるって私は思ってるわ」
 私はちょっと得意そうにしてみる。
「僕も年を取って、たくさん思い出を作って、花の名前覚えたいな」
 少年はにっこりと笑った。

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